三夜目
「うふふふ、はい、賢ちゃん、あーんして」
「う、うん」
平安時代の婚礼は三日間続いて行われる。
三日夜を過ごせばそれで成立し、それが正妻の立場であればその後に一族の人間にも披露される宴が催される。
賢と和泉の婚礼の夜は今夜で三日目である。
婚礼などしている場合ではないのだが、安倍家からは豪華な膳や夜具や家具が持ち込まれるし、和泉は三十年付き合ってきたがこんなに上機嫌なのは初めて見た、というほどに機嫌がいいので賢もそれに付き合っている。
とりあえず対外的には安倍家四男の泰成が妻を迎えたという事で、祝いの品や文がたくさん届いている。
「どうしたんい? 和泉ちゃん、ご機嫌だね?」
と銀猫が言った。
豪華な膳のご相伴に与ろうと式神達がぐるりと二人を囲んで、ささやかながら祝いの宴になっている。
「綿入れの新しい着物が届いたにょん。暖かいにょん。赤狼のくっさい毛皮を我慢して被らなくてもいいからだにょん」
と水蛇が言った。ちなみに賢に届けられた酒の容器はすでにからっぽで水蛇の側に転がっている。
「殺す」
赤狼がぐぐっと水蛇に唸った。
水蛇が赤狼を見て、ぷっと笑った。
「若い闘鬼に半殺しの目に合わされたくせに弱い狼は黙ってろ、にょん」
「はあ? 俺があいつを半殺しの目に合わせてやったんだ!」
つんと赤狼は前足に顔を置いて丸くなって寝てしまった。
「新しい着物のいっぱいもらったにょんね。和泉ちゃん」
と水蛇が言うと、
「何言ってやがる、俺との再会が嬉しいからに決まってるだろ」
と賢が言った。
「なあ、和泉」
「へ? うん、賢ちゃんと赤狼君が無事でよかった。みんなが平成から飛んできてくれたおかげだわ。ありがとう。平成に帰ったらいっぱいケーキ焼くからね」
と和泉が嬉しそうに言った。
銀猫はにゃーんと鳴き、水蛇も笑ったが、
「その為にはもう一戦ですな」
と身体を半分だけ屏風の中から出している青帝大公が心持ち沈んだ声で言った。
「そうだ、九尾の狐と闘わなきゃならない」
と賢が答えた。
九尾の狐の名を聞いた橙狐が
「ケーン」
と鳴いた瞬間に身体がするすると縮んで、子犬のようになってしまった。
「どうしたの?」
和泉がその小さいオレンジ色の背中をさすると、ふるふると震えているのが伝わってくる。
「怖いんだろ」
と赤狼が顔を上げていった。
「橙狐君は九尾の狐を怖がってるの?」
橙狐は顔を和泉の方へ向けてふんふんと顔を振った。
「違うの?」
「橙狐は天狐の部類ですからな、地狐である九尾の狐とはもともと敵対する者。天狐の間でも九尾の狐は問題視されていた。それを仕留めるほどの力量の天狐がいないからです。その闘いの場に出る橙狐は天狐の代表とも言えるし、期待されている。まあ、武者震いですな」
と青帝が優しく言った。
だがその後に、
「万が一、九尾の狐に負けたとなれば、自ら消滅を選ばねばならないほどのほどの不名誉ですからな」
と付け加えた。
「え、ちょっと、そんな」
「愚かにも生きながらえたとしても天界へは戻れまい」
「そ、そんな責任を橙狐君にかぶせるくらいなら、手伝ってくれてもいいいんじゃないの? 天狐とやらは」
青帝は大きな顔をひねって、
「天狐は天の者、人間の諍いには手も口も出すまい」
と答えた。
「な、何なの、それ。神様とかってなんか無責任だよね。でも、大丈夫よ! 九尾の狐なんか賢ちゃんがきっとやっつけてくれるわ、ね?」
と無責任な事を和泉が言って賢を見た。
「お、おう」
少しばかり顔を引きつらせた賢がうなずいた。
「大丈夫だ、うちの十二神は強いから」
と賢も少々式神頼みな事を言い出す。
赤狼はけっと横を向き、他の者も顔を見合わせて肩をすくめるような動作をした。
夜も更け、昨夜の闘いで疲労困憊な式神達はごそごそと屏風の中に入って行く。
和泉の側に横座りになっていた赤狼の尾を「やぼでんな」と力の強い紫亀が引き摺って行った。
「和泉……」
「何?」
和泉は優しく微笑んで賢を見た。すでに夫婦なのに、時代と場所が変われば何だか気恥ずかしい。パジャマ姿でうろうろしするし、朝目覚めれば賢を追い出して自分がベッドの真ん中で寝ていたという事もある。それなのに平安の香に包まれ、お互いに上品な着物姿では軽口を叩くのもうまく出来ない。
夜を過ごすのは久しぶりだった。
「賢ちゃん……」
和泉は賢の方へもたれかかるように身体を寄せた。
すっと賢が和泉の身体をかわす。
「へ?」
「あのな……」
「何?」
「近寄るな」
「はあ?」
「それ以上、俺に近寄るな」
何なの! と和泉がずいっと膝を寄せると賢がすすっと逃げていく。
「どうして逃げるの」
「いや……だから、側に寄らないでくれ」
「側に寄るなって何なのよ! 急に!」
「いや……だからさ」
「分かった」
と言って和泉がひょいと身体の向きを変えて、賢から離れた。
「な、何が?」
「お風呂入ってる時に聞いたのよ」
「何を」
「北の方様の言いつけで仕方なく私と婚礼をあげたんですってね」
「はあ? な、何を言ってんだ」
「そういう事よ」
と言って和泉は頬をふくらせてつんと横を向いた。
「いや、ちが……」
「赤い犬を連れた娘が我が半身と言ったのは賢ちゃんかもしれないけど、泰成様は瑠璃さんが好きだったんでしょ? だから瑠璃さんを妻に迎える約束だったのよ。うまく事が運んだ後にはね」
「約束……そうか、その事か」
「嫁ぎ先も親や屋敷の主人が決める時代だもの。泰成様も瑠璃さんも仕方なく私との婚礼を受け入れたけど、その後に瑠璃さんも妻に迎える約束だったらしいわ」
「そうか」
「そうか、じゃないわよ」
和泉はぎゅうっと賢の頬をつねった。
「瑠璃さんが好きなの?」
「ええ! いや、ちがっ……違うんですけど、あんまり側に寄らないで……くれ」
和泉はぷうとますます頬を膨らませた。




