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14 故郷の入り口③

 深い眠りからふと覚めた。

 辺りはすでに薄暗い。

 一瞬、るりは自分がどこにいるのかがわからず混乱した。

 どこからともなく、水道の水を流すような音や食器の触れ合うような音が聞こえてくる。

(あ……そうか)

 小波の、碧生の家だ。

 昼過ぎに最寄りの駅に着いて、そして……。

 起き上がろうとして、るりは、自分が何も身に着けていないのに気付く。あわてて布団の中を探ると、下着だけは見つかった。後ろめたいような気分で下着を身に着ける。

 こういう場合、脱ぐ時は何も考えていないから別にかまわないが、着る時は非常に気まずいのだと知る。

 取りあえず下着は身に着けたが、上に着ていた服が見当たらない。

 何と言っても薄暗いし、勝手がわからない部屋なので照明器具のスイッチもよくわからない。

 何故かベッドの上に投げ出されている、碧生が着ていたワークシャツくらいしか、今すぐるりが着れそうなものは見当たらなかった。

 裾が長めのメンズのシャツなら、小柄なるりなら短めのチュニックくらいになる。

 取りあえずそれを借りて寝室を出よう。そしてリビングかキッチンにいる碧生に、寝室の照明をつけてもらうなりなんなりした方がいい。

 そう思い、そろそろと碧生のシャツを取り上げて袖を通す。

 動くと、身体のあちこちが重だるいような痛むような感じがする。

 ベッドから降りて歩くと、腰や膝に力が入らなくて驚く。なんとなくよたよたしてしまう。

「やだな、もう」

 身体が思うように動かなくて、忌々しいような恥ずかしいような、持て余す気分になる。


 リビングのドアを開けてそっと覗くと、ちょうどキッチンからこちらへ向かってきた、黒いエプロンをつけた碧生と目があった。

「あの。碧生さ……」

 るりが呼びかけた途端、碧生の顔が真っ赤になった。

「る、る、りさん」

 そして目を背ける。

「あの。それはあきません。ダメです。反則です」

「え?」

 意味がわからず目をぱちぱちさせていると、碧生は軽く咳払いをした。

「いやその。とにかくまずいです。ある意味、裸よりセクシーですよ、その恰好は。その場で押し倒されても文句言えませんよ?」

 不整脈出そうや、と、まんざら冗談でもなく碧生は、赤い顔のままつぶやいた。

 そこまで言われ、自分の今の姿が自分で思っているより、かなり煽情的だということを初めて察した。

「え?あ?あ、あの。ち、違うんです!寝室が暗くて、でも灯りはどうしたら点くのかよくわからなくて。自分の服がどこにあるのかわからなくて、あのその……」

 ああ、と碧生は、ようやく納得した顔になった。

「あ……ああそう、そうやな。あっちの灯り、点けましょう」


 なんとか服を見付けて身に着け、もう一度リビングへ行く。

「メシ、食いましょ」

 エプロンをきりりとしめた碧生が笑う。

「いやまあ、今日の晩飯は駅前にあるイタリアンでも行こかと(おも)てたんですけどね、今から出るんもちょっと面倒やし。あり合わせのつまらんおかずですけど、何とかカッコはつきましたよ」

 るりは驚いて碧生の顔を見た。

「え?碧生さんが晩ごはんを作って、ご馳走してくれるんですか?」

 碧生は少しあわてた顔になる。 

「いや『ご馳走』なんて言われたらメッチャ困りますねえ。あり合わせもあり合わせ、残りもんの野菜と冷凍してた肉をチャチャっと炒めた野菜炒めと、味噌汁と、あとはちょこちょこ。一応味噌汁は真面目に昆布とカツオで出汁取って、飯は炊き立てなんがご馳走っちゅうだけの、ショボい飯です。お客さんに出すようなモンやないですけど、そこはカンベンしてもらって。明日は何か美味いもんでも食いに行くってことで……」

(野菜炒めと、味噌汁)

 るりはふっと胸があたたかくなった。

 こういう、いわゆるご馳走でも何でもない普段着のおかずを気軽に作って、食べさせてくれる。

 そんな人と久しぶりに会った気がする。

 祖父母に死なれて以来、こういう気取りのない普段の食事を誰かと囲んだ事がない。

 自分で作る食事は必要な栄養をバランス良く摂る為か、ただ飢えを満たすために仕方なく食べるものだった。

 そんな暮らしをしていると、根なし草になったような虚しい気分が食卓に揺曳する。

 今いる町に愛着がない訳ではないが、自分がここで生きている、確かな実感は正直ない。

 だけど彼と……彼が作った、あるいはるりが作った気取りのない普段着のおかずを、一緒のテーブルで食べたのなら。

 この町でしっかり生きている、実感がわきそうな気がした。

「……私はお客さんじゃないですよ、碧生さん」

 一瞬、彼は虚を衝かれたような顔をした。

「私はご両親以外で、あなたを『碧生(あおい)』さんって呼ぶ者なんですよ?だから、お客さんじゃありません」

(彼は私の故郷(ふるさと)……故郷への入り口、みたいな人なんだ)

 そんなことをるりは思う。


 碧生はふわりと、極上の顔で笑った。

 

 

                     《完》

『月の末裔』、完結いたしました。

最後までお読み下さいまして、ありがとうございました。


たくさんの感想やFA、レビューをいただいた幸せな作品です。

応援して下さいました皆様方に、深く感謝申し上げます。


こぼれ話や番外編を、『月の別館』としてチマチマ書いてゆこうかと思っておりますが、本編はあくまでもこれでおしまいになります。


ありがとうございました。

また別のお話でお会いできれば幸甚でございます。ではこの辺で。

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― 新着の感想 ―
[良い点] あっという間に物語の世界に引き込まれて最後まで一気に読んでしまいました。 ずっと孤独と人を傷つけてしまう恐怖に耐え続けてきたるり。 穏やかながら内に熱い思いを秘める碧生。 二人が結ばれて幸…
[良い点] 前半のるりの思いつめた様子が凄くよかったですし、呪いが出てきたときのあの絶望感! でもそんな強烈な力に対して「神任せ」にならないのがまたよかった! なにしろ神のスタンスが「干渉しない」な感…
[良い点] のめり込んで時間忘れました。 草木の静かさと怨霊との対比、現実と夢世界の無理ない行き来、作者さまの力量が存分に発揮された凄い作品でした。 書いてくださりありがとうございました。 [一言] …
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