13 よもつひらさか②
次にはっとした時、るりは再び『生と死の狭間』にいた。
やはりふらふらと、るりは白い大地をさまよう。
焦燥が胸を炒るが、何故なのか理由はわからない。
会わなければ。捉まえなければ。
その言葉だけがぐるぐると頭を回る。
少し先に、青いくらい白く輝く着物を着た漆黒の髪の青年が、すっ、と背を伸ばして立っているのに気付いた。
何かを探すように彼は、紺碧の空を見つめている。
と、彼は上を見つめたまま、ふわりとほほ笑んだ。そして迷いなく腕を伸ばし……消えた。
「……結木さん!」
焦燥の正体が何か不意に気付く。
叫んだが、瞬くうちに声は真白の大地に吸われて消えた。
次にはッと気付くと、るりは病室らしい白い部屋にいた。
何故か一切の音はない。
部屋の真ん中にベッドがあり、青ざめた少女が白いシーツに包まれるようにして眠っていた。
入り口の扉が静かに開き、白衣の医師が入ってくる。
憔悴した少女を痛ましそうに見つめ、彼はベッドのそばのパイプ椅子に座る。
「……なるほど。そういうことやったんですか。どこまでも……つらいですね」
深いため息と共に吐き出される、柔らかな西の地方のイントネーション。
ベッドの少女はいつの間にか起きていて、半身を起こして医師をにらんでいる。
「同情なんかやめて下さい!同情される……価値さえないんですから、私なんて」
白衣の医師が痛みをこらえるように顔を歪めた。
少女はしかし、それに気付いた様子はない。
「死ねば良かったんです、あの時に。ツクヨミノミコトに望むのは、見たくない知りたくないじゃなくて、死なせてほしいが正しかったんですよっ。……あの時は兄の力も弱かったし、頼めばミコトだって私……私たちを、死なせて下さったでしょう。だけど私は、意地汚く生き続ける道を選んだんです。私が生き続けたせいで、死ななくてもいい人がどれだけ沢山死んでしまったか……」
言い募る少女はいつの間にか、追い詰められた形相の大人の女になっていた。
医師は痛みをこらえた表情のまま、静かに患者を諭す。
「そやけど、殺したんは神崎さんやなくて神崎さんのおにいさんです。あくまでおにいさんの暴走であって、神崎さんの望みやなかった筈でしょう?」
「でも私のせいで……」
医師の表情が変わる。怒りなのか哀しみなのか、彼は青ざめる。
「神崎さん!」
怒気をはらんだ声。さすがにかたくなな患者も、息を呑んで顔を上げる。
「いい加減にして下さい。貴女の態度は、むしろ傲慢ですよ」
思いもかけないことを言われたのだろう、患者の女は医師を茫然と見ている。
青みがかって見えるほど白い、彼の白衣。
「八歳の子供が家族にそばにいてくれと願うんが、そんなに悪いことですか?つらすぎる思い出を封印して生きてきたことが、そんなに悪いことですか?そばにいてくれと望んだ家族がたまたま、みんなに多大な迷惑かけよる愚か者やったとして、神崎さん、その八歳の子供に同情もせえへんと蛇蝎のように嫌いまくるんですか?」
大息をつき、彼は声を落として続けた。
「……一回、冷静になってよう考えて下さい。自分やなくて別の人が、もしそういう立場やったとしたら。神崎さんその人を責めるんですか?お前が死ぬべきやった、心の底からそう思ってその人を足蹴にするんですか?とっとと死んでまえ、むしろ遅すぎるんじゃ、ちゅうて、罵りますか?」
患者は硬直し、己れの医師を見つめていた。
彼だけは自分を否定しない。
そんな無意識の傲慢な確信を叩き潰され、思考停止に陥っている。
医師は、自分を落ち着けるようにもう一度大きな息をひとつつく。
「神崎さんの周りにはイヤな奴しかいなかったんですか?さすがにそこまでやないと思います。大体、お父さんの生きてくれという望みを、神崎さんはどう思てはるんですか?ツクヨミノミコトが神崎さんの為に十何年間も目を閉ざしてくれてはったんを、どない思てはるんですか?お祖父さんお祖母さんが神崎さんを可愛がって育ててきたのんを、どない思うてはるんですか?死ねば良かった死ねば良かったって……」
医師はついに涙をこぼした。
絶望と哀しみ。
自分のしたことは無駄だった、彼女の望みは生ではなく死。
彼はそう思ったのだ。
「なんぼ自分の命やからって、粗末にし過ぎやっ!神崎さんを大事に思う人みんなに対して、なんぼ何でも傲慢過ぎや!」
自棄のように叫び、失礼します、と言って彼は、椅子から立ってきびすを返した。
患者の女は呆けたように、医師が出て行った扉を見ている。
「追いかけて!追いかけるの!早く!」
るりは女の耳元で叫ぶが、こちらの声は相手へ届かないらしく、女はぼんやりしている。
「彼を行かせたままにしないで!今生で……会えなくなってもいいの?」
女はハッとしたようにベッドから飛び降りた。
白い大地を女は駆ける。
無駄だと知りながらもるりは女の背を押し、共に駆ける。
「待って。待って下さい」
だが、追っても追っても二人の距離は縮まらない。
絶望に囚われた彼は、白と紺碧の果てへと急ぐ。
生き急ぎ、死に急ぐように。
「結木さん!結木さん!」
彼の背中がようやく近付いてきた。
「ごめんなさい。助けて下さい、一緒に戦って下さい!」
るりは女と一緒に必死に言い募る。
いや……この女は自分だ。
不意に風が吹き、彼の足が瞬間的に止まる。
白衣があおられる。
舞い上がったその裾を、女……否。
るりは、懸命につかまえる。
「結木さん!私と、生きて……」
白衣を手繰り寄せ、必死に彼の背に抱きつく。
「私と生きて下さい!」




