11 月のはざかい⑤
翌日。
食事をしたり、その続きでお茶を飲んで雑談したりは、結木のいる離れでるりも過ごす。
しかし、それ以外の時間はそれぞれの部屋で休んでいた。
特に結木は体力的にきついらしい。
朝食の時間ギリギリまで布団で横になっていたようだし、食後るりが夫人に呼ばれて着物を見ている間も、ずっと横になっていたようだ。
「結木さん、お医者さんに診ていただいた方がいいんじゃないですか?」
離れに戻り、横になっている結木を見つけ、心配になったるりは言った。
横になったまま結木は笑う。
「いえ大丈夫です。難儀ですけど、『おみず神事』の次の日はだるくなるもんなんですよ、昔から。ですからご心配なく。ボク以外の人もみんなそうでしたから、そういうもんなんだと思いますね。寝てたら治ります、今までそうでしたから」
そしてるりを不思議そうに見る。
「神崎さんこそ、シンドないんですか?アチラでツクヨミノミコトとお会いしたんでしょう?かなり……大変やったんやないかと思いますけど」
「大変は大変でしたけど……」
るりはなんとなく口ごもる。
「多分ですけど、月の氏族の者はアチラに近い生き物なんです。ほら、海辺で暮らしている人は、泳いだり潜ったりするのが得意な人が多いでしょう?つまりそういうようなものなんじゃないかと思います」
なるほど、と結木はふわりと笑う。
「山育ち、町育ちの人間が、海育ちの人と泳いだり潜ったりで敵う訳ないような感じなんですね。ちょっとうらやましい気ィしますけど……普段はそれ以上に、大変な暮らしをされてきはったんですよね、月の氏族の皆さんは」
それ以上はとどめ、彼は軽く目を閉じた。
るりは何も言えず、鼻の奥がつんと痛むのをこらえた。
翌未明過ぎ。
るりは野崎夫人に髪を結ってもらい、着付けもしてもらう。
「何から何までお世話になってしまって、申し訳ありません」
小さくなってるりが言うと、夫人は笑う。
「いいえ。こうやって、自分の娘に着物を着せてやりたいって夢が、巫女姫のお陰でようやく叶いました。こちらこそお礼を申し上げます。だから気にしやんといて下さいね」
髪を結い上げ、赤い珊瑚をあしらった髪留めを飾る。
はんなりとした朱鷺色の、地紋のある色無地の一ツ紋の着物が、畳紙から現れる。
着物を着るのは、成人式の日にレンタルの晴れ着を着て以来だ。
身体に次々と布と紐が巻きつけられる。
真白の長襦袢の上に朱鷺色が重なる。
しっとりと身にまとわる正絹の感触が、なんとなくなまめかしい。
髪留めの珊瑚に近い渋みのある緋色の帯が締められ、身支度は調った。
母屋の応接間に座り、結木は、お茶を飲みながらるりの支度が調うのを待っていた。
彼はもちろん一昨日と同じ紋付き羽織袴だ。
「お待たせ致しました、草仁さん」
るりを見た瞬間、結木は目を見張った。隙のないツカサの顔が一瞬、ただの青年の顔になった。
「よくお似合いでしょう?」
夫人の声にはっとしたように結木は身じろぎし、ええ本当に、と、目を伏せ気味につぶやいた。
少し息を調え、彼は目を上げた。幻の青白い炎が刹那、燃え上がる。
「では……ボチボチ参りましょか?」
るりはうなずいた。
白木の桶とひしゃくを二本持ち、先へ行く結木の後をついてゆく。
夜明け前の薄闇の中、湿度の濃い森のにおいの中、水の音へ向かって行く。
野崎邸の庭は鎮守の森。
神に繋がる泉を、守るように取り囲んでいるのだ。
無言で進む。
まるで心中の道行きのようだとふと思い、縁起でもないと打ち消す。
泉が見えてきた。ほとりに小さな、古びた祠がある。
結木は祠へ一礼し、そちらに背を向けてるりの方へ向き、背筋を伸ばす。
「それでは只今より神事を執り行います」
静かな声で結木は言うと、すっと腰を落とし、白木の桶に泉の水を汲む。
汲んだ水を白木のひしゃくに分け入れ、ひとつはるりに渡し、もうひとつは結木が取った。
「この水をまず頭の上へ捧げ、自らの神にご挨拶を申し上げると宣言します」
あらかじめ聞いていた手順をもう一度結木は繰り返す。るりはうなずいた。
「では……」
結木は目礼し、ひしゃくを捧げ持って目を伏せた。
「一角のミコトへご挨拶を申し上げます」
るりもひしゃくを捧げ持ち、結木の所作を真似て目を伏せる。
「ツクヨミノミコトへご挨拶を申し上げます」
そして同時に水を口に含む。
かすかに土のにおいがする水が、しみこむように口中に広がった。
視界がくらりとゆらいだ。




