第二十四節 『英雄』
逃亡を図った最後の賊にとどめを刺したミツキは、炎に炙られ焼け焦げた体を引きずり、ペル・クロッソのもとへ辿り着いた。
血だまりの中に横たわる少年の顔は、傷口からの失血のため蒼白となりながらも、その表情は眠っているかのように安らかだ。
膝を付いたミツキは、震える手をペルの顔へと伸ばしたが、背後からあがった声を耳にしてその動きを止めた。
「姉さん! しっかりして! 姉さん!」
ふり返ると、未だ気を失い倒れているレーナの顔を必死の形相のリーズが覗き込んでいた。
「……落ち着け。まずは、脈と呼吸を確認しろ」
ミツキに指摘されたリーズは、手首を握りつつ、口元に耳を近付けた。
途端、大きく息をつき、顔に安堵の表情が浮かぶ。
「よかった……生きてる」
そう呟き、ミツキの方へ視線を向けた彼女の表情は、血だまりに沈んだ少年の姿を認めると再び強張った。
「うそ……ペル、なの?」
「ああ……レーナを助けようとして、射られた」
「そんな……治癒魔法を使える仲間は、もういないのに」
「いや、どちらにせよ、この失血では、もう……」
言葉を失ったリーズとミツキは、少しの間、動かなくなった少年を無言で見つめ続けた。
無力感のあまり、声帯は麻痺したように動かない。
「リーズ! レーナは見つかったか!」
施設の入り口に姿を現したリーズの仲間の呼び掛けに、ふたりはそろって反応した。
未だ言葉を発することのできないリーズは、仲間からの問いかけに対しどうにか首肯してみせた。
「子どもたちは無事だ! レーナが急いで屋根裏に隠したらしい! でも酷く怯えてる! レーナが無事なら連れて来てくれ!」
リーズは戸惑いの表情をミツキに向けた。
ショックのあまり一時的に思考力が低下しているようだ。
「頭を打っていないようなら動かしても大丈夫だ。ここに寝かしといてもできることはない。施設の中に運んで介抱してやってくれ」
「……でも」
「レーナが目覚めた時、こんなペルを見せるのは酷だろう。まして、こいつはレーナを守ろうとしてこうなったんだ。ここにはオレが残るから、彼女と子どもたちのことを頼む」
リーズは小さく頷くと、緩慢な動きでレーナを抱き上げ施設へと歩き出した。
その後姿を見送ると、ミツキは地面に座り込み、再び少年の顔を覗き込んだ。
「……すまない」
「何が?」
「――っ!」
思いがけず反応を返され、ミツキは大きく目を見開いた。
この出血量では、もう二度と目を覚ますことはないと思っていたのだ。
薄目を空けたペルは、己の状況を確認しようと小さく視線を動かしていた。
「なんだ……オレ、どうなったんだ?」
「じっとしてろ! 矢で射られたんだ。憶えてないか?」
「矢で……? どうして……レーナ姉は?」
「レーナなら無事だ。かすり傷だが気を失ってたんで、屋内に運んで治療を受けてる。おまえのおかげだ」
「あいつらは……村を襲ってた連中は?」
「もういない。殲滅した」
「あんたが、やったのか?」
「ああ。だから安心していい」
「はは、やっぱスゲエなぁ」
「何言ってんだ、おまえの方が全然すごかったよ! 初陣なのにふたりも倒したじゃないか!」
「……そっか、オレ守れたんだな」
そう言って、ペルは薄く笑った。
「なあ、オレが倒れてから、どれぐらい経った?」
「そんなに時間は経っていないが、どうしてだ?」
「暗くて、何も見えないから……もう夜なのかと思って」
ミツキは迂闊な発言をした己を呪った。
もはや、少年は光りさえ失っていたのだ。
「……心配ない。怪我のショックで、一時的に視力を失っているが、少し時間を置けば回復するはずだ」
「オレの傷、酷いのか?」
「かすり傷ってわけじゃないが、命にかかわる程のもんじゃない。今、リーズの仲間たちが、重傷者から先に治療してる。もう少しだけ我慢しろ」
「わかった……大丈夫、痛みは感じないんだ。それより、体を起こしてくれないか。なんか、力が入らなくて」
背を射抜かれたペルを動かせば、さらに失血するはずだが、ミツキは少年の願いを尊重した。
抱き起した体は、酷く冷たい。
「オレが勝てたのは、あんたが稽古を付けてくれた、おかげだよ……あんたは、施設に泊まっている見返りとして、オレを鍛えてくれてたんだろうけど、レーナ姉も助けられたんだし、ちゃんと礼をしなきゃな」
そう言って、ペルは宙に手を彷徨わせた。
右手で体を支えつつ、左手でその手を握ると、ペルは腰から鞘ごと抜いた短刀を、ミツキの左手に握らせた。
「礼って、まさかこれか?」
「オレは、他に、持っているもんなんて、無いからさ」
「おまえの家の家宝って言ってただろ。そんなもの貰えるかよ」
「……あんたに、貰ってほしいんだ」
ミツキには返す言葉が見つからなかった。
溢れ出しそうな感情を抑えるため、必死に歯を食いしばることしかできない。
「……なんか、酷く眠い。ちょっと寝るよ」
「ああ、ゆっくり休め。寝てる間にベッドへ……みんなのところへ運んでおくから」
「……うん……なあ、あのさ」
「なんだ?」
「ありがとな、ミツキ」
握った少年の手から、力が抜けるのをミツキは感じた。
それっきり、ペル・クロッソが目覚めることはなかった。
「そういや、おまえ」
ミツキはかつて少年だったものをきつく抱きしめながら声を震わせた。
「オレの名前呼ぶの、はじめてじゃないか」
夕暮れに赤く染まった村は、血と、人の焼ける匂いで充満していた。
連れてきた兵士たちが、救護や調査に奔走するのを横目に、サクヤは村の中を気の向くままに歩いた。
地面に投げ出された遺体は、二種類に分けることができた。
まず、村人の遺体だが、ほとんどが現在村の人口の多くを占めるという老人たちだった。
開拓者だった頃の武器を手に果敢に立ち向かった老爺もいれば、互いを庇い合った老夫婦もいたようだ。
死してなお、生前のひととなりを窺わせる屍は、なかなかに哀切な印象をサクヤに与えた。
「……それに比べて」
もう一種類、賊共の遺体は、皆一様に凄惨極まりない。
右上半身を丸ごと抉られた者、腹部が吹き飛び胸から上と腰から下が分断された者、頭が消し飛んだ者、そのほとんどが恐怖と苦しみで酷く取り乱した様子だ。
無様、という以外の感想は浮かんでこない。
「それにしても、この威力には目を見張るものがあるな」
攻撃を受けた部分は、破裂でもしたかのように中心から大きく消失している。
ミツキの〝飛粒〟はただ鉄の球を飛ばすだけなので、威力が上がっただけではこうはならないはずだ。
何かしらからくりがあるのだろうと予想し、己が内で好奇心が首をもたげるのをサクヤは自覚する。
しばらく歩き回ってから、サクヤは村のはずれに向かった。
そこにミツキがいることは、村に入る前から気付いていた。
魔素を視認できる者なら、己でなくてもわかるはずだと彼女は思考する。
そういった意味では、魔力を抑える術を教えておかなければ、今後の行動において何らかの障害となる可能性もあるだろう。
そう冷静に考えつつも、湧き上がる高揚から自然と口の端が持ち上がる。
よもやこれ程うまくいくとは思わなかった。
しかも、己の期待以上の効果を挙げたことは、額の目に映る目の前の凄まじい魔素を見れば容易に理解できる。
深い海のような藍色の魔素の中心にミツキはぼんやりと立っていた。
相手に気付かれる前に、サクヤは口に手を当てる。
その手を下に降ろした時には、歪んだ笑みは消え、いつもの能面のような表情に戻っていた。
「災難だったな」
「……サクヤか」
ミツキはゆっくりとサクヤへ視線を向けた。
全身に火傷を負っているうえ血まみれだが、何よりその表情が目を引いた。
落ち窪んだ目に土気色の顔色、何より瞳に生気がない。
村に散乱する屍より、よほど死体らしいとサクヤは感じた。
「救援を連れて来てくれたんだろ。ありがとな」
「なに、お安い御用だ。それより、おまえも治療を受けてこい」
ミツキは小さく首を振った。
「村人を優先してくれ。この程度の火傷で死んだりはしない」
「そうか。まあ、それで気が済むのなら、好きにすると良い。しかし、犠牲を出したことに責任を感じているのなら、おまえが負い目に思う必要などないと言っておく」
その発言に疑念を覚えたのか、ミツキはサクヤの方へ視線を向けた。
「賊の死体を調べたところ、連中はアタラティアが初戦で使った囚人兵の生き残りだと判明した。この国の囚人は入出獄に際し、胸に収監された監獄と在獄期間を記録した入れ墨を入れられるそうでな。確認したところ、我々の前にティファニアの監獄へ入れられていたのが奴らだ。こんな辺境で殺し合うことになるとは、なかなか因果な巡り合わせじゃないか」
「……そうか」
おそらく、自分たちをアタラティアまで運んだ馬車も、奴らを移送したもののひとつだったのだろうとサクヤは察していた。
「つまり、今回の襲撃は、援軍に囚人を派遣したティファニアの方策と、囚人兵の脱走を防ぐどころか察知さえできなかったアタラティア軍の杜撰な管理が原因だ。随分と落ち込んでいるようだが、あまり背負い込みすぎるな」
「……久しぶりに会ったと思ったら、いやに優しいじゃないか」
「馬鹿を言え。私はいつだって優しいだろう」
そう言って、サクヤはおどけた表情まで作って見せた。
内心では、せっかく力を覚醒させても、潰れてしまっては意味がないと考えている。
実際、精神に極度のダメージを与えるという処置の性質上、事後のケアには細心の注意が必要だった。
柄にもなく気を使う程度で良いのなら、安いものだ。
「……オレはさ」
「ん?」
「力及ばず死んだのなら、それは、もうしょうがないと思ってたんだ」
「……命を半ば諦めていたと?」
「ああ」
「そうか」
まあそんなところだろうと、サクヤは考えていた。
命の危機に晒された迎撃戦で、ほとんど力の覚醒が見られなかったのも、死を受け入れていたからだろう。
「でも、それじゃ駄目だったんだ」
「……と言うと?」
「賊と対峙した時、オレは一瞬死を意識して竦み、次に殺すことを躊躇って致命的な隙を作った。それで、こっちに来てからずっと世話を焼いてた子どもが、ひとり死んだ……結局、オレは死ぬ覚悟も生きる覚悟もできちゃいなかったんだ。でも、一度戦うと決めたんなら、それじゃダメなんだって、今になってようやく気付かされた。戦うってことは、時に誰かの命を背負うってことだ。オレが死んだら、後ろの誰かも死ぬ。そんな単純なことに、どうして今まで気付かなかったんだ」
「私たちは理不尽にも異界に召喚され、戦いを強制された身の上だ。おまえにとって忌むべき世界の住人達のために、命を賭す必要などあるのか?」
「そんなのは、オレやおまえや、オレ等を召喚した連中の都合だろ。あいつやこの村の住人には、そんなのはまるで関係のない話だ」
〝あいつ〟というのは、ミツキが守り切れずに死んだという子どものことなのだろうと、サクヤは察した。
「ではどうする? 戦うのを止めるか? そうすればもう、誰かの死に苦悩することもあるまい。死を受け入れる覚悟があるというなら、そういった選択もあるんじゃないか?」
「止めない」
サクヤに向けられたミツキの目には、意志の光が戻っていた。
「ブシュロネアを打倒し、この戦争を終わらせる。あいつが命懸けで守ろうとしたものをこれ以上危険に晒さないため、オレにできるのはそれぐらいだろう」
「腹をくくれたのなら結構だ。今のおまえなら、まあ足を引っ張ることもなかろう。村のことは兵士共に任せて我らは本陣へ戻る。準備ができたら村の外の野営地に来い。すぐに出立するぞ」
背を向けたサクヤに、ミツキが声を掛けた。
「ひとつ、確認しときたい」
「……なんだ?」
「おまえ、この村が襲われると知っていたんじゃないよな」
「何を言い出すかと思えば、予知でもしたというのか?」
「やりかねないだろ、おまえなら」
「生憎だが、そんな便利な術など使えんな。この村におまえを派遣した理由なら以前話した通りだ。それ以上の意図などない」
嘘は言っていない。
占いで凶兆を察知し、本陣に忍び込んだ賊に気付きながら放置したが、村が襲われることなど知りはしなかった。
「……そうか、わかった信じよう」
サクヤは振り返ることなく再び歩き出した。
まさか、勘まで覚醒したのではあるまいなと考え、無性におかしくなる。
ともあれ、これでようやく砦に決戦を仕掛けられそうだ。
しかし、何から何まで思い通りというわけにはいかない。
何かが巧くいけば、別の何かが巧く行かなくなる、そういうものだと己に言い聞かせ、その別の何かへと足を向ける。
前方、夕日を背に、鬼のような巨躯の女が血だまりの前に佇んでいた。
トリヴィアだ。
ミツキを迎えに行くと聞き付けここまで同行したというのに、村の様子を見て回っているうちに呆けたようになり、それからずっとその場に立ち尽くしていた。
ミツキとの話に割り込まれないよう放置していたが、この期に及んでまるで動く気配もないとは、さすがに様子がおかしい。
「おい、せっかく回復要員として連れて来たのに、何をさぼっている」
サクヤに話し掛けられ、トリヴィアは酷くゆっくりと首を動かした。
サクヤの方に向けらえた顔の色は、ミツキよりもさらに酷く見える。
元々灰色の肌が、今は青黒く変色している。
「…………も……が」
「ん?」
「……子どもが、死んでいたんだ」
「ああ、そうらしいな」
ミツキが守れなかったと嘆いていた少年のことだろう。
遺体は運ばれ、血だまりだけが残されている。
「……なぜだ」
「うん?」
「……なぜ……子どもが死ぬ」
「戦争だからに決まっているだろう」
正確には盗賊に襲われたからなのだが、その根本的な原因は戦争なのだから間違ってはいない。
サクヤの答えを聞いたトリヴィアは、まるで異国の言葉で返答されたかのような顔でゆっくりと首を傾げた。
「……戦争で子どもは死なないだろ」
「何を言っている? 戦に巻き込まれれば子どもだって死ぬだろう」
「は?」
「はぁ?」
まるで会話が噛み合わなかった。
いっそこの女を放置して野営地に戻ろうかとも思うが、すぐに得策ではないと考え直した。
この様子はどう考えても普通ではない。
対応を誤れば、何か取り返しのつかないことになると、サクヤは直感していた。
「戦争だろうが獣の襲撃だろうが、大人たちは命懸けで子どもを護るだろ?」
「それなら、戦争で大人が皆死ねば、護る者はいないな」
「なんでそうなる!!」
唐突に激高したトリヴィアに、さすがのサクヤも戸惑いの表情を浮かべる。
こいつはいったい、何にそれ程憤っているのだ。
「敵国の子どもだろうと、保護して育てるだろ! それが戦というものだろ!!」
「……おまえの種族ではそうなのか?」
「そんなの当たり前だ! 人間は違うとでも言うのか!」
「違うな。奴らは、戦なら子どもでも平気で殺す」
サクヤの言葉を聞き、トリヴィアは表情を歪めながらよろめいた。
「な、なんで……それじゃあ、意味がないだろ。戦というのは、未来を勝ち取るためにするものだ。未来そのものと言える子どもを殺したら、そんなの本末転倒だろ」
なるほど、とサクヤはようやく得心していた。
この女の種においては、子孫の命こそが何より優先されるのだろう。
そのため、たとえ戦争だろうと、敵の子どもさえ手に掛けたりはしないというわけだ。
考えてみれば、生き物としては至極真っ当な思考だと言えた。
だが、そんな価値観では、人の戦争などとても受け入れられまい。
案の定、トリヴィアは両手で顔を覆い、不穏なことを呟き始めた。
「わからない。異常だ。とても認められない。そんな……そんな邪悪な種族など、存在して良いのか?」
まずいな、と内心でサクヤは焦りを覚える。
この女が人類に失望し、憎悪するようになれば、今後の計画に支障をきたす。
それどころか、この場でどうにか言いくるめなければ、すぐにでも暴発しかねない。
サクヤの額の目は、トリヴィアの身の内で極度に圧縮された魔力が微細に蠢きながら膨れつつあるのを確認していた。
「すべての人間がそうというわけではない。むしろ大多数の人間は、子を守り慈しむものだ。アタラティア軍も、子どもが幸せに生きていける環境を守るため、必死に戦っている」
顔を覆った指の隙間で、トリヴィアの銀の瞳がぎょろりと動き、サクヤを凝視した。
不十分か、とサクヤは内心で舌打ちする。
どうにかこいつの気を静めるような話題はないかと思考し、すぐにうってつけの存在に思い当たる。
「そこの少年は、姉を守ろうと戦って落命したらしい。ミツキはここへ来てから彼のことを随分可愛がっていたようでな、護れなかったことを酷く悔いていた。戦いで全身を焼かれていたが、あまりの落ち込みように治療を受ける気力さえないようだ。あるいは、ああして少年を護れなかった己を罰しているのかもしれないな。正直、痛々しくて見ていられんよ」
「……ミツキ?」
トリヴィアの反応を見て、サクヤは確かな手応えを感じた。
「ああ、ミツキだ。あちらの、村の隅に居た。そういえば、おまえの様子とどこか似ていたなぁ」
「そうだ……ミツキ、わ、私には、キミがいたんだ……すぐに、行ってやらねば……」
ふらふらと歩き出したトリヴィアの背中をサクヤは無言で見つめた。
どうやら、暴発しそうだった魔力の膨張は収まったようだ。
それにしても、手駒としてはオメガ以上に評価していただけに、トリヴィアの不安定さが露見したことは大きな痛手だった。
しかし、これも種族的な特性なのか、ミツキに強く依存していることで、当面はどうにか心の均衡を保てそうだ。
とはいえ、運用には細心の注意が必要だろう。
「いずれにせよ、ここに来てミツキの存在価値が急速に増しつつある」
奴を手懐けたのは正解だったなと、サクヤは満足していた。
そして、本陣に戻ればこの戦争も遂に最終局面を迎える。
ようやくまともに振るえるようになった力で、奴には存分に活躍してもらおう。
サクヤは一瞬だけ微笑を浮かべると、すぐに表情を能面へと戻し、村の出口へと歩き始めた。




