11 月のはざかい①
布団の中で身じろぎした途端、はっと息を呑む気配がした。
「巫女姫?お気づきになられましたか?」
野崎夫人の声だ。あわてて身を起こそうとした途端に激しい眩暈がし、るりはぱたりと布団に倒れた。
「神崎さん!」
夫人の隣から懐かしい声がした。
懐かしい、と思った。
少し離れていただけで懐かしいと感じるほど、自分はこの人のそばにいたいのだと、るりは改めて思う。
ゆれる視界が治まった。こちらを心配そうに見ている結木へ、るりはほほ笑む。
「結木さん。大丈夫です」
目に見えてほっとしたように彼は頬をゆるめた。
「ああ……良かった」
ゆるゆると彼は、てのひらで額をぬぐう。
「昼になっても夕方になっても、神崎さんが起きてくる気配がないって和代さんから聞きまして。疲れてはるんやろうと最初は軽く考えてたんですけど、ひょっとしたら御剣さんにさらわれたんやないかと思いました。もしそうやったらどないしようかと……」
少し驚く。
確かにものすごく濃密な時間を『生と死の狭間』で過ごしたが、どうやら早朝に近い時間帯から今まで……障子越しの光の感じからも夕方だろう、眠り込んでいたらしい。
「そんなに……眠っていたんですか?」
結木はうなずき、柔らかく笑んだ。
彼は今、寝間着兼部屋着らしいグレーのスウェットを着ている。彼もまた昼過ぎくらいまで眠っていたのかもしれない。
「要するにお疲れやっただけなんですね。安心しました。そう言うたら朝より顔色も良うなりましたし」
「巫女姫、ご気分は如何ですか?もしあれでしたら、お医者さんに来ていただいて診察していただくことも……」
心配そうな野崎夫人へ、るりはかぶりを振ってゆっくり起き上がる。
「大丈夫です。さっきの眩暈は多分、急に起き上がろうとしたせいだと思います」
ちょっと迷ったが、るりは夫人へこう言った。
「申し訳ないんですけど、のどが渇いてしまいました。お水かなにか、いただけませんか?」
野崎夫人が立っていったのを見送り、るりは、思い切って結木に声をかける。
「はい?」
何気なく振り向いた彼へ、
「好きです、結木さん」
と言った。
結木はぽかんとした。当然だろう、いきなりすぎるし脈絡もなさすぎる。
「突然ごめんなさい。でも、ちゃんと言うべきだと思ったんです」
一度そこで息をつき、るりは続けた。
「その。今まで、何となく状況に流されるみたいにここまで来ましたけど、ちゃんと自分の気持ちを言ってなかったなと思ったんです。……好きです。一緒に戦って下さって、ありがとうございます。御剣とのこじれた関係を整理して、自由になれたのなら。私の方からお願いします、お付き合いをして下さい」
彼はしばらく目をまんまるに見開いていたが、徐々に頬が染まり始めた。
「あー、えっと。いやその……」
目をそらし、パシパシとしばたたきながら結木は、意味のないことをもごもご言っていた。が、やがて意を決したようにるりを見た。
「もちろんです。元々、申し込んだんはこっちです。こちらこそよろしくお願いします」
生真面目に居住まいを正し、彼は深く頭を下げた。
ごく真面目に言っているのはわかるが、なんとなくるりは可笑しかった。
彼の態度は愛の告白に対する答えというより、試合か何かの申し込みに答えているようだった。
でも、そのちょっとズレた感じも愛おしい。こらえきれずクスクス笑っていると、結木は怪訝そうに顔を上げた。
「えーと。ナンか……ヘンなこと言いましたか?」
「いいえ。真面目で、結木さんらしいなと思っただけです」
彼は首をひねり、そうですか?と言った。そしてちょっとためらった後、
「関係ないですけど、神崎さん。眼鏡、かけんでもいいんですか?焦点がブレてへんから、それなりに見えてはるんやとは思いますけど……」
ハッとして顔に手をやる。
眼鏡がない。
考えてみれば当たり前だ、ついさっきまで眠っていたのだから。
なのに視界に違和感がない。すべてがぼやけた、あの慣れたソフトフォーカスではなかった。
見回し、枕元に置いてある眼鏡ケースへ手を伸ばす。眼鏡をかけようとした途端、視界が激しく歪むのであわてて遠ざける。
「どないしはりました?」
彼の顔を改めて見る。
漆黒の髪の一本一本、唇の細かい縦じわ、目の白い部分に浮いた毛細血管まで、今、るりにははっきり見えた。
裸眼で!
目を閉ざしておいてやる、と言っていたツクヨミノミコトの言葉を思い出す。
かの方が目を閉ざすことで、『記憶』だけでなく、視力……うつつの方の目も幻視の方の目も曇っていたのかもしれない。
「神崎さん?」
怪訝そうな結木の声に、るりはハッとする。
(ああ……)
彼はヒトであり、草原の丘に立つ若木であり……オモトノミコトに、繋がる存在。
『生と死の狭間』にいる、大いなる存在に近い存在。
理屈ではなくそれが感じられる。
そして自分も……。
「ツクヨミノミコトは神であり、私」
「は?」
不可解そうな彼へ、るりは苦笑いをして首を振る。
「いえ。一口で説明するのは難しいんですけど、色々なことが文字通り見えてきたんです……御剣と決着をつける方法も。結木さん」
るりは居住まいを正し、頭を下げる。
「木霊さんたちと一緒に、私を助けて下さい」
戸惑っていたが、結木はふと真顔になった。
「最初からそのつもりでしたけど……見えてきた?あのお方と、きっちり決着つける方法が?……わかりました。どうすればいいんか、教えて下さい」




