第三十節 『仲間』
壁上広場では、金属同士がぶつかり合う耳障りな音が断続的に響いていた。
数十個の鉄球の襲撃を受け、巨大な甲冑に身を包んだ化け物の全身から火花が飛び散る。
一瞬、足が止まったものの、相手は再びミツキ目掛けて走り出す。
よく目を凝らして見ると、甲冑の表面には小さな凹みが無数に生じているが、大きな損壊は見られない。
派手に散った火花やすさまじい金属音に反して、ダメージは皆無らしい。
「ただ当てるだけじゃ意味ないってことか」
振り下ろされた戦斧を宙返りしながら躱し、相手が床にめり込んだ得物を抜く間に距離を取る。
「だったら、これならどうだよ」
手を引くように動かすと、散開していた鉄球が連動するようにミツキの周囲へ集まる。
人差し指を立て、頭上に弧を描くように動かすと、その軌跡をなぞるように、鉄球は一列になって浮かんだ。
そして、人差し指を立てたままの腕を、鎧武者目掛けて振り下ろすと、列の先頭から順に、鉄球が連射された。
鉄の塊に電動ノコギリでも突き立てた様な音と火花があがると同時に、今度は敵の巨体が小さく傾いた。
しかし、それだけだ。
連射が命中したのは腕の付け根付近だったが、先程の散発的な攻撃よりは大きく凹んでいるものの、貫くには至っていない。
関節の上だから装甲は薄めと読んだ箇所でさえ、ほとんど攻撃が通じない。
それにこの鎧、とミツキは相手の全身に視線を巡らせつつ思考する。
関節の上までカバーするような構造なので、付け入る隙がまるでない。
物理攻撃以外に攻める手立てを持たないミツキには最悪の相性だと言えた。
ただし、突進力はあっても、細かい動きができないので、今のところ問題なく攻撃を躱し続けられている。
弱点を見つけるまで、何度でも敵の斧を避けるしかない。
再度突進を試みる甲冑の巨人をミツキはギリギリまで引き付ける。
そして、今度は掌に握り込んでいた小さ目の鉄球を敵の顔面のバイザー目掛けて放った。
相手の上体が僅かに仰け反る隙に、再び間合いを取る。
これならどうだと相手の様子を窺うミツキだったが、仰け反った上半身を戻した巨人の顔面を見て失望する。
鉄球は確かにバイザーを捉えていたが、隙間を通すには大きすぎたらしい。
ふた粒程がスリットの隙間に挟まっているだけで、他はすべて弾かれてしまったようだった。
「くそっ!」
目視できる限りでは唯一の隙間だっただけに、ミツキの落胆は大きかった。
このままでは、完全に攻め手を欠く。
焦りを募らせるミツキに、壁際で傍観を決め込んだオメガが声を掛ける。
「よぉ、もういいんじゃねえか? オレらの仕事は砦の無力化であって、化け物退治じゃねえだろ。そう考えりゃやるべきこたぁもう終わってるんだ。こんな奴相手にしねえで、とっとと引き上げようぜ」
「うるせえ! こんな奴を放置したら砦の占領はできないだろうが! こいつの敵意がアタラティアの本隊に向きでもしたら、下手すりゃ全滅だってあり得るんだぞ! そんなことになったら、今までの苦労は全部水の泡だ!」
「ああ!? そんなのぁオレらの知ったこっちゃねえだろうが! 同じ人間だからっつって、アタラティアの連中に情でも湧いたかよ!?」
切り込んできた甲冑の巨人の戦斧を躱しながら、戦闘中に話し掛けるなと心の中で毒づいた。
どうしてこいつは、さっさと逃げずに話しかけてくるのだ。
手伝う気がないなら、せめて黙っていてほしい。
そこまで考え、待てよと思う。
本当に、何故逃げないのだ。
わざわざこの場に留まって、戦闘を見届ける理由はなんだ。
そう思考し、自分の発言を思い返す。
『そこで尻尾を巻いていろ』
己は先程、オメガにそう言った。
まさかその言いつけを守っているというのか。
だとすれば、協力するよう命じれば、一緒に戦うのだろうか。
そう期待し、すぐに、拒絶されたことを思い出す。
命惜しさに戦いを放棄した奴が、どうして命の危険を冒してまで、律義に戦いを見守っているのか。
その理由を考えたミツキの脳裏にサクヤの言葉が過る。
『あれは見た目通りの獣だ』
『犬の類は群れるうえに序列を決めたがる』
あの女の言うように、オメガの生態がイヌ科の獣に近いのだとして、たしかに自分よりも強い肉食獣に戦いを挑もうなどとは思わないだろう。
しかし、狼などイヌ科の獣の群れは、非常に強い絆で結ばれてもいる。
もし奴が、野生の本能ゆえの怯懦と、群れへの帰属意識の間で揺れているのであれば、まだ説得の余地はあるのではないか。
「べつに、この副王領の連中のことなんてどうでもいい」
聞こえよがしにそう呟いてみせる。
実際のところ、心中は複雑だ。
アタラティア軍の尻拭いに己が命を賭すという状況には、未だ納得していない。
後方の安全地帯に待機している兵士共に対しても、余所者にばかり戦わせていないで、自分たちでどうにかしてみせろというのが本音だ。
しかし、開拓村で過ごしたことで、戦とは無関係の人々に平穏な日常を取り戻してやりたいと思うようにもなっていた。
それが、ペルを死なせてしまったことへの、せめてもの贖罪とも考えている。
しかし、今はそんな気持ちはおくびにも出さない。
自分はティファニアの側壁塔に暮らす異世界人であり、仲間は同じ境遇の同居人だけだと自分に言い聞かせて言葉を紡いだ。
「でも、トリヴィアは別だろ。オレたちは理不尽にもこの残酷な世界に召喚され、不本意な戦いを強いられ、命を危険に晒しながらもどうにか生き残ってきた。見たこともない化け物や魔法を使う軍隊と戦わされ、何度心が折れかけたかわからない。それでも、こうして生きてこられたのは、おまえやトリヴィアの支えがあったからだとオレは信じている」
「テメエ、何言ってやがる」
「おまえはそう思ってなかったかもしれないけどな、オレはおまえたちを家族も同然の仲間だと思ってきた。だから、その仲間を害する奴は絶対に許さないんだよ。たとえそれが、格上の強さの敵だったとして、仲間のためなら命を懸けて戦うんだ、オレは!」
我ながら白々しいと思いつつ、言っているうちに、言葉に力がこもってきたのは、それがまんざら偽りというわけでもなかったからだ。
実際、トリヴィアから向けられる好意は少々重くはあるものの、単純に仲間という以上の親しみを抱いていたのは事実だ。
オメガにしても、出会いこそ最悪だったが、生活をともにする中で、随分打ち解けたと思っている。
だから、その仲間を害した目の前の敵は、刺し違えてでも打倒するつもりだった。
言うだけ言ってオメガの様子を窺えば、口を閉じ俯いている。
やはり駄目なのかと思いつつ、敵の攻撃を躱し続ける。
目も慣れてきたため、相手の大雑把な攻撃は難なく躱せるが、巨大な戦斧を力任せに叩き付けるという甲冑の巨人の攻撃は、壁上広場の床石を砕き、足場が大分悪くなっているので、転倒にだけは注意しなければならなかった。
「転倒……転倒か」
そう呟いたミツキは、踏み込んできた甲冑の巨人の足元に背後から鉄球を飛ばし、相手が踏み付けるように転がした。
視界の悪いフルフェイスの兜を被った甲冑の巨人は、案の定、鉄球に気付きもせず足を滑らせた。
「そこだ!」
派手な音を立てて背中からひっくり返った巨人の首元目掛け、ミツキは跳躍する。
これだけ分厚い鎧では、踏み抜くことはできないだろう。
しかし、首と頭を踏み付けた衝撃は鎧へと伝わり、巨人の頭蓋と頸椎は鉄の器の内側に幾度も打ち付けられるはずだ。
人間であれば、それだけで致命傷になる可能性もあるだろう。
さらに、ミツキは落下する己の体に対し、念動で重力を加える。
開拓村の戦いで、賊の頭目を踏み殺した技術の応用だ。
倍以上の体重を乗せ踏みつけた兜と首鎧の中で、肉と骨が跳ね幾度も叩き付けられた振動を足裏に感じ、ミツキははじめて攻撃に手応えを覚えた。
しかし、その一瞬の気の緩みが、隙を生んだ。
「なっ!?」
兜を踏み付けたミツキの右足の足首目掛け、甲冑の巨人の右手が素早く伸ばされた。
咄嗟に足を上げて躱すが、次の瞬間、左足首に鈍い痛みを感じた。
「しまった!」
巨人の左手が己の左足首を握っているのを視認したミツキは、右足で何度も兜を踏み付けるが、甲冑の巨人は足首を千切れんばかりの力で握ったまま身を起こした。
「やっ! うわわっ!」
足首を持ち上げられたミツキは、石の床に手を付いたまま、斜めに逆立ちしたような体勢で地面を見つめることになった。
その眼前の石床に、顔面に噴き出した冷や汗が落ちる。
ヤバい。
詰んだ。
このまま持ち上げられて、地面に叩き付けられて終わりだ。
そう思う間にも、足首を握る力が増し、体がぐいと持ち上げられる。
掌が地面から離れるのを感じ、ミツキは死を覚悟した。
「おいコラ」
横から聞こえたチンピラ染みた声に続き、巨人の腕の動きが止まる。
指先だけで体を支えながら、ミツキが必死に首を持ち上げると、左目の視界の隅に、以前自分がしつらえさせたサルエルパンツの布地を発見した。
「オメガか!?」
「この手を――」
オメガの声に更に首を曲げたミツキは、犬面の獣人が自分の足首を掴んだ巨人の籠手を握っているのを視認した。
緋色の毛に覆われたその手の周囲は、夏の道路のように陽炎で揺らめいて見えた。
「え!? ちょ、まっ!」
「放しやがれ!!」
オメガの掌から炎が迸り、握り込まれた鉄の籠手はみるみる加熱され真っ赤に変色した。
「あぁあちゃちゃちゃちゃ! ぎぃゃあぁぁちぃぃぃ!」
熱伝導によって掴まれた足首を焼かれたミツキだったが、唐突に体の支えを失って倒れると、必死に地面を転がって間合いを取った。
足首を抑えながら中腰で体を起こすと、甲冑の巨人の腕を放したオメガが、跳躍してその傍らに降り立った。
「おぉまっ、おまえ! なんてことしやがる!」
「ああ? 助けてやったんじゃねえか」
「雑なんだよやり方が! 足首がコゲちゃっただろうが!」
しかも、甲冑の巨人に握られた足首の骨は、おそらく粉砕している。
右足に負担を掛ければ短時間なら動き回れるだろうが、先程のように延々と逃げ回ることは、もはや不可能だろう。
「ケッ! 助けてもらって感謝の言葉もねえのかよ。テメエは礼儀がなってねえな」
「なぁっ!」
ミツキは愕然とした。
よもや犬畜生に礼儀を説かれるとは思ってもみなかったのだ。
「くっ! 確かに助かったよ、ありがとう。でもな、さっきのでオレの左脚はオシャカだ。どのみちあと数回も攻撃されれば躱しきれずに殺される」
「へぇ、そうかい」
そう言うと、オメガはミツキの前へ進み出た。
「オメガ?」
「そういうことなら仕方ねえ。俺のせいにされてもシャクだし、ここはまぁ最後まで面倒見てやらぁ」
ミツキは目を丸くした。
どうやら先程のクサいセリフは、無駄にはならなかったらしい。
「なんだよ、助けてくれるのか?」
「勘違いすんな。テメエがボス面で説教タレれんのがムカついただけだ。あの薬缶頭をオレが叩きのめしゃあよ、オレのがテメエより上だってはっきりすんだろ」
「あ、そういう……」
この期に及んで示威かと、ミツキは苦笑する。
しかし、これでようやく反撃の目がでてきたようだ。
ミツキは前方で右腕を押さえている甲冑の巨人を窺いながら話を続けた。
「オレの〝飛粒〟は、攻撃対象に向け鉄球を高速で飛ばす能力だ。でも、さっき戦ってみて気付いたんだが、奴を相手に使った場合、近くに味方がいると跳弾で巻き添えを食らわす恐れがある。だから、おまえが奴に近接している時は援護ができない」
「テメエの援護なんざ期待しちゃいねえよ。が、どのみち奴の間合いに留まって戦うつもりはねえ。足で掻き回してやるから、手ぇ出すんならオレが離れている時を狙えや」
そう言うと、オメガは両腕を上げ、手術前の外科医のようなポーズをとった。
その途端、両腕が炎に包まれる。
特に、爪からは酸素バーナーのように白んだ熱の刃が噴き出ている。
その強烈な熱気に、ミツキは半歩後ずさった。
「つっても、オレが速攻で奴を倒しちまわなけりゃの話だがな」
続いてオメガは、腕の位置はそのままに、クラウチングスタートのように前傾姿勢で腰を落とした。
後ろから見るミツキからは、普段以上に犬っぽくに見える。
その踵のあたりから炎が噴き出ると同時に、オメガは一瞬で姿を消していた。




