番外編:つる草のように想い募らせ
傾国の悪女と呼ばれた藤原薬子の長女、名は聖良。彼女は母の死を見届けたあと、時空間を越えて、別の世界へと生まれ変わっていったのである。ただただ、つつましく平凡な幸せを求めて。
しかし、聖良は転生して、セイラルという名の人生を送ったが、平凡な幸せを掴むことは叶わなかった。何度かの人生を繰り返し、ようやく令和の日本で高校生活を送るようになる。
ひよしやセイラルの記憶は埋もれ、普通の女子高生として学校に通う聖良は、転入した高校で、妖しげな先輩や教師に出会う。そして、会った瞬間から、心惹かれる男子生徒も現れる。
その学校には蔓草の伝説があり、恋に悩む女生徒らが密かに信じているらしい。蔓草の伝説には、百人一首が関わっていた。
よし…………。
ひよし……。
――声がする。
どこかで聞いた声。
懐かしい声。
遠く近く寄せては帰る、波のような声。
――ひよし……何?
誰かの、名前?
ひよし。
ひよし。
倭国に生まれたひよし。
平安の世に生まれたひよし。
薬子の娘として生まれながら、忘れ去られたひよし。
ひよしがこの国の歴史の中で忘れられたのは、ひよしが倭国からいなくなったから。
ひよしは世界の次元を越えてセイラルとなり、再び倭国に生まれ戻り、足利家の妻、妙音院となる。
日野富子の妹として姉を諫めた妙音院は、死して転ず。三代将軍徳川家光の側室、高島御前の一生を終えた後、しばし深い眠りについたのだ。
そして年月は満つ。
戦なき時代を待ち続けたのだ。
ようやく時の神の御許しが出たぞ、ひよし。
ひよしの願い、叶えるべし。
今生こそ、叶えるべし。
此の世の名、聖良なり。
セイラル転生し、幾度の修羅を経て、聖良となれり!
――おかっぱ頭の少女は、お雛様のような姿。
その姿は真っ白いドレスを着た、西洋風の娘に変わる。
娘は水色の竜と緑色の竜を背に、こちらを見る。
その顔は……。
見たことがあるその顔は……。
私?
シャランシャランシャラン!
シャランシャランシャラン!
シャラン!!
はっとして目を覚ました聖良は、枕元のスマホを見る。
セットしたタイマーが鳴っている。
声を聞いたような気がする。
誰かの顔を見たような気も。
夢、か。
今日は登校する日だ。
洗顔した聖良は鏡を見つめる。
いつもと同じ、女子高生の顔。
――会えるかな、今日。
聖良は鏡の向こうに、会いたい人の顔を思い浮かべた。
藍川聖良は高校一年生である。
春休み前に、住まいの側の公立高校に編入した。
今までは海外の学校に通っていたのだ。
入った高校は進学校でもあり、春休み中に何回か、補習を受けることになっている。
身支度を整え、聖良は階下に向かう。
リビングには朝食が並び、父はコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる。
「おはよう、聖良。今日は学校に行く日よね」
はいっと母は、聖良にお弁当を手渡す。
「少しは慣れたか?」
新聞から目を離さず、父が訊く。
「うん。漢字は面倒だけど、難しいのは古文くらいかな」
「その、なんだ、出来たか? 友だち、とか」
聖良はニコッと父に笑い、トーストを齧った。
これもいつもの朝の風景。
言葉数は少ないが、頼りがいのある父と、優しい母。
毎日美味しいご飯を食べることが出来て、学校にも通える。
幸せだと聖良は思う。
「やだ、それって普通じゃん」
仲良くなったクラスの女子に、そう言われたけれど。
普通が尊いのよって、聖良は返した。
高校の補習は、午前中四時間で終わる。
聖良は父の仕事の関係で、小学三年生から、海外で暮らした。
英語や現地の言葉の習得は出来たが、聖良の学習課程には、少々隙間が生じた。漢字は小学生レベル、古文はまったく分からない状態である。
本日の授業も聖良の到達度に合わせ、現国と古文が中心であった。
「古文に慣れるには、『源氏物語』の漫画を読むとか、あ、和歌から入ると良いかもしれませんね」
国語を担当する御上はそう言った。
休職している教諭の代わりの「臨時的任用」であるという。
「和歌、ですか。古文の文章よりも、難しそうに思いますが……」
御上は校内では若手に括られる男性教諭である。
清潔感がある痩身の御上は、女子生徒からの人気も高いらしい。
「あれですよ、あれ、百人一首! ほら、マンガにもなっているでしょう。ちはやなんとか。ああ、『千早ふる』は、落語にもなってますね」
授業の分かりやすさはともかくとして、御上が漫画好きということは、よく分かった。
まあ百人一首だったら、なんとなく入りやすいかなと聖良も感じた。
お弁当を食べた聖良は、図書室に向かった。
さすがに進学校と言うべきか、春休み中も、図書室は終日開いている。
参考書を片手に、勉強に励む上級生たちも結構いるようだ。
聖良は書棚で、百人一首の解説本を探した。
何種類かある解説本の中で、聖良が選んだのは二冊。
一つは『まんがで覚える百人一首』というカラフルな本だ。御上教諭が喜びそうなタイトルである。
そして、思わず手が伸びたのは『呪と救済の百人一首』という単行書だ。
呪いと、救済? 百人一首が?
しげしげと表紙を眺めている聖良の後ろから声がした。
「好きなの? 百人一首」
振り返った聖良の目に、一人の女子生徒が映った。
聖良よりも少し背の高い、ほっそりとした女子だ。
長い髪が艶やかに揺れている。
「あ、いえ、ちょっと勉強しようかと思って」
「興味があるなら、今度ウチの部に来てみない?」
アーモンド型の大きい瞳が聖良を見つめる。
部? 部活動のことだろうか。
「私、文芸部の月長っていうの。転入生の藍川さんよね、一年生の。ウチのクラスの男子が騒いでいたわ。美少女が来たって」
「は、はあ……」
月長は、困惑気味の聖良の横を、猫のようにすり抜けながら囁く。
「百人一首ってね。
叶わぬ恋への、呪いの歌が多いのよ」
ドクン!
聖良の胸が鳴る。
月長の横顔の翳りを、どこかで見た気がする。
彼女の目の縁は、赤みを帯びていた。
赤い眼。
妖艶さと、いくばくかの禍々しさを含んでいる瞳。
どこで見たのだろう。
いや。
どこかで、見つめられたのだろうか。
なぜこんなにも、心がざわついてしまうのか。
夕暮れ前に帰宅しようと、聖良は校舎を出た。
西の空を照らす陽は、校舎を朱に染める。
校舎の壁面には、蔓草が伸びている。
壁に蔓草を生やしているのは、SDGS教育の一環であると、編入試験の時に聖良は聞いた。
黄昏を迎える時間、蔓はあたかも血管の如く、赤黒く蠢いているように見える。
『あのね、この学校にも、七不思議ってあるんだよ』
そう言えば……。
編入してすぐ仲良くなった、古郡真湖が言っていた。
『特にね、西校舎端の蔓草、ナントカ葛って言うんだけど』
気のせいだろうか。
立ち止まり、西の校舎を見ていると、蔓がどんどん、伸びているようだ。
『ヒトの血を吸う蔓なんだって。で、血を吸った人の願いを叶えてくれるって』
まさか。
『本当らしいよ。先輩がね。二年の先輩、女の人。恋を叶えたいって言って……」
シュルシュルと、蛇のような蔓は、聖良に向かって伸びて来る。
なぜか聖良は動けない。
両足が地面にピタリ、くっついているのだ。
どう、しよう……。
声も出ない。
聖良はただ、立ち尽くすだけだ。
「あれ、藍川、さん?」
目の前に蔓が迫ってきた、その時である。
男子生徒の声がした。
はっとして聖良が声の主を見ようと首を曲げる。
動く!
手も足も動くようだ。
聖良は声をかけてきた神野に、軽く会釈する。
会いたいと思った相手に会えた。
「補習受けて、今帰るところ。神野、さんは、部活?」
この高校は、男子も女子も「さん」付けで呼び合う。
男子も女子も、互いに呼び捨てで生活してきた聖良には、まだ不慣れな慣習ルールだ。
「うん。終わって帰るとこ」
夕陽のせいか、眩しそうな目を聖良に向ける神野は、聖良が編入したクラスの委員長である。
委員長としての役割があるためか、聖良に時々声をかけてくれる。
『神野? カッコいいでしょ。王子様だもん、彼。ファンクラブあるみたいよ』
真湖の言う「王子様」の意味は、よく分からなかったが、聖良もカッコいいとは思った。
それよりも。
どこかで、会ったような気がしてならない。
それが何時だったのか、分からない。
単なる聖良の気のせいかもしれない。
だから、記憶を確かめるために、会いたいと思う。
会って、話がしてみたいと。
聖良と神野は、歩調を合わせながら、校門を出た。
去り行く二人の姿を、御上は職員室の警備用モニターから見ていた。
彼の手には、小倉百人一首の札が、何枚か握られていた。
そしてもう一人。
すらっとした髪の長い女生徒が、最上階の校舎の窓から、二人を見続けていた。
彼女の瞳は、夕陽よりも尚、朱い色であった。
◇◇
数日後、聖良は補習後、御上に図書館で借りた本を見せた。
にこにこしながら本を手に取った御上だったが、タイトルを見て一瞬無言になる。
「藍川さん、何でこの本借りようと思ったの?」
聖良には答えようがない。
ただ、タイトルに惹かれたから、なのだ。
「題名をみて、なんとなく……」
「ふうん……。藍川さんて……いや、いいや」
いつもより歯切れの悪い御上に、聖良の方から質問する。
「先生。百人一首の恋の歌は、呪いなんですか?」
聖良は図書館であった、女生徒を思い出しながら訊く。
「え、それって、月長さんのレクチャーでも受けた? まあ、百人一首の選者の藤原定家って、人生を振り返る寂しさと、恋愛への想いが、同じような人だったからね」
御上は、つらつらと百人一首について語る。
さすが臨時的任用でも教師。
「ところで藍川さん、西校舎辺りに生えている木の名前、知ってる?」
「いえ」
「あれね、『定家葛』っていう、蔓が伸びる木でさ」
定家……葛?
百人一首と、何か関係があるのだろうか?
「定家葛ってね、報われなかった恋を忘れられなかった定家が、想い人であった、式子内親王の墓に、葛となって絡みついたとかって言う、謡曲があるんだ」
し、式子内親王?
謡曲「定家」? 謡曲って、お能のことだろうか。
疑問符が浮かんだ聖良を見据えて、御上は語った。
京都を訪れた旅僧が、ある邸で雨宿りをしていると、一人の女が現れ、この邸は藤原定家の建てたものであると伝え、旅僧を式子内親王の墓に連れて行く。式子内親王に想いを寄せた定家が、二人の死後も葛となって墓に絡みついているのだと。死してなお、救われない二人を救ってくれるよう頼む女は自身が式子内親王の亡霊であった。
旅僧が読経すると、式子内親王の亡霊は成仏する。後に、墓にからみついていた葛に、「定家葛」の名が、付けられたという。
「式子内親王は、賀茂神社の斎院だった。要は神様に仕える女性でさ、僕個人としては、定家との恋愛云々は、後々の創作だと思ってるよ。ただね、成仏できない霊が、葛にまとわりつくって、ひょっとしたらあり得るんじゃないかって」
「先生は……」
聖良は思わず訊きたくなる。
「先生は、霊とかって信じる人なんですか?」
御上は笑う。
「えっ。だって古典文学には祟りとか呪いとかいっぱい出てくるよ。源氏物語なんかバンバン生霊飛んで来るし。蜻蛉日記なんて、夫に愛されないのは、前世の因縁とか書いてあるんだぜ」
なるほど、日本の古文は奥が深いと聖良は思う。
それよりも、前世という単語に、聖良はどこか焦りすら感じる。
「そうそう、式子内親王が斎院って言ったけど、皇族の女性に斎院を務めさせるようになったのって、『薬子の乱』が原因だってね」
何気なしに御上は言ったのだろう。
だが聞き取った瞬間、聖良の耳の奥には、心拍音が大きく響いたのだ。
その日も、昇降口で聖良は神野と一緒になった。
「補習終わった?」
「うん」
神野は聖良の表情を見て尋ねる。
「何かあった? なんか暗いけど」
「そ、そうかな……」
靴を履き替え外へ出ると、空は禍々しいほどの緋色になっていた。
もう、そんな時間だったろうか。
ふと、聖良は西校舎を見る。
そこには、赤く染まった校舎の前に、佇む人影があった。
視線に気付いた人影は、聖良に顔を向ける。
「月長、さん……」
一つ上の女生徒は、小枝が風に揺れるような手招きをする。
聖良は引き寄せられるように、月長へと向かう。
神野は慌てて聖良の後を追う。彼は月長の噂を聞いたことがある。
文芸部の月長詔子は、確かに美人だ。
ただし。
正真正銘のメンヘラである。
「今度は逃げないでね、藍川聖良さん」
聖良の目の前の月長は、濡れているような真紅の瞳だった。
◇◇
春季休暇中の夕方とはいえ、広い校庭には誰もいない。
教職員の駐車場にも車の影がない。
学校の敷地内に残っている者は、きっとゼロだ。
この学校全体が、なにかで覆われているようだ。
「ねえ、藍川さん。それ程たいしたことではないの。ちょっとだけ、あなたの血が欲しいの」
顔色も変えず、聖良は即答する。
「お断りします」
「あら、じゃあいいわ。勝手にいただくから」
そう言った長月は、左手を前に伸ばす。
ボコボコと地面が割れ、中からは黒い蔓が頭を擡もたげる。
蔓は茎から出る付着根だ。
付着根は壁や木肌に食い込みながら、絡まり伸びていく。
そう。食い込むのである。硬い壁にも樹皮にも。
もちろん、人間の肌に食い込むことも出来るのだ。
長月から放たれた無数の蔓は、聖良の白い肌を目指して伸びる。
「下がれ藍川!」
後ろから走ってきた神野が木刀を構え、聖良を庇うように彼女の前に立つ。
そのまま伸びてきた蔓を、片っ端から叩き落す。
「逃げろ、藍川。俺が食い止める間に」
神野を見た長月は、唇を薄く開き声なく笑う。
「あらあら、さすが人気の王子様ね。でも、無駄よ。木の刀では、これは倒せない」
シュルシュルと蔓は神野の腕と足に巻き付き、彼の動きを止める。
「神野くん!」
瞳を開いて呼びかける聖良を、月長は嘲笑う。
「男子の血はいらないけれど、邪魔をするなら排除する」
蔓は神野の首にも巻き付き、どんどん締め付ける。
神野の顔色は赤くなっていく。
「に、に、げろ、あい、かわ……」
自分を庇って傷つく神野を見た聖良は、何かを思い出していた。
確かに、何かと闘った。
自分も、自分の大切な者たちも、傷つき倒れていった。
あれは何時?
どこで闘った?
「にげ、ろ。セイラー!!」
セイラー……。
セイラー……。
セイラル転生し、聖良せいらとなれり。
セイラル転生し、聖良せいらとなれり。
聖良の記憶の蓋が開く。
そう、闘ったのだ。人外と。
もっともっと強い奴。
もっともっと悪辣な奴。
勝ったかどうか、覚えていない。
血に塗れ、倒れ伏したのかもしれない。
だが、覚えていることがある。
私は逃げなかった。
最後まで逃げなかった。
だから。
「私は、私は逃げない!!」
聖良の言葉と同時に、夕暮れの空に稲妻が光った。
◇◇
雷光は青白い尾を引きながら、西校舎に落ちた。
校舎の壁面を覆っていた蔓は、黒く焼け焦げる。
ブチブチと蔓が離れ、神野は咳き込みながら大きく呼吸する。
「へええ。そんな技持っているの。凄いわね」
神野の背中を擦っている聖良に、長月は無表情で話しかける。
「でも、雷では、倒せない。これは呪いの、定家葛だから」
長月は自分の手首に噛みつく。
ぽたり、ぽたりと落ちる滴は地面に滲みこんでいく。
地面からは、黒い靄もやが立ち昇る。
靄と一緒に、地面から這い上がる数体の影。
所謂、魑魅魍魎ちみもうりょうの類であろう。
神野の目には見えていないようだが、気配を察知してか、彼は再び木刀を握る。
魑魅魍魎は手と足を地面に付け、低い姿勢でじりじりと近づいて来る。
確かに、電撃は形あるものには有効だが、靄というか通常の五感で知覚するのが出来ないものに効くかどうかは分からない。
まつろわぬものたちを調伏するとしたら、確か弓の弦を鳴らすとか、塩を撒くとか、お札を貼るとかだ。
どれも手元にない。
お札か。
お札……札。百人一首の札。
さきほど御上が、何か言っていなかったか。
『坊主めくりって知ってますか?』
『十三首、十三枚あるんですよ、坊主というか、お坊さんの詠んだ歌って。何枚か持っていきます? 坊さんの歌は、魔除けになりますよ』
聖良が上着のポケットに手を入れると、数枚の札が入っていた。
『魔除けにするなら、音読すると良いですよ』
本当かどうか分からないが、魑魅魍魎は既に足元まで来ている。
黒い靄が立ち昇り、気持ち悪いこと夥おびただしい。
まずは一枚。
「天つ風、雲の通い路吹き閉じよ。 乙女の姿、しばしとどめん」
僧正遍昭というお坊様の歌だ。
天から吹いてくる風よ。天に通じる雲の道を閉じて欲しいのだ。空へと帰っていく乙女の姿を、もう少しだけ引き留めておきたいのだ。
天つ風と読んだところで、魍魎の動きが止まった。
確かに効いている。
それならばと、聖良が次の歌の準備をしていると、長月がまた、自分の体から血を地面に垂らした。
立ち昇る靄。キリがない。
それに。
これだけ次々、まつろわぬものが現れてくるということは、この土地自体、不浄なのではないだろうか。
土地の浄化ができない限り、黒い靄はここに留まっているだろう。
どうする?
何が出来る?
「読むのを続けてくれ、藍川!」
御上の声が校舎の上から響いた。
御上は、拡声器を使って喋っている。
舌打ちをする長月。
「なんだ、臨任の御上か。我が愛しの井沢先生の代わりに、教壇に立つのも烏滸がましい!」
「その井沢さんに頼まれたんだよ、俺は。君と学校を救ってくれってね」
御上と長月が言い合っている間、聖良は和歌の音読をしていた。
神野にも何枚か渡し、彼にも音読を頼んだ。
赤い空は、いつしか春の宵闇に変わり、三日月が受かんでいた。
「藍川、神野、準備は出来た! 長月から距離を取れ!」
ふと見れば、地面には、長月を中心として、円と三角が描いてある。
御上が小声で何かを唱え始めると、みるみるうちに靄が晴れていく。
代わりに長月は悶え呻吟する。
「ぐあああああ!!」
地面に腹ばいになり、長月は口から何かを吐き出した。
ごぼごぼと吐き出されたものは、黒い蛇のように見えた。
それもまた、見覚えのあるものだ。
アイツらなら、なんとか出来る。
聖良は、パチンと指を鳴らす。
細い月の形と同じような、氷の刃が黒蛇どもを貫いていく。
それを何度か繰り返すうちに、長月は眠るように意識を手離した。
「はい、終了!」
御上の宣言を聞いて、聖良と神野は地面に座り込んだ。
◇◇エピローグ1
春休みの最終日、聖良は神野と一緒に、御上の話を聞いていた。
「結局、アレって何?」
神野の問いに、御上はアゴを搔きながら答える。
「何かのきっかけで、その場所にわだかまってしまったモノ、かな」
「わだかまりって、長月さんが葛の木に、血を流した、とかそういうことでしょうか?」
「うーん、長月さんはトリガーだったけど、多分、もっと前からドロドロと溜まっていたんだろうね」
学校っていろいろあるから。そう御上は言った。
「長月さん、ずっと井沢先生が好きだったみたいで、でも井沢先生は奥さんいたし、生徒に手を出すわけにもいかないし、悩んで病んじゃって。それで俺のトコへ代替と諸々の依頼が来たわけ」
御上への諸々の依頼とは、除霊も含まれているのだろうか。
聖良の疑問を読み取ったように、御上は言う。
「教師として、あちこち渡り歩いているのはホント。本業だよ。 ただね、家業は特殊業種でさ、まあ、お祓い屋みたいなことも受けているから、俺もそれなりに、だね」
そんなことより、と御上は更に言う。
「君こそどうなの? 何? 異世界人? あれ魔術じゃないの?」
一気に喧しくなった。
「それにだ、神野。なぜ君は藍川さんの特殊能力に驚かないんだ」
聖良と神野は顔を見合わせる。
「いや、驚きましたよ、勿論。でも……」
神野は、やはり眩しそうに聖良を見た。
「不思議なんですけど、驚きましたけど。懐かしかったっていうか、既視感っていうか……」
神野は言う。
「ようやく、巡り合えた、そんな気がするんです」
聖良はそれこそ驚き、神野を見る。
同じ感覚なのだ。
神野……ジンノ……ジーノ。
「ジーノス」
ぽつり呟いた聖良の声を、神野は間違いなく聴いていた。
◇◇エピローグ2
高下駄を履いた老人が、艶やかな女性に尋ねていた。
何種類もの花が咲き、甘い果実の香り漂う場所である。
「ひよし、いやセイラルは、今度こそ平穏無事な生活を、送れるだろうな、天女よ」
天女は、花がほころぶように微笑む。
「さあ、どうであろうなあ。戦なく貧困ない世界へ、転生させたのだが」
老人は長いあごひげを撫でる。
「守護の竜神たちはどうした?」
「危機が迫れば、必ず守るはずじゃ。そして危機が迫った時、セイラルもまた自ら覚醒するであろう」
危機など迫らぬ方が良い。
ヘンなことに巻き込まれないよう、老人はひよし=セイラルの無事を、密かに祈った。
参考文献:鈴木武晴著「天智天皇と百人一首」都留文科大学研究紀要、89集、2019
※本文中の百人一首の現代語訳は、高取が行っています。
誤字報告、助かります。




