11 月のはざかい④
木霊たちが辞した後、るりは結木と連れ立って野崎夫妻に会いに行く。
野崎夫妻に、今までのあれこれやこれからの予定をかいつまんで話す為だ。
一通りの経緯を話した後、結木は言った。
「神崎さんは今朝方ご自身でご自身の呪縛を外し、真実、神鏡の巫女姫として目を覚ましはりました」
やや不可解そうではあったが、野崎夫妻はうなずく。
代わる代わるそろっとるりを見る二人の視線が、気のせいかもしれないが、今までと若干違う。どこかに怖れのようなものをひそめた……そう、今の、おそらくツカサの顔になっている結木草仁を見る目と、同質の。
木霊たちとの打ち合わせの後半ごろから思っていたが、結木の雰囲気が普段の彼と違ってきている。
少しずつ少しずつ、たとえるなら、それなりの山を登ってゆけば気温や湿度が変わってゆくのを肌で感じるようなペースで、彼は変わってきている。
奇妙なまでに静かな空気をまとった彼は、静かであればあるほど怖ろしい。
インテリヤクザ、とたとえたナンフウの言葉をふと思い出す。
もちろん本物のヤクザの知り合いなどはいないから断言は出来ないが、ドラマや映画で見る知的で冷酷なヤクザの親分や幹部、のような雰囲気が否めない。
もっとも、そこから泥臭さや剽悍さを抜いた、浮き世離れた超然とした雰囲気なのだが。
『生と死の狭間』で垣間見た一角のミコトの、冷酷なまでに冴えた薄青い瞳。
今の結木草仁がまとっている空気には、あの瞳にある光と同質の、見る者の胸が冷たくなるような雰囲気がある。
(それじゃあ私は今、ツクヨミノミコトのような雰囲気をかもしているのかしら?)
自分ではよくわからないが、眼鏡越しにおどおどと辺りを窺っていた今までと、心持ちが変わったのだけはわかる。
結木が静かな声で言う。
「月の御剣と対峙して、かの方にある程度ご自身をわかっていただき、逝くべきところへ逝っていただくつもりです。その為に神崎さんに、月のはざかい……一種の結界、みたいなのを敷いていただき、彼と彼の眷属を丸ごと、呼び込みます」
野崎夫妻はやや気圧されたようにうなずいたが、顔を見合った後
「危険ではありませんか?」
と、代表するように野崎氏が問うた。
「危険か言うたら危険でしょうね」
素っ気ないくらいの調子で結木は言ったが、さすがにあんまりだと思い直したのか、口許にいつもの笑みを浮かべる。
「危険やからって逃げてても、見逃がしてくれる相手やありませんからね、この世ならざるお方ってのは」
「それは……そうですよね」
この辺のことは野崎夫妻にも実感を持って察せられる事態なのであろう、今度はしっかりとうなずいた。
「この場合一番いいのが、こちらで馴染み深い『おみず神事』をなぞる方法だと思います」
るりは言った。
正確に言うのなら、結木を含めた小波を丸ごと月のはざかいの中へ入れるには、結木と小波に馴染み深い方法を取った方がスムーズに事が進むだろうと考えられるからだが。
結果として行うことになる、行動の説明だけに留める。
夫妻には理解しにくいだろうし、るりも説明がしにくい。
小波という土地を丸ごと『月のはざかい』という名の夢の中へ導く、など。
結木は続ける。
「ですので明後日にでも、神崎さんと一緒に『おみず神事』を行います。明日の朝ではさすがにボクの体力に不安がありますので、明日一日は休みます。それからお手数ですけど、明日の食事は今日の夕食みたいな感じのものをお願いしたいんです。胃腸の具合を調えておきたいですし」
「わかりました。おやすい御用です」
夫人は諾った後、思い付いたようにるりを見た。
「神事を行う場合は礼装が必要になるのですが。巫女姫は礼装をお持ちでしょうか?」
思わぬ指摘にるりは虚を衝かれた。
「あ……いえ。礼装までは」
夫人はうなずき、ほほ笑んだ。
「わかりました。では私の着物をお貸しいたしましょう。嫁入りの時に仕立てた色無地の一ツ紋なら、巫女姫のようなお若い方がお召しになられてもおかしくありませんし、略礼装としての格もありますので」
そこまでしていただいてはと遠慮しかけたが、形だけとはいえ神事に臨むのだ。
夫人に甘えることにした。




