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マッド ファンタジア ・ カーゴ カルト  作者: 囹圄
第三章

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第十一節 『炎風』

 焦土と化した第三街道に、緋色の毛皮に身を包んだ犬面の男が佇んでいた。

 周囲には炭化したブシュロネア兵の骸が無数に転がっている。

 正直、拍子抜けも良いところだと、オメガは首を振った。

 この獣人にとって、狩りこそが至上の娯楽であり、爪を振るうモチベーションだった。

 それが、この毛無し猿の兵隊共の脆弱さときたらどうだ。

 ただ一度の咆哮(ほうこう)で、枯れ葉のように燃え上がり、程なく消し炭と化して崩れ落ちる。

 これでは狩りではなく、単なる駆除ではないか。

 しかも、数だけは多いので、やり甲斐の無さに対して手間ばかり掛かる。

 これなら、あのデカ女との諍いの方が万倍もマシというものだった。


「防御魔法陣形を組め! 奴は極めて強力な炎の広域魔法を使ってくるぞ! 幸いここは沢と近く、水の精霊の加護が望めるはずだ。水系統魔法の得意な者は盾兵の後方に移動し奴を狙い撃ちにせよ!」


 炎の及ばなかった後方の兵たちが立て直しを図っているらしく、指揮官の声がオメガの耳にも届いた。

 最初の一撃で百や二百死んだのが敵の油断ゆえであったとすれば、対抗策を講じた後方の兵たちは、先程の者共よりかは楽しませてくれるのだろうか。


「いいぜ? もう一度見せてやるから、今度は気合入れて耐えきれよ?」


 そう言って身を屈めると、人を遥かに超越した脚力で跳躍した。

 魔法攻撃を試みようとしていた兵士たちは、詠唱の半ばで弾丸のように飛来する敵の獣人にまったく対応できず、腕の良い弓兵数名が辛うじて矢を射掛けたものの、オメガの発する熱が気流を乱し、一矢も当てることは叶わなかった。

 結果、オメガは敵陣の真っ只中に着地した。

 突如、上空から降って来た敵に、ブシュロネア兵たちは慄いた。

 前方では数百の味方が一瞬で焼き殺されたのだから、無理もない。


「何をしている! 勝機だ! 討ち取れ!」


 指揮官が叫んだ直後、上を向いたオメガの口から、耳をつんざくような咆哮が発せられた。


「オオオォオオォオオオオォォォォォォォオオオォォォォ!!!」


 その声に呼応するかのように、大地から炎が吹き上がり、兵士たちを熱波が襲った。

 二〇〇〇度を超える空気の波に呑まれた兵士は一瞬で発火し、次の瞬間には甲冑が飴のように(ひしゃ)げ、人体は炭化していた。

 〝炎叫(えんきょう)〟と呼ばれるその咆哮は、オメガの一族にとって最もポピュラーな攻撃手段だった。

 炎狼族の生息する世界は、熱気とマグマに覆われた灼熱の大地だ。

 そのため、多くの生き物は熱に対して強い耐性を備えており、〝炎叫〟による熱波でも簡単に死ぬことはない。

 ゆえに、本来〝炎叫〟は、物陰などに潜む獲物を炙り出し追い立てるための(わざ)だった。

 吹き上がる炎と熱波を掻い潜って逃げる獲物を爪や牙で仕留めるというのが、彼らの狩りの常套(じょうとう)手段だ。

 だから、〝炎叫〟の炎で簡単に焼け死ぬ生物など、オメガにとっては獲物と認識するに値しない。


「ああクソッ! まぁた瞬殺じゃねえか!」


 つまらない。

 いっそフケてしまいたい。

 しかし、そんなことをすれば、確実に呪い殺されるだろう。

 この兵士たちと同じ脆弱な人間に生殺与奪(せいさつよだつ)を握られているのは屈辱だが、今は忍従(にんじゅう)の時だ。

 現状への不満を熱気に変え、敵兵の更なる〝駆除〟のため、オメガは街道を進んだ。




 第二街道迎撃地点には剣戟(けんげき)の音が響き渡っていた。

 重装甲の鎧を纏った屈強な兵士が振り下ろした戦槌の一撃を、トリヴィアは片手で易々と受け止め、返す刃で鎧ごと敵兵の体を両断していた。


「次!」


 そう短く叫んで、敵の血肉を巻いた得物を血振(ちぶ)りした。

 トリヴィアが携えているのは、成人男性の身の丈ほどもある肉厚の鉈刀だ。

 ミツキとの訓練で多くの長物をオシャカにした結果、非市民区の鍛冶職人が苦肉の策で(こしらえ)えた武器だった。

 人の身では、どんな力自慢でもまともに扱うことは叶わないだろうその得物を、トリヴィアは易々と振り回した。

 実用性を無視してまで頑強さに特化した造りだけに、既に数十人の武者を鎧ごと両断しにもかかわらず微かな歪みも見られない。

 もっとも、刃だけは最初の三人を斬った時点で潰れてしまっていた。

 膂力(りょりょく)にものを言わせるトリヴィアの刀法では、刃がなまくらであるかなどさしたる問題ではないのだ。


「どうした、この街道を進みたいのだろう? だったら押し通るしかあるまい! 見事私を討ち取って見せようという者は他に居ないのか!?」


 戦槌の武者を最後に、尻込みして距離をとる敵兵に向かってトリヴィアは一喝した。

 しかし、誰ひとりとして動こうとはしない。

 既に、部隊の中でも猛者として名を馳せた戦士たちが易々と討ち取られているのだから、当然の反応だと言えた。


「ひとりと言わず、何人で掛かって来ても一向にかまわんぞ!? このままでは埒が明かんだろう!」


 それも既に試している。

 数人の兵士で取り囲もうと、巨躯に似合わぬ俊敏な動作で鉈刀を一閃し、包囲した兵たちの首は瞬時に刈り取られた。

 遠くから矢も射掛けた。

 しかし、蚊トンボでも追い払うかのように、腕のひと薙ぎで矢を弾き落とし、たまたま突き刺さった数本とて、肌に小さな傷を残しただけなうえ、その傷も一瞬で治された。

 要するに、白兵戦闘では、もはやブシュロネア兵は万策尽きたのだった。


 トリヴィアは溜息を溢した。

 なんと不甲斐ないのだ。

 この世界では男の方が圧倒的に戦向きだと聞いていたのにこの(てい)たらくだ。

 現に目の前の兵士たちもほとんどが男だが、まるで愛玩用の小動物とでも戯れているように歯応えがない。

 完全な女系社会を形成する種族のトリヴィアにとって、同族の社会ではコロニーにたった一人しか存在せず、この世界の少女のような華奢(きゃしゃ)な体で一族の繁栄を一手に担う男は、慈しみ守るべき対象だ。

 だからこそ、目の前で哀れな程に怯えた異種族の男たちと戦うことに、これ以上の意義を見出せない。

 せめて、同族の女程度の力を持つ者がいれば、少しはやる気も出るのだが、と思わずにはいられなかった。


 その点、同じ人の男でも、ミツキだけは別格だと言えた。

 己の同族の男に比べれば大きな体ではあるが、この世界の一般的な成人男性と比較すれば細身で顔の造りも幼く、トリヴィアの中の()()()男性像により近い見た目だ。

 一方で、魔法も使わず格上の敵に果敢に挑む気概と戦士としての高潔さは、同族の優れた女性の戦士にも見劣りしない。

 つまり、トリヴィアにとってミツキは、異性に対する庇護欲と、同性への尊敬を同時に満たし得るという稀有な存在だった。

 しかも、鍛える程に強くなるのが楽しく、時間を共有するほど思い入れは強まった。

 社会性の強い種族であるトリヴィアは、ただひとり放り出された異世界で、本来同胞に向けるべき感情の総てをミツキにそそいでいた。


「ミツキは第一街道の迎撃を任されていたから、今から急いで向かえば加勢できまいか。いや、さすがに無理か。よもやこの程度の連中に後れを取るとは思えんが、もし流れ矢でも当たったら大怪我にもなりかねん。ああ、心配だ」


 もはや目の前の敵の存在など忘れ、ミツキの身を案じてブツブツと独り言を口にしていたトリヴィアの耳に、敵指揮官の声が届いた。


「よく時間を稼いでくれた! こちらの準備は整ったゆえ射線を空けよ!」

「ん、なんだ?」


 眼前のブシュロネア兵たちが左右に割れると、ローブを纏った魔導士と思われる数人の兵士が前面に掌を掲げ呪文を唱えながら、中空に巨大な魔法陣を構築していた。

 その脇に控えた指揮官と思しき豪奢な鎧の武官が、勝ち誇ったように声をあげる。


「詠唱に時間の掛かる魔法ゆえ大分犠牲を出したが、おかげで貴様を倒す用意が整ったぞ! 二級魔法とは言え、局所的には一級の殲滅(せんめつ)魔法と同等の威力だ! その身をもって味わうがいい!」


 指揮官が振り上げた腕を下ろすと同時に、魔法陣の中心に光球が膨れ上がり、魔導士たちが最後の呪文を叫んだ。


「〝煉熱焦爆球(バビロ・イグゾート)〟!!!」


 詠唱の完了を合図に、射出された光球は一直線にトリヴィアへ向かうと、眩い閃光を放ち爆裂した。


「仕留めた! これで散って逝った部下たちも報われよう!」


 兵士たちから歓声が上がった。

 街道を破壊せず、かつ高威力の魔法という限られた選択肢の中で、指揮官は最善の行動をとったと言えた。

 魔素消費の激しい魔法ゆえ魔法士部隊はしばらく使い物にならず、主戦力となるはずだった兵士たちも失った今、作戦の続行は困難と言わざるを得ないが、生かしておけば確実にブシュロネアの脅威となり得る化け物を仕留めたことに指揮官も兵たちも高揚していた。


「小休止の後、我らは一度撤退する! 一部隊が欠けようと作戦は続行と厳命されている以上、ティファニアへの侵攻は友軍に託す! だが、この撤退は決して敗北ではない! 我らは一丸となってあの化け物を打倒し、ブシュロネアの危機を救ったのだ! 胸を張って帰ろうではないか!」

「皆の者、勝鬨(かちどき)を上げよ!!」


 副官の号令を聞き、兵士たちは一斉に鬨の声を上げた。

 その声は、部隊後方へと伝播(でんぱ)し、やがて闇地を震わせんばかりの大音響となった。

 しかし、最初に勝鬨を上げた部隊前方の声は、徐々に失われて行った。

 そして、前方の不穏な空気は後方へと伝わり、鬨の声はいつの間にか不安のざわめきへと変わった。

 そんな中、色を失くした表情の指揮官が、消え入りそうな声で呟いた。


「……そんな、馬鹿な」


 光弾の弾けた場所に立ち込めていた煙は、唐突に発生した旋風に(さら)われ、部隊前方の視界が開けた。

 そこには、前方に向け手を伸ばした灰肌巨躯の女が立っていた。

 掌が黒ずんでいることから、魔法を片手で受け止めたことが察せられた。

 しかし、体に目立った外傷はない。

 焦げた掌以外で先程から変わった点といえば、気の抜けたような表情が憤怒の形相に変わったということだけだった。


(オメガ)の炎に比べればまるで大したことないな……とは言え、剣の勝負に魔法を持ち出すなど無粋の極みだ」


 トリヴィアの一族にとって、己の身と得物のみを用いた決闘こそ尊ぶべきものであり、凶悪な害獣の駆除などを除けば、戦闘に魔法を持ち出すのは野暮と考えられていた。


「それに何より――」


 前方に突き出していた手を眼前でまじまじと観察する。


「服の袖口が焦げてしまったではないか! ミツキが夜なべして作ってくれたものだぞ! 貴様ら絶対に許さん!!」


 そう言った途端、トリヴィアの瞳がネオンブルーに輝き、先程爆煙を攫ったものとは比べ物にならない規模の旋風が吹き荒れた。


「な、なんだこれは! ま、魔法!? 詠唱もなしに!? しかも、この凄まじい威力! 最上位の一級魔法でさえ――」


 そこまで口にして、指揮官は風に巻き上げられ空の彼方へ姿を消した。

 兵士たちは我先にと街道を引き返そうとしたが、後方の兵士が邪魔をしてなかなか進むことができず、立ち往生している間に竜巻に呑まれて次々と飛ばされていった。

 仮に、飛ばされた先で運良く生き残ったとしても、街道が闇地を貫いている以上、落下地点もほぼ間違いなく闇地内であり、生存は絶望的だろう。

 そして、竜巻は兵士以外のものも上空へ巻き上げていった。

 街道の石畳は捲れ上がり、地面も大きく抉り取られた。

 結界は半壊し、第二街道はこの日をもって廃道となったのだった。




「何をやっているんだ、あの女は」


 王耀晶のタブレットで戦いの様子を窺っていたレミリスは、呆れた様子で呟いた。


「ああぁ、第二街道が見るも無残に……この損失はまずい」


 幕僚のひとりが頭を抱えて情けない声を上げた。

 前線に出ているが、普段は内政に携わっているのかもしれない。


「まあ、攻め入られるよりは遥かにマシであろう。これから闇地向こうとの連絡速度は落ちることとなろうが、交通は第三街道に集約するしかあるまい」


 副王ウィスタントンがフォローを入れた。順調に迎撃が進んでいるためか、声音には余裕がある。


「これで四街道中二カ所、ルヴィンザッハ卿の言を信じるなら三カ所の防衛は成功したわけだ」

「……ああ」

「では、後備えはすべて第一街道に向かわせるよう手配しよう。ブシュロネアが闇地を通って来るなら、低深域とはいえあまり長い距離は進めまい。ならば第一街道付近の闇地との境界に兵を展開すれば、奴らの侵攻は未然に防げよう」

「お待ちください」


 第一街道の迎撃が失敗したような副王の言い様に、珍しくアリアが口を挟んだ。


「未だミツキ様は戦闘を継続しておられます。それを――」

「控えろアリア。仮にも副王だぞ」

「はっ。分を弁えぬ発言、どうかご容赦くださいませ」


 使用人を嗜めるレミリスも、謝罪したアリアも、声に感情がこもっていないため、まるで言葉に重みが感じられない。

 幕僚たちが眉を顰める中、副王は意に介した風もなく鷹揚に応えた。


「ああ、かまわんよ。確かに、あの青年は今なお奮戦している。しかし、勝負の行方がわからぬ以上、保険は必要だ。他の三街道にその必要がなくなった以上、第一街道に兵を集結させるのが妥当ではないかね?」

「……ご慧眼、恐れ入ります」


 副王はアリアに微笑みかけると、取り巻きの幕僚たちに向き直った。


「各自、旗下の部隊に出立の準備を急がせよ。ブシュロネアは既に低深域の手前まで到達している。時間的猶予は無いものと心得よ。それと、各陣への伝令も直ちに飛ばすように」


 副王を含めた武官たちは、三々五々に散って行った。

 天幕に残ったのは、レミリスとアリアのふたりだけだ。


「お嬢様、ミツキ様はこの危機を脱することができますでしょうか」

「さてな。私はただの監視役だ。あれがどうなろうと知ったことではない」


 俯くアリアにちらりと視線を向け、レミリスは酒を煽った。

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