第十五節 『忘我』
「くそ! 何なんだこいつは!」
「落ち着け! 矢だ! 矢を射掛けろ!」
その声を聞いて敵先頭集団の後方へ視線を向けると、数名の弓兵が弓を引き絞っていた。
鉄球を向かわせようと意識する暇も無く、次々と矢が放たれる。
しかし、ミツキに直撃する矢は皆無だった。
今のミツキの念動では、勢いの付いた矢を止めることはできないが、狙いを逸らすぐらいなら難しくはなかった。
射掛けた矢が、敵を避ける様に外れたのを見て、ブシュロネア兵たちは息を呑む。
「怯むな! 敵は満身創痍だ! 一気に畳み掛けろ!」
「冗談じゃねえ! どうやって攻撃されているかもわからねぇうえに矢も効かねえんだぞ! やってられるか!」
突出して来たブシュロネア兵の中に、後退する者が出はじめていた。
上官を殺され逆上したものの、手痛い反撃を受けたことで急速に頭が冷えたのだろう。
ミツキは、それでも突撃を試みる者を優先的に狙い、鉄球を操った。
元々、撤退させるのが目的なのだから、逃げる者まで攻撃する気はない。
とはいえ、再び矢を射掛けられることを警戒し、後方の敵にも頻繁に視線を送る。
すると、敵集団の中に、ミツキに向けて手をかざしながら、口を動かし続ける者を数名発見した。
「……魔法か」
ミツキに続いて、仲間の詠唱に気付いた兵士の叫びが耳に届く。
「何をやってる! 突出した連中を巻き添えにする気か!」
「うるせえ! 魔法じゃなきゃ倒せねえだろ、あんなバケモノ!」
前方の味方を気遣い詠唱を止めさせようとする兵士と、魔法を使わせようとする兵士の間で衝突が起こる。
仲間割れかよ、と呆れる。
もはや、ブシュロネア兵らの統制は失われつつあった。
「そんなもの使わせるか」
斬り込んで来る集団を攻撃していた鉄球の内、ふたつを後方へ飛ばし、魔法を詠唱中の兵士を狙い撃つ。
魔法は発動までに時間が掛かる。
詠唱に集中している間は無防備なので、いい的だった。
ついでに、矢をつがえようとしている弓兵らも襲撃する。
さすが弓兵と言うべきか、飛来する鉄球を視認し、身を伏せて逃れた者が数名いた。
と言っても、鉄球を旋回させ、立て続けに攻撃すると、もはや躱せる者は皆無だった。
その間も、街道の幅いっぱいに広がり、突撃を試みる兵士たちへの攻撃も断続的に行う。
街道が半ば森に呑まれ、足場が悪いうえ草木が障害物になっているため、兵士たちの足が度々止まるのは、ミツキにとって好都合だった。
飛ばした鉄球を見失ったり、狙撃した敵の肉体や樹木などの障害物にめり込んでしまうと、すかさずポーチから予備を取り出し射出する。
足を止めて集中しても、一度に操れる鉄球は五個が限界のはずだったが、いつの間にかミツキは、十個前後の鉄球を操作していた。
狙いはそれほど正確ではないが、今は手数の方が優先される。
「ダメだ、近付けねえ! 攻撃が見えねえんじゃどうしようもねえだろ! オレは引くぞ!」
「逃げるな! 目視できんうえ攻撃の間隔も早いが単騎狙いだ! 数で押せば対応が間に合わなくなるはずだ! 倒されても仲間の突撃を妨げんよう横に広がって一斉に掛かるんだ」
「馬鹿野郎! そんな自殺行為に付き合えるか!」
突出した兵士たちの連携も大きく乱れていた。
前進を試みる者と引き返そうとする者が衝突し、足が止まったところをミツキに狙い撃たれた。
それどころか、転倒して仲間から踏み付けられ動かなくなる者も少なくない。
あるいは、街道と闇地の境が曖昧なため、誤って闇地へ踏み込んでしまい、魔獣によって物陰に引きずり込まれる者もあった。
その断末魔の悲鳴に、ミツキは今更闇地の恐ろしさを実感する。
ブシュロネアの部隊全体は撤退に移りつつあった。
だが、油断はできない。
それでも残って攻撃を試みる兵士は、明らかに死を覚悟した者たちだからだ。
〝飛粒〟の操作に全神経を集中する。
己に殺到する兵士たちの一団が血煙を上げて瓦解する。
樹上から弓矢での狙撃を試みる敵兵を先んじて撃ち落とす。
足が折れてなお這いつくばって前進する者に止めを刺す。
それでも攻撃は終わらない。
もっとだ。
もっと鉄球を増やさなければ。
それにもっと速く。
もっと正確に。
もっと効率良く。
もっと無慈悲に。
もっとたくさんの敵をもっともっと殺さねば。
もっとだ。
もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「……キ……ツキ……ミツキ!!」
名前を呼ばれ、ミツキは我に返った。
己の肩を掴んだショートヘアの女が、心配そうに顔を覗き込んでいる。
「……リーズ?」
ようやく反応を返したミツキに、リーズは安堵の溜息をついた。
「全然動かないから心配したよ。膝立ちのまま気を失ってたの?」
「え? ……わからない。というか敵はどうなった?」
リーズが横に身を動かすと、正面に凄惨な景色が広がっていた。
「これは……」
散乱する無数の屍、薙ぎ倒された木々、そのすべてが鮮血に染まり街道を埋め尽くしていた。
「……オレが、やったのか?」
ミツキは半ば放心したような面持ちで立ち上がると、ふらつきながら地獄のような風景に向かって歩き始める。
「ちょっと、どこ行くのさミツキ」
「え? ……いや、生存者とか……」
「生存者? ああ、捕虜ね! それなら奇跡的に無傷で気を失ってるのを見つけたから、ふん縛っておいたよ。ほら!」
そう言って視線を落とした彼女の足元には、胴と腕、手首と足首を縛り上げられたうえ猿ぐつわを噛まされたブシュロネア兵が転がされていた。
未だ気を失っているのか、ぐったりとして動く気配がない。
「多分、突撃中に他の兵士の転倒に巻き込まれて頭を打ったんだと思う。頭に軽い打撲の跡があるから。他の遺体の有様を見れば、この程度の怪我で済んだのは大した悪運だよね」
ミツキはリーズと縛られた兵士を幾度か交互に見た後、無言で背を向け再び戦場跡に向かって歩き出した。
「他に生き残りを見つけても、ふたりじゃ連れて帰れないよ?」
リーズの声はミツキに届いていない。
屍の合間を縫うように、ミツキは歩みを進めた。
放心していた時間が短かったのだろう。
戦場には未だ熱気のようなものが漂っている気がした。
気を失ったのは、限界を超えて〝飛粒〟を使い続けたからだと思われた。
魔法を使う際も、魔素の欠乏で意識を失うことがあると、事前に聞いていた。
戦闘の終盤は、ほとんど無我夢中で、ただただ向かってくる敵兵を仕留めることしか頭になかった。
突出した兵士の集団を壊滅させ、そのまま意識を失ったのだろうか。
倒れている者以外に敵兵の姿が見当たらないということは、他の敵兵は自分が意識を失っている間に撤退したのだと推察された。
ミツキは戦場跡の真ん中で足を止めると周囲を見渡した。
「全部……オレが殺したんだ」
まるで実感がなかった。
手に掛けたと言っても、斬ったり突いたりしたわけではない。
だから、体には殺したという手応えがまったく残っていない。
今のミツキには、それが、何か酷く卑劣な事のように感じられた。
「……やっぱ、生きてる奴なんて、いないよな?」
倒れている兵士ひとりひとりを確認しながら、ミツキは再びふらふらと歩き出した。
生存者がいたとしてどうしようもないのは理解しているし、それどころか遺体に紛れて身を潜めた生き残りから攻撃される危険があるとも認識していた。
だから、自分が何故、死んだ敵兵を見て回っているのか、ミツキには自分の行動の理由がわからなかった。
死体の様子は千差万別だった。
恐怖に表情を歪めた者、憤怒を顔に張り付けた者、己の死という現実への理解が及ばず驚愕を浮かべた者、意外にも安らかな顔で事切れている者、そもそも顔が吹き飛ばされている者、どれもこれも何かフィルターを通して見ているように感じられる。
殺し過ぎて感覚が麻痺してしまったのか、そんなことを考えていたところ、ブーツの爪先に当たった遺体の頭に目を向け、小さく息を呑んだ。
若い。
少年兵だろうか。
まだあどけなさの残る容貌は、十代の半ば、あるいは前半ということも十分にあり得るとミツキには思えた。
表情はなかった。
ただ唐突に時間が停止したかのように、茫洋とした顔で目も口も半開きだ。
ただ、その年若い兵士は、手にハンカチのような布を握りしめていた。
布の端には、小さく何か文字のようなものが刺繡されている。
彼の家族が持たせたのか、あるいは恋人か、友人か、そこまで想像した途端、喉をせり上がるものを感じ、ミツキは堪える間もなく、少年兵の顔面に反吐を吐きかけていた。
えずきながら膝を突き、喉と腹を押さえるが、胃の痙攣が治まらない。
ミツキは異変を察知したリーズが駆け付けるまでの間、胃液を地面に吐き続けたのだった。
白い霧の中に佇んだサクヤは、額の第三の目を閉じると、ゆっくりと相貌を開いた。
ようやく他の街道の迎撃が終わった。
その様子は、蟲術と瞳術によってすべて観察することができた。
やはり、トリヴィアとオメガの戦闘能力は破格だと言えた。
特に、トリヴィアは総合的に能力値が高く、技術や心構えにおいても非の打ち所がない。
若干暴走気味な面に目を瞑れば、今後も頭抜けた活躍が期待できるはずだ。
オメガについては地形や状況、敵との相性が最も良く噛み合ったと言えた。
そうでなくても十分に化け物なのは間違いないが、状況によっては能力を発揮しきれない局面も出てくるかもしれない。
その点において、運用には注意が必要だろう。
「そして、ミツキ……」
少しずつ霧が晴れる中、サクヤは微かに陽光を覗かせ始めた北北東の空に視線を向けた。
第一街道迎撃地点の方角だ。
「正直……おまえにはがっかりだ。折角神通を授けてやったのに、たかが一兵卒に手こずるとは、情けないにも程がある」
今回はたまたま勝利できたが、同程度の危機を何度も乗り越えるのは難しいだろう。
とはいえ、己の目的への理解があり、トリヴィアやオメガに比べ機転も利く。
未熟ながらも神通を使いこなし、この世界の人間と近い容姿という資質も考慮すれば、ここで見限るのは早計だとサクヤは思う。
「ではどうするか……」
元々、あれが単独で作戦に当たるよう仕向けたのは、神通のとある性質を利用し、一気に成長を促進させるためだった。
しかし、まったく無意味だったとは言えないものの、大した効果は上げられなかった。
ではどうするか、サクヤは考えを巡らせた。
「……神頼み、という手もあるか。ま、たまにはな」
そう呟くと、足元の影の中に手を突っ込み、何かを引きずり出した。
それは、先程呑み込んだブシュロネア兵の屍のひとつだった。
左手で足首を持ち自分の目の前に掲げたまま、サクヤは右手で手刀を作り、遺体の腰に突き入れた。
腰にめり込んだ腕を引き抜くと、その手には男の骨盤が握られていた。
用済みとばかりに遺体を投げ捨てると、左手の人差し指を立てる。
その先端に、青白い炎が灯った。
「本来なら亀の甲羅が望ましいところなのだが、元々獣の骨で行っていたというし、まあ人骨でも問題はあるまい」
そう呟き、指先の鬼火を骨に押し付ける。
加熱された骨は、煙を上げながら、やがて表面に亀裂を作った。
いわゆる亀卜と称される占術の一種だった。
甲羅や骨に火を当て、入ったヒビの形で占いを行う。
サクヤは未だ血にまみれた骨盤の表面をまじまじと眺めた。
「ふむ……北西に凶兆あり、か」
自分の現在地と、本陣で見た地図を頭の中で照らし合わせ、北西に何があったか思い出そうとする。
「そういえば……闇地開拓民の村があったか」
そういうことなら助けを向かわせてやらねばなるまい。
ただし、己とトリヴィアとオメガは、アタラティア軍とともに追撃戦に向かう必要がある。
差し向ける人間は限られることになるだろう。
「何が待っているかはわからんが、村民の命は救助者に委ねられることとなろうな」
独り言ちたサクヤは、ミツキの顔を思い浮かべほくそ笑んだ。




