表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
71/79

12 対峙②

「おにいちゃん」

 るりの呼びかけに、明生はのろのろと向く。

 元から青白かった顔色が今は唇まで血の気を失い、紙のように白かった。

「おにいちゃん、ごめんね。おにいちゃんは今まで、一生懸命に私を守ってくれていたのに。私は……忘れてた。私がお願いして、そばにいてって言ったのに、お願いしたことすら忘れてた。何もかも忘れて果てて……おにいちゃんのこと、邪魔にばっかり思っていたよね?」

 邪魔に思って遠ざけず、もっと早くから、ちゃんと兄と向き合っていたら。

 たとえ目を閉ざしていたとしても、もう少しはわかり合えたかもしれない。

 少なくとも榊と有村は救えたかもしれない、とるりは思う。

 鉄道自殺をさせられた塚本少年、るりの知らない山根とか平井とかいう人は、さすがに無理だったかもしれない。

 が、それでもるりが早くから兄と向き合っていれば、救える命はあったかもしれないではないか。

 強い悔いが胸を食む。

 一連の惨劇は、事態がここまで進まなければ兄と向き合おうとしなかった、自分の罪でもあるのだ。るりはそのことを、今ようやく、明確に覚った。 

「私がもっと早く、本当の本気になっていたら。おにいちゃんがこんなに多く、罪を犯すこともなかったよね?ごめんなさい。謝って済むことじゃないけど、私はおにいちゃんに、まずは謝らないといけないと思うの。ごめんなさい、本当にごめんなさい」

「る、り……」

 兄はるりに視線を当てたまま、茫然と名を呼んだ。

 八歳の少女と二十六歳の女性が、彼の中でようやく重なったらしい。

「るり、るり……」

 夢遊病患者のような足取りで兄は、るりのそばへ寄る。

 手を伸ばし、るりの肩をつかもうとした。

 途端に彼は、電撃を受けたかのように身をのけ反らせ、尻もちをついた。

「おにいちゃんごめん。私はおにいちゃんに『疾く来よ』とは言ったけど。触れていい、とは許していないの」

 愕然として見上げる彼の瞳は、割れて光を失ったビー玉のようだった。

「おにいちゃん。今まで本当にありがとう。それから、本当にごめんなさい」

 るりは深く腰を折り、頭を下げた。かなり長く下げていたが、意を決してゆっくりと頭を上げた。

「おにいちゃん。今までありがとう。でも、()()()()()()()()()()()

 言の葉に強い意志の力を込める。彼の瞳にもうひとつ、大きくひびが入る。彼の絶望を思うとるりの胸も強く絞めつけられたが、言わなくてはならない。

 憎まれても恨まれても、言わなくてはならない。

()()()()()()()()()()()んだよ、おにいちゃん。もう、私から自由になって。御剣としての務めは、もう終わってくれていいんだよ」


 明生の顔には表情がなかった。

 怒りも悲しみも口惜しさも、何も。

 白い顔には二つの黒い目が、穿たれた穴のように光もなく並んでいた。


 どのくらいそうしていたのかわからない。

 不意に明生の肩がゆれた。

「なんだよ、それ」

 気の抜けたようなつぶやきだった。

「なんだよ、それ。そんなのありかよ。もういいからどっか行けってか?」

 はは、と、乾いた笑い声が虚しく響く。

「どこへ行けって言うんだよ?今まで……オレは今まで、お前の為に一生懸命……」

 ふらりと立ち上がる彼の姿には、風に吹かれて消えそうなあやうさがある。

「さんざん、守らせて……さんざん、使うだけ使って……もういいからどっか行けって?なんだよそれ。そんなのありかよ!」

 儚い立ち姿が、ふいに剣呑な暗い気配をまとう。

「そんなのありかよ!」

「明生さん!」

 鮮烈な声が明生を制する。結木だ。

「落ち着いて下さい、明生さん!」

「うるせえ!」

 叩きつけるように明生は、結木の制止を退ける。

「あんたに何がわかる!他人がごちゃごちゃ口をはさむな!」

(……ああ)

 やはり、と思う。

 兄はるりを許さない。

 逆の立場なら、るりだって許せないだろう。

 ようやくまともに向き合えたと思ったら、それがさよならを言う為だったなんて、ひどいにもほどがある。

(最悪の事態の、覚悟はしていたけれど)

 こちらからの絶縁宣言で、契りは結び目がほころんだ。

 しかしあちらが受け入れなければ、完全に縁は切れない。

 神崎明生は未だ神鏡の剣だ。

 剣は一度だけ、鏡に対して牙をむくことが許されている。

 自身の霊力(いのち)のすべてで鏡を破壊する『破鏡』。

 離婚を意味するこの技で、狂ったあるいは不実な鏡を壊す、剣にとって唯一の鏡への対抗手段、霊的な無理心中の手段だ。

(……結木さん。幸せになって下さい)

 おひさまが似合うあなたに相応しい、優しいそよ風のような女性(ひと)と。

 息苦しさに胸が痛んだが、彼が死んではそれこそるりは生きてはゆけない。

 自分の剣が犯した罪は、自分の命で贖おう。

 とても足りないが、少なくともこれ以上の被害は食い止められる、から……。

「『破鏡』!」

 叫びと共に明生の手に、父を、母を屠った禍々しい刃が握られる。

 契りを結ぶ前だったあの頃も、刃は凶悪な霊力を放っていた。

 が、己れの鏡を屠るつもりの破鏡の刃は凶悪であるだけでなく、剣自身の怒りや哀しみを極限まで吸い込み、見る者の逃げる気力や対抗したい意思すら吸い込むようだ。

 るりはがくりと膝をついていた。


 自分が剣に殺されれば、剣は満足して死んでゆく。

 意図していた訳でないとはいえ、るりは剣である明生を使ってきた。

 そんな自分が出来る、最後の罪滅ぼしがこれかもしれない。

 るりはうなだれ、目を閉じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] るりさんも子供だった、明生さんも。使命も知らない上に、恐怖に耐えられる精神も身に付いていなかった。他に誰が止められただろうか? 全員がハッピーエンドとはこんなにも難しいものなのか。 ま…
[気になる点] >自分の剣が犯した罪は、自分の命で贖おう。 ……まあそうなるよね わたしでさえきっと同じこと考えるとおもう [一言] なんともいえないですわー 誰も悪くないだけに
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ