10 『生と死の狭間』で起こったこと④
「……なるほど。そういうことやったんですか。どこまでも……つらいですね」
深いため息と共に吐き出される、柔らかな西の地方のイントネーション。
るりはあわてて声の方を見た。
るりの足元の辺りにあるパイプ椅子に、白衣の青年が座っていた。一瞬お医者さんかと思ったが、結木だった。
「……結木さん」
茫然と名を呼ぶと、結木はくしゃっと顔を歪めた。
「神崎さん。……つらかったですね」
「やめて下さい!」
思わずるりは、叩きつけるようにそう言った。
「同情なんかやめて下さい!同情される……価値さえないんですから、私なんて」
半身を起こす。ひどい痛みに一瞬眩暈がしたが、歯をくいしばってるりは耐える。
「死ねば良かったんです、あの時に。ツクヨミノミコトに望むのは、見たくない知りたくないじゃなくて、死なせてほしいが正しかったんですよっ。……あの時は兄の力も弱かったし、頼めばミコトだって私……私たちを、死なせて下さったでしょう。だけど私は、意地汚く生き続ける道を選んだんです。私が生き続けたせいで、死ななくてもいい人がどれだけ沢山死んでしまったか……」
「そやけど、殺したんは神崎さんやなくて神崎さんのおにいさんです。あくまでおにいさんの暴走であって、神崎さんの望みやなかった筈でしょう?」
「でも私のせいで……」
「神崎さん!」
今まで聞いたこともない怒気をはらんだ結木の声に、るりは思わず声を呑む。
「いい加減にして下さい。貴女の態度は、むしろ傲慢ですよ」
思いもかけないことを言われ、るりは結木を見つめるしかなかった。
青みがかって見えるほど、彼の白衣は白い。鋭い瞳の光には、青白い霊力の炎がゆらめいている。
「八歳の子供が家族にそばにいてくれと願うんが、そんなに悪いことですか?つらすぎる思い出を封印して生きてきたことが、そんなに悪いことですか?そばにいてくれと望んだ家族がたまたま、みんなに多大な迷惑かけよる愚か者やったとして、神崎さん、その八歳の子供に同情もせえへんと蛇蝎のように嫌いまくるんですか?」
大息をつき、彼は声を落とす。
「……一回、冷静になってよう考えて下さい。自分やなくて別の人が、もしそういう立場やったとしたら。神崎さんその人を責めるんですか?お前が死ぬべきやった、心の底からそう思ってその人を足蹴にするんですか?とっとと死んでまえ、むしろ遅すぎるんじゃ、ちゅうて、罵りますか?」
るりは硬直して、ただ結木を見つめた。彼は、自分を落ち着けるようにもう一度大きな息をひとつつき、再び口を開いた。
「神崎さんは確かにもう、八歳の子供やないです。大人なんですから、責任を取る為の行動に出るのは当然です。ですけど、責任を取るんと責任を背負い込むんは違います。何でもかんでも自分が自分がとひとりで背負い込むんは、はっきり言うてかえって迷惑です。もっと周りを信頼しましょうよ、神崎さん。助けてくれって言いましょうよ……」
結木は唇をかむ。涙が浮いているのに気付き、るりは驚愕に近いほど驚いた。
「神崎さんの周りにはイヤな奴しかいなかったんですか?さすがにそこまでやないと思います。大体、お父さんの生きてくれという望みを、神崎さんはどう思てはるんですか?ツクヨミノミコトが神崎さんの為に十何年間も目を閉ざしてくれてはったんを、どない思てはるんですか?お祖父さんお祖母さんが神崎さんを可愛がって育ててきたのんを、どない思うてはるんですか?死ねば良かった死ねば良かったって……」
結木はついに涙をこぼした。
「なんぼ自分の命やからって、粗末にし過ぎやっ!神崎さんを大事に思う人みんなに対して、なんぼ何でも傲慢過ぎや!」
失礼します、と言い、結木は椅子から立ってきびすを返した。
一瞬後、るりはハッとしてベッドから飛び降りた。
取り返しのつかないことをした、という悔いに胸が冷える。
追いかけなくては。
追いかけなくては、彼を。
ここで彼を行かせてしまうと、今生では永遠に会えなくなる。
すさまじい焦燥に駆られ、るりは走る。
「待って。待って結木さん、ごめんなさい」
走って追う。冷たく重い左腕をかばい、もつれそうな足でるりは走る。
結木は白い大地を早足で進む。
地平線の彼方、白と青の境目に向かって。
「待って。待って下さい」
追っても追っても距離は縮まらない。
いつしかるりは、なりふり構わず走っていた。重くて動かない筈の左腕さえ、必死に振って全力疾走していた。
「結木さん!結木さん!」
彼の背中がようやく近付いてきた。
「ごめんなさい。助けて下さい、一緒に戦って下さい!」
風に、青いくらいに見える白衣があおられる。舞い上がったその裾を、るりは懸命につかまえる。
「結木さん!私と、生きて……」
白衣を手繰り寄せ、彼の背に抱きつく。
「私と生きて下さい!」
「答えが出たな、神鏡」
聞き覚えのある素っ気ない声。
るりは我に返り、辺りを見渡す。
真白の大地。
紺碧の空。
目の前にいるのは、冷ややかな男の声をしたアルビノの少女。
「ツクヨミノ……ミコト?」
美しくも禍々しい少女は、少しだけ口角を上げた。
「思い出すべきものは思い出し、見るべきものは見たな、神鏡。それが己れだ、己れ自身だ。ごまかさずに受け入れろ」
茫然としているるりへ、ツクヨミノミコトは頬を引き、素っ気なく言った。
「では帰れ。ここにいても、もはや意味はないぞ」
「あ、りがとう、ございます……」
答えた途端るりの身体は、野崎邸の客間にしいた、客用布団の中にあった。




