11 月のはざかい⑨
「ぅらああああ!」
声と同時にナンフウの脚が、血まみれの男たちをあざやかに蹴り飛ばした。姿勢を崩してよろめく彼らへ、かつて柴田のものだった爪が閃く。
一閃。二閃。そして三閃。
柴田に操られた死霊たちの身体は引き裂かれ、鈍い音を立てて地に転がった。
地に落ちた彼らの身体は、炭酸が弾けるような軽い音を立てて細かい光の粒に変わり……静かに消えていった。
ナンフウの右手の爪はいつの間にか、禍々しい黒ではなく薄緑色になっていて、淡く発光していた。
「爪はオレの支配下にあるっちゅうたやろーが」
崩れていない側のよどんだ目を見開き、状況が理解出来ずに硬直している柴田へ、少し憐れむようにナンフウは声をかける。
「我々小波の木霊には、俗に言うフィトンチッドに癒しと不浄の浄化の霊力がまざってるんや。普通の木霊もある程度は持ってるけどな、我々は普通以上に強力やねん。あんたら程度の迷ってる霊やったら、何とか送ってやれんこともない程度には、な。さっき遥……メタセコイヤの木霊が吹いてた、笛の音に惹かれたんやろ?正直に言えや、おっさん」
柴田が虚ろな目をこちらへ向ける。
「遥の笛に惹かれたっちゅうことは、おっさんもシンドいんやろ?……もう寝ろや。色々思うことはあるやろうけど、もう忘れて寝ろや。これ以上罪を重ねたら、あんたが守ってるつもりの天使たちにも嫌われるばっかりやで」
柴田の唇が、わなわなと震え始めた。
【うるさい。うるさい、お前なんかに何がわかる!】
唇の震えは、いつの間にか全身の震えになっていた。
【天使たちに嫌われる?ああ嫌われてるよ。いつもいつもいつも!僕は彼女たちが大好きなのに、彼女たちは僕が嫌いなんだよ!】
断末魔の獣のように柴田は吠える。
【るりちゃんだってそうだ!まるで化け物に会ったみたいに、僕の顔を見ただけで悲鳴を上げて!僕が……僕が何したっていうんだよ、何にもしてないのにひどいじゃないか!】
「……そらまあ、そうかもしれんけど。嫌われてるもんはしゃーないやろうーが。ここはあんたが大人になって、スパッとあきらめろや、な?うじうじぐじゅぐじゅしてるから、余計に嫌われるんとちゃうか?」
持て余したような口調でナンフウが言うと、柴田はぎりっと唇を噛んでにらみつけてきた。かみしめた唇から、どす黒い血がしたたった。
【だまれ。だまれだまれ、わかったようなことを。大体この世にイケメンがいるから悪いんだ。天使たちはみんな、イケメンのおにいさんにはすぐ懐くのに、僕が近付くと逃げてゆくんだ。イケメンなんか……イケメンなんか……】
「いや待てや。それは多分イケメンがどーこー以前の問題、あんたがかもしだす変態オーラに天使ちゃんたちは怖がってるんやないかと……」
【うるさい!変態言うな!】
吠えて、柴田は素早く飛びかかってきた。すんでのところでかわし、ナンフウは大きなため息をついた。
「あああ、もう。どうしようもないおっさんやな」
ぼやくと彼は爪を引っ込め、ボキボキ指を鳴らして笑んだ。
「はいはい。暴れやんと気が済まんタイプの怨霊さんやな。エエからかかってこいや。気が済むまで遊んだるで」
大きな明るい満月が、ナンフウを照らして輝いた。
月の御剣・神崎明生は、月明りの中を進む。
(疾く来よ、万難を排して疾く来よ)
月の光が痛いくらい眩しい。
(るり……るり!)
オレはどこで間違えた?何を間違えた?
おにいちゃんはただ、お前を守りたかったんだ。
お前を苦しめるあれやこれやを、お前のそばから排除したかった。
お前に……喜んでほしかった。
おにいちゃん、と呼んで頼りにしてほしかった。
それだけだったんだよ。
【るり……るり……るり!】
眷属たちはごっそり減った。
身軽過ぎて肌寒い。
だけどどれほど眷属を従えて勢力を膨らませてみても、思えば、芯から肌寒さを癒すことはなかった。
一番欲しいもの以外はいくらあっても虚しいのだと、改めて明生は思う。
【るり……るり……るり!】
お前はきっと騙されている。
顔を見て話したいとあの子が言ったのは、自分が騙されていることを薄々察しているからなのかもしれない。
(……そうか!そういうことだったんだ!)
顔を合わせ、ちゃんと話をすればあの子はきっと目を覚ます。
月光を浴び、明生は哄笑する。
勝利の予感に胸が高まる。
【オナミのクサのツカサ・結木草仁。化けの皮をはがし、魂魄もろとも引き裂いてやる!】
さあ行こう。
ただ一人の、愛しい妹の許へ。




