7 主のテリトリー④
その辺で結木は、さすがに今日ここへ来た理由を思い出したらしい。頬を引くとこう言った。
「ああ、おしゃべりはこの辺にしとこ。今日来たんは、実は遥くんに頼みたいことがあるからやねん」
遥はさらに生真面目な顔になると、重々しくうなずいた。
「はい。大楠先生から伺いました。祟り神になってしまった月の御剣の呪いを、草仁さんは受けてしまわれたそうですね」
「そう。これがなかなかおっかないお方でな。ここ……」
彼は軽く前髪をかき上げ、遥に傷を見せる。
「そのおっかないお方の眷属に、昨日やられてしもてな。神崎さんやナンフウが助けてくれたお陰で、なんとか昨日中に散らせたっちゅうか退けたっちゅうか、そんな感じやねんけど」
遥がやや青ざめる。
「え?そんな、草仁さんでさえ持て余す相手が、月の御剣の眷属なんですか?」
結木は苦笑気味に言葉を続けた。
「クサのツカサやなんや言うても、基本ただの人間やし。この傷をつけやがった相手は、いくら子分みたいな奴や言うても怨霊は怨霊やからな。あのお方は怨霊の子分を、これまた沢山引き連れてはってなァ。難儀なお方やねん。そんな訳やから一人ではどうすることも出来ん状態で。情けないけど、大楠先生やナンフウや、君にもサポートお願いしたいなあと……」
遥は深くうなずいた。
「僕に何が出来るのか全然わかりませんけど、出来る限りのことはします」
結木はふわっと笑んだ。
「君にしか出来んことがあるからぜひお願いしたいって、朝方ナンフウが様子をうかがいに来た時に、大楠先生がそう言うてはったって、聞いたで。落葉樹にしか出来へん、所謂『子守歌』があるって」
遥は軽く戸惑った顔をした。
「『子守歌』ですか?確かにありますけど、それと怨霊退治、関係あるのかなァ」
「ようわからんけど、大楠先生がそう言うてはるんやし、関係あるんやない?一回その辺の作戦を詰めたいと思ってるねん。でも野崎の敷地に君とツナギが取れるメタセコイヤはいてへん。2~3日でかまわんから、君が野崎の敷地へ来れるようにしたいんやけど」
遥は笑んでうなずいた。
「それなら僕の足元にいる、今年芽吹いた苗を1~2本、野崎邸の敷地に植えて下さい。自家受粉した子ですから僕自身と言えますし。あちらで根付く可能性は薄いでしょうけど、2~3日から1週間くらいはそれで行き来できるはずです」
結木はうなずき、しゃがんで作業し始めた。キャンバス地の丈夫そうな手提げを持っているとは思っていたが、この作業の為だったのかとるりは納得した。そこはわかったが……。
「あ、あのう。遥…くん?」
るりが話しかけると遥は緊張した顔で、はい何でしょうかとしゃちこばった。
「あ、そんな緊張しないで。ちょっと訊きたいだけだから。えっと、自家受粉した子ですから僕自身……って、今言ったよね?」
「はい」
「あの、それってどういう意味?」
遥は首を傾げる。
「どう……って。文字通りです。自家受粉して種になり、発芽した芽や苗は僕自身です。発芽して30年から50年くらいしたら、僕であって僕じゃなくなりますけどやっぱり僕ですから、つながりは他のメタセコイヤより強いんです」
「……えっと、ごめんなさい。難しすぎてよくわからないわ。何て言うのか、すごく哲学的ね」
しゃがんで作業していた結木が突然、あはははは、と笑った。
「いやいや神崎さん。木霊と自我について語るのは無茶ですよ。彼らの自我と我々の自我は、在り様がまったく違うんですから」
正直、ボクも未だにようわかりません、と結木が言ったので、るりは理解をあきらめた。
結木は、遥自身であるらしいメタセコイヤの儚い苗木を丁寧に掘り出し、傷まないように根を包み、そっとキャンバスのバッグに入れた。
「じゃあ、遥くん。また後で野崎邸で」
「はい。伺います」
やはりきちんと目が合わないまま、結木は遥に背を向けた。
2~3歩進み、ふとるりはふり返った。
寂しそうな目で結木を見送っている遥と、一瞬、目が合った。
彼は泣き笑いに似た感じに顔を歪めた後、綺麗なほほ笑みを浮かべてるりへ会釈した。




