8 作戦会議③
庭に面した引き戸がゆれた。結木とるりが同時にそちらを見る。
結木が静かに立ち上がり、引き戸を開けた。
「どうぞ」
声をかけた瞬間、ダイニングに昼と同じ服装の三人は立っていた。
「お邪魔致します」
大楠が会釈し、残り二人の若い木霊たちもそれに倣う。
「ご足労に感謝します。一回、昼前に来た下さったんですね?寝てて失礼しました」
大楠の気配へ向かって結木は言うと、彼らに座るよう促す。
るりは事前に聞いていた通り、あらかじめ用意していた席に着いた彼らの前へ、水の入ったグラスを置く。
人間と同じものを飲食するのは当然無理だが、彼らも水は受け付ける。彼らと長く話す場合、だからそれぞれに水を供するのだそうだ。
「おそれいります」
少し恐縮したように大楠が頭を下げ、若い木霊たちもそれに倣う。
遥はまだしも、ナンフウが借りてきた猫のように大人しいのが意外でもあり、可愛らしくもあった。
樹齢800年の楠はおそらく人間以上に、彼らにとって畏怖の対象なのだろう。ふと目が合うとナンフウは、きまりの悪そうな苦笑いを浮かべた。
「まず皆さんにお願いしたいのは」
結木は自分の席に着くと、ゆのみに満たした白湯で口をしめらせ、言った。
彼らと話す場合、結木も水か白湯だけを飲むようにしているのだそうだ。
別に何を飲んでも彼らは気にしないのだそうだが、結木の方がそれでは落ち着かないのだと、さっき聞いた。
「月の氏族、月の鏡、月の御剣について、皆さんの間に伝えられてる言い伝えや伝承を教えていただけませんか?一応、ネットなんかで検索もしましたけど、ほとんど何も出てきませんでしたし」
「まあ、そうやろうな」
ナンフウが言った。
「月の氏族については当時のおえらいさんの中枢だけが知ってる、トップシークレットやったし。彼らの役目は、人の心を操ったり場合によったら呪殺したりっちゅう、表沙汰に出来ん役目やからな」
大楠もうなずく。
「国に管理された、隠れ里のような場所で彼らは暮らしていたそうです。それに私の知る限り500~600年前にはもう、彼らは隠れ里から出奔して消息不明になっています。時の為政者に呪殺に類する仕事ばかり命じられ、嫌気が差したのだろうと伝えられていますね」
「違います」
思わずるりは言っていた。皆の目が集まり、るりははっとする。
「何か、ご存知ですか?」
結木に優しい口調で問われ、るりはおどおどと目を伏せる。
「いえその、知っていると言いますか……」
「巫女姫」
大楠が例の人懐こい笑顔を向ける。
「しっかりとした記憶でなくとも、ご両親からお聞きになった何かしらがぼんやり残っているのかもしれませんよ。違うとお思いになったのなら、何かがそう思わせたのでしょう」
大楠は少し頬を引く。
「我々の伝承も、いい加減だったり曖昧だったりします。ですが、知る限りの事柄を出して検証し、我々は怨霊となった御剣と戦わねばなりません。違う、とお思いになられた理由を、差し支えなければ教えていただけませんか?」
るりは目の前にある自分用のゆのみを取り上げ、少し冷めた白湯で口をしめらせた。
「記憶なのか何なのか、わかりませんが……」
ためらいながらもるりの言葉を探す。
「呪殺というのは、そう簡単に出来ることではないんです」
胸の内側から何かがふつふつわき上がってくる。
異常に身体が熱い。
脈打つ音が響いてくる。
るりはもう一度、白湯を口に含んだ。
「月の氏族の、ある程度以上の能力者なら。やろうとすれば出来なくはないでしょう。おそらく、私の父くらいの能力があれば呪殺は可能です。だけど一人の能力者が正気のままで、何人もの人間を呪殺なんか出来る訳ないんです。相手の心の奥深くへ分け入り、一番痛む傷を探し、そこへ刃を突き立てるようなことをしなくてはならないんですよ?たとえ憎む相手であっても、そんな酷なことなかなか出来るものではありません。一人殺しただけで、殺した能力者自身も命を落とす場合があります。逆に言えば、共感能力のある優れた夢見……あ、能力者のことです、ほど、呪殺に向かないとも言えます。人であることを止めた月の剣であったとしても、禁じ手を使って膨れ上がればある程度以上の殺人は可能ですけど、無限に殺し続けるなんて不可能です。なのに……」
強烈な怒りと絶望に、目の前が赤く染まる。
「一族の皆すべての力を使ってでも、奴らを根絶やしにしろ、と。無理だと言っても聞いてくれなくて。ごく幼い子ら数人を、月の氏族でない守り役に預けて何とか逃がし、里の大人は老いも若きも呪殺の為に使われました。高天原の神にまつろわぬ者の末裔としての枷は、里に長く住む者ほどきつくて。里の水との縁でしばられ……」
そこでるりは、はっと我に返った。
その場にいる者は皆、目を見開いて硬直している。
るり自身、啞然としていた。一体何を言っているのか、自分ながらわからなかった。
わからないにもかかわらず、脈打つ鼓動のように確かに、今言ったことが事実だという実感があった。ざくざくと音を立てて流れる血潮と同じくらい、確かな事柄なのだと。
「血の中に潜む記憶、かもしれませんね」
言葉を失くしている一同の中で、大楠が最初に落ち着きを取り戻した。
「私も詳しいことは知りませんが。人間には稀に、血の中に深く刻まれた記憶を持つ者がいるそうですよ。神鏡の巫女姫ほどの霊力をお持ちの方ならば、血に潜む記憶をたどれるのかもしれません」
大楠はいたわるようにほほ笑みを向ける。
「かと言って、この手の記憶は自由に引き出せるというものでもないそうですし、きっかけがなければ思い出すこともないまま一生を終える、そういうものだとも私は若い頃、長老である大樹から聞きかじりました」
大楠のほほ笑みに痛ましさが加わる。
「畿内に戻ってこられたせいで、血に潜む記憶がゆり起こされたのかもしれませんね。月の氏族は元々、畿内のどこかにいらしたと聞きますから。ただ、今の巫女姫はかつての古い契りとは無縁です。文字通り、この古い契りは『水に流れて』いましょう」
「今の巫女姫を縛る一番強烈な契りは、御剣との妹背の契り、やな」
ナンフウはむっつりと言う。
「鏡、特に神鏡と呼ばれるほどの剣を持つ鏡は、剣と妹背の契りを交わすんやそうや。剣と鏡の性別がどうあれ、親子であれきょうだいであれ、関係ないんやそうや。名目上妹背やから、剣を持つ鏡は生涯独り身を貫くんやそうやで」
大楠もうなずく。
「私もそんな話を聞きました。巫女姫は今、霊的な次元では御剣の妹なのです」




