第二十節 『目論見』
ミツキらの監督官であるレミリスは、アタラティア軍と行動をともにする間、本陣の一角に寝起きのための天幕を与えられていた。
天幕内には副王が用意したらしい豪奢な家具や調度品が配置され、大型のキャビネットにはアタラティアの特産品だという果実酒を満たした瓶が詰め込まれている。
呼び出しを受け天幕を訪ねたサクヤは、その内装と昼日中から酒を煽る監督官の様子を目の当たりにして、さすがに鼻白んだ。
己らが命懸けで働いているのに、何もせず酒を食らってばかりとは、相変わらず良いご身分だ。
「呼び出しを受け参上した。何用か?」
レミリスに目で促され、サクヤは彼女の前に用意された椅子に腰を下ろした。
目の前の小卓には、蒸留酒の瓶とドライフルーツを盛った皿が置かれている。
キャビネットの果実酒に手を付けていないのを見て、この女は強い酒を好むらしいとサクヤは推察した。
「現在の戦況を報告しろ」
濁った目を向け命じた監督官に、サクヤは訝し気な顔を作った。
「唐突だな。なぜ私が? ここの兵士に報告させてはだめなのか?」
「そちらはアリアに情報を集めさせている。それとは別に、貴様ら召喚者目線からの情報を聞いておきたい。今までこういった雑務はあの男に任せていた。しかし、貴様が副王に進言し、奴は開拓村とやらの警備に回され不在だ。であれば、貴様がその穴を埋めるのが筋というものだろう?」
「ああ、なるほど。理解した」
そう言えば、王都でミツキはこの女の使い走りのようなことをさせられていたなとサクヤは思い至った。
そして、はじめてミツキがレミリスから呼び出された際、情報を探ろうと部屋へ忍び込ませた眷族の蜘蛛を殺されたのを思い出した。
蜘蛛と感覚を繋げていたサクヤは、ナイフで体を貫かれる痛みを味わわされたのだ。
あれは、なかなかに刺激的な体験だったと回想し、微かに口元が緩む。
「どうした?」
「いや何でもない。戦況の報告だったな。我々が街道を通ってこちら側に渡ってから最初の戦闘で、大敗を喫したブシュロネア軍は潰走し、後方の砦に籠城している。現在敵方の兵力は四千から六千弱程度、対してこちらの損耗は軽微で現状一万強、単純に倍程度だな。やはり初戦でトリヴィアとオメガに斬り込み役を任せたのが功を奏した。しかし、問題なのはあの砦だ。以前、常駐していた兵数が三百五十と聞いていたが、なんだあれは? せいぜい千人程度までしか収容できん関所のような施設を想像していたが、我々が本国で起居している場所にも劣らぬ高さの城壁に加え外周には堀まで巡らせてある」
「元々ブシュロネアとの国境を守るため、戦争まで意識して造られた要塞だ。百年前は数千の兵士に守らせていたのだろうが、長く続いた平和に加え、ブシュロネアのような弱小国が攻めてくるはずなどないと高を括っていたというわけだ。一応、ブシュロネアが攻めてきた場合は、盆地周囲の開拓村に出兵が義務付けられていたらしいが、今回は敵の動きがあまりに早すぎたな。いずれにせよ、戦後には責任の追及が必要となるだろう。まあ、あの副王のことだ。おそらくはヴァーゼラットあたりに全責任を負わせるだろう」
それにしても、五千程の兵士を収容できるほどとは予想外だったとサクヤは思う。
規模ばかりではない。
まず、抗魔処理の施された城壁は大規模魔法さえ通さない。
逆にこちらが破城槌でも携え門に殺到すれば、向こうからは魔法が打ち放題なのだから手に負えない。
投石機でも組んで遠距離から攻撃したところで、射程も威力も敵の魔法の方が上である以上、容易に迎撃されるだろう。
そして、それ以上に厄介なのが周囲の地形だった。
砦は円形の盆地の蓋になるような場所に建てられており、横に延びた城壁は闇地に深く食い込んでいるため、砦の向こうへ回り込むこともできない。
おそらく、元々は盆地自体が闇地であり、街道は直接砦に延びていたのではないかとサクヤは推測している。
過去、アタラティアは街道と砦を利用して砦の手前に開拓民を投入することにより、盆地を切り拓き、越流のリスクをブシュロネアに押し付けながら闇地の資源を享受してきたのではないか。
砦が壁になっている以上、ブシュロネアは自分たちの害になるアタラティアの闇地開発に対処することができず、領土内に侵入した魔獣を対症療法的に駆除するしかなかっただろう。
しかし、それは堅牢な砦と人の侵入を阻む闇地が壁となっているから成立する策であり、砦を奪取されれば当然立場は逆転する。
そう考えれば、アタラティアは今までのツケを支払っているに過ぎないとも言えた。
「というか、なぜ自国側の壁にまで抗魔処理とやらを施してあるのだ。今回のように敵国に占領されたときのことは考えなかったのか?」
「あの砦はブシュロネアからの侵攻ばかりでなく魔獣の襲撃も視野に入れて設計されている。魔獣の中には人の魔法に近い能力を持った個体も多く存在するからな」
「ずいぶんとお詳しいな監督官殿。軍人の面目躍如といったところか?」
「……私は戦況の報告を受けていたはずだが? いちいち話を逸らすな。これではあの男の方が余程有能だぞ」
「それは失敬。こちらの世界には娯楽が少なくてな。それゆえ人と話していると楽しくて、つい要らぬことまでしゃべってしまうのだ。許されよ」
レミリスの冷淡な反応を受け、サクヤは慇懃に謝罪した。
心の内では、何か気に障ったのかと訝しんでいる。
「まあ、そのようなわけで戦況は膠着状態だ。しかも、兵糧攻めも通じぬのではどうしようもあるまい」
「でかいのと犬に攻めさせても無理か?」
「トリヴィアとオメガのことか? 施設ごと破壊して良いのならどうにかできんこともないと言っていたが、副王に伝えたところ即座に却下された。奴らを殲滅させたところで守りの要の砦まで失ったのでは今後に障りがあるだろうからな」
「では、貴様はどうだ?」
「私? 何がだ?」
「先日、ブシュロネア兵三千を消滅させただろう? 霧に包まれていて何をやったのかは確認できなかったが、同じ方法で砦の敵兵を消せんのか?」
やはり見られていたかと、サクヤは心の内で呟いた。
随伴の兵士の目に付与魔法の気配を感じたので、そうではないかとは感じていた。
おそらく、己が眷族と感覚を共有して遠隔地を偵察できるのに似た魔法だろうと推察する。
しかし、自分がする分には良いが、他人に自分の行動を覗き見されるというのは、なかなかに不愉快だった。
とはいえ、そのような感情などおくびにも出さず応対する。
「あれは一種の魔法だ。やはり壁に阻まれるだろう。ただ、砦を落とすための策が全くないわけでもない」
「なに? 策があるならなぜそれを実行しない」
「先日の迎撃任務で私の力は大きく消耗している。回復するまで今少しの時間が必要なのだ」
嘘は言っていない。
〝霧〟はともかく〝影〟をあれ程の範囲に拡大させたのはかなりの無茶だった。
ある裏技で魔力を補っていなければ、今頃干からびていたはずだ。
ただし、〝策〟を今使わない理由は別にある。
「そうか、ならとっとと回復させることだ」
幸い、レミリスは深く追求してこなかった。
戦の行方を気にかけているのであれば、副王がそうであったように、執拗な程に追及されるのが普通だろう。
つまり、この女は戦争がどうなろうと関心などないのだとサクヤは確信する。
「ところで、ひとつ気になっていたことがある」
「気になっていたこと?」
膠着した戦況を打破するための策よりも気になることとは何なのか。
サクヤは首を傾げた。
「副王を唆してまであの男を開拓村に追いやった理由は何だ?」
サクヤは口を噤み、対面する女の顔をまじまじと眺める。
相変わらず瞳は酒で濁り、顔色は飲酒中とは思えぬほど血色が悪い。
まるで感情が読めなかった。
この女、どこまで気付いている。
いや、何が見えている。
サクヤは好奇心が疼くのを抑えながらとぼけてみせた。
「我ら三人と異なり、奴は迎撃任務に苦戦し大きな怪我まで負った。今の奴には盆地での決戦に対応するだけの実力がないと判断した」
「完全な嘘ではないが、せいぜい理由の一割から二割といったところだな。本当のところはどうなのだ?」
「実は占いで村の方向に凶兆が出た。ブシュロネアが何らかの作戦のために村を襲うのなら、阻止するためにも実力者を配置する必要があった」
「やはり嘘ではなさそうだが弱いな。それが理由のすべてだとすれば随伴の兵数が少なすぎるし、事前に注意喚起をしない意味も不明だ。私には貴様が故意にあの男を窮地に追いやっているように感じた。そう考えれば先日迎撃任務に志願したのも辻褄が合う」
「私がミツキを? 何故そんな無意味なことを?」
「その反応からすると、〝無意味〟ではないのだろう?」
サクヤは舌を巻いた。
やはり、ただの飲んだくれではないらしい。
ここまで核心に迫ったのなら、ご褒美に正解を教えてやろうという気にもなる。
「……そうだな。まあ、言ってしまえば、あれを強くするためだ」
「それは実戦経験を積ませてという意味か?」
「それこそ『せいぜい理由の一割から二割といったところ』だ。より直接的な理由で、奴は強くなる」
黙り込んだレミリスに対し、サクヤはニイと笑みを見せる。
ミツキに生理的な嫌悪を催させる、美しいが人間性の欠片も感じさせない無機質な笑顔だ。
「そもそも、闘技場では簡単な魔法さえ使えなかった奴が、何故数千の兵を退けられたのかと言えば、私が奴に力を授けてやったからだ」
「……続けろ」
「はじめて側壁塔に連れて来られた夜、私はあれを夜の森へと誘い、そこで今後の協力を条件に特別な力を行使するための処置を施した。その方法とは外科手術によって脳に特殊な器官を形成するというものだ。力というのは、魔力操作や五感、身体機能を拡張させるというもので、手術は無事に成功し、奴は力を手に入れた」
「しかし、不十分だったと?」
「そうだ。奴に与えた力は、極めれば天変地異さえ引き起こす。そこに至るまでには数十年を要するとしても、将兵と一騎打ちして辛勝する程度の実力ではとてもこの先役立つとは思えん」
「しかし、それと襲撃される可能性の高い土地へ派遣することと何の関係がある?」
「関係ならある。実は、その力には一瞬で爆発的に能力を向上させる方法がひとつだけ存在する。その方法とは――」
村の入り口には敵の見張りがいる可能性が高いと考えたミツキは、道を外れ森の中を駆けた。
開拓村の周囲は森に囲まれており、そこには魔獣の侵入を防ぐための罠が無数に仕掛けられている。
ミツキのように事前に説明を受けていないと侵入するのは非常に危険だが、だからこそ今はもっとも安全な経路だと考えられた。
このまま森を進めば、自分たちが世話になっている施設の近くに出るはずだ。
村の現在の状況はわからないが、子どもたちとレーナの身の安全を最優先に動く。
もし賊に気付かれず侵入できたなら、まずは皆を森から逃がすべきだろう。
そう考え、そううまくいくのかという疑念が脳裏をよぎる。
そもそも、あれだけ煙が上がっていたのに、未だ村人たちは無事なのか。
襲撃者の正体がブシュロネア兵だとすれば、自分たちの国土の際で闇地の開拓を行い、越流を引き起こしていたアタラティアの開拓民に対し良い感情を持っているとは思えない。
組み伏せたレーナに圧し掛かる横で子どもたちをひとりずつ殺すブシュロネア兵たちの姿を想起し、ミツキは吐気を催す程の嫌悪感に顔を歪めた。
そして、そんな最悪な想像を暗示するかのような何かの燃える匂いが漂い始めた。
森が途切れる。
ミツキは身を屈め徐々に速度を殺し、森と村との境界に生えた樹の幹に手を付き前方に視線を送る。
その目に飛び込んできたのは、意外な光景だった。




