8-10 卵から孵ったのは
「……にゃお」
視界を覆いつくすほどの強烈な光が収まった後、割れた卵の殻が地面に落ちる。その中から現れたのは、灰色の可愛らしい子猫だった。
「良かった、普通……だよね?」
・可愛いぃぃぃぃぃ!!!!
・子猫やん!
・これはアタリ
卵の淵に前足を乗せながら大きい瞳でキョロキョロと周囲を見渡す子猫。サイズはじゃしんよりも少々小さい30cmほど、その愛くるしい姿に多くの視聴者が虜になる中、一部の視聴者が違和感に気付く。
・普通か?
・なんか付属品があるけど……?
・他の猫って装備持ってたか……?
「……あっ本当だ」
レイが子猫の周囲に目を向ければ、地面には子猫サイズの刺突剣と羽根の装飾がついたつばの広い帽子が落ちている。さらに背中に黒いマント、脚には茶色のブーツも装着しており、どう考えても野生にいるような風貌ではなかった。
そのことにレイは眉を顰めるも、現状子猫は特別おかしな行動をとっているわけではない。だからといって手放しに信用することも出来ない。そのためひとまずは少し距離を取った状態で警戒しながら様子を見ることに決めたようだった。
「みゃお?」
「ぎゃうっ!」
一方でじゃしんはというと、自身を見て首を傾げた子猫に意気揚々と近付いていき、頭を撫でようと手を伸ばす。
それは一種の愛情表現であり、じゃしんとしては今までされてきて嬉しかったことをしてあげようという思いでの行動だった。それに対する、子猫の反応は――。
「……にゃ」
「ぎゃう?」
「――この下郎が。汚い手で触れるにゃ」
「ぎゃっ!?」
「えっ」
一度俯いた子猫が小さく鳴いたかと思うと、突然鋭い視線で顔を上げて地面に落ちていた刺突剣を拾い上げる。そのまま剣を持つ手とは反対の手でじゃしんの手を振り払うと、彼の額めがけて容赦なく剣を突き立てた。
「ぎゃうぁ~!?」
・じゃしん!?
・しゃ、喋ったァァァァァ!?
・これがレイちゃんの普通、かぁ
「いやいやいやいや、さすがにこれはおかしいって分かるよ!?」
頭の片隅にすらなかった一撃にじゃしんが地面を転がりながら悶絶する中、視聴者とレイも想定外故に取り乱す。
そんな混沌とした状況を引き起こした当の本人はと言うと、綺麗な二足歩行で立ち上がり、地面に落ちた帽子を拾い上げて頭に被る。
「ふん、高貴にゃる私に触れるとは恥知らずにゃ奴め……おっと、これはご主人、失礼いたしました」
そしてごみを見るような眼でじゃしんを一瞥したと思えば、猫はレイに向きなおって深々とお辞儀をした。
「えっ、ご主人様って私?」
「もちろんでございます。私のにゃはニャル・キャッド。聖獣ノラの化身にして、ご主人様に幸福をもたらす者ですにゃ」
「は、はぁ……」
すらすらと雄弁に語るニャルに対して、戸惑いの感情が治まらないレイは、若干引いた様子で体を後ろに仰け反らせながら曖昧な返事をする。
「ねぇ、誰か有識者いる?化身で喋るのっておかしくないよね?」
・おかしくないって言ってほしそうな顔してるな
・ところがどっこい、おかしくない訳がありません……ッ!
・ちなみに喋る奴はおろか二足歩行すら見つかってないよ
「そっかぁ……」
念のため視聴者に情報を募るも明確な答えはないようで、当初想定していた嫌な未来が実現しことを悟って目頭を押さえる。
その間にも目を輝かせながらこちらを見てくるニャルにどうしたものかと困っていると、今まで苦しそうな悲鳴を上げていたじゃしんが立ち上がった。
「ぎゃうぎゃうぎゃう!」
「にゃんだ、やかましい奴め。もう少し品のある行動はとれにゃいのか?」
当然、いきなり攻撃されたことで怒り心頭なじゃしんがやかましく詰め寄れば、ニャルはそれを馬鹿にするように鼻で笑う。
その冷めた態度に我慢の限界値を超えたのだろう、じゃしんの血管がプチンとキレた音が聞こえれば、それと同時にじゃしんはニャルに向けて突進を開始する。
「ぎゃう~!」
「ほう、やる気かにゃ?その気持ちだけは認めてやるにゃ」
拳を掲げながら真っすぐ向かってくるじゃしんに対して、ニャルは随分と上から目線で言葉を返す。
「だが、にゃにもかも足りてにゃいぞ、このポンコツ」
「ぎゃ~~~~~っ!?」
その自信を裏付けるようにじゃしんの突進をひらりと躱すと、じゃしんのぷりぷりとしたお尻に向けて容赦なく刺突剣を突き立てた。
・おぉ、じゃしんがあっという間に
・これはもしかして強いのでは?
・でも相手はじゃしんだよ?
・誰もじゃしんの心配してなくて草
「ぎゃ……ぎゃ……ぎゃ、ぎゃうっ!ぎゃうぎゃう!」
「いや、そんな私に吠えられても……」
「ぎゃう……!?」
余りの痛みにお尻を抑えてつんのめったじゃしんは、しばしうつ伏せにお尻を高く上げた状態でプルプルと震えていたが、やがて両眼に涙を浮かべながら『こいつをどうにかしろ!』とでも言いたげにレイへと抗議を行う。
恐らく視聴者のあまりにもドライな反応も癪に障ったのだろう、だがそんなこと言われても知ったことではないレイが冷たく返すと、『どうして……!?』と信じられないものを見るかのように目を大きく開く。
「失礼、ご主人。騒ぎを起こしてしまって」
「あぁ、いや別にそこは気にしていないんだけどさ……」
そんなじゃしんを押しのけるようにレイの前に出たニャルは、心底申し訳なさそうに頭を下げる。
「ありがたき幸せ。あのポンコツにも言って聞かせますにゃ。……して、少しばかりお願いが」
「お願い?」
「はい。できればその、顎下を撫でてほしいですにゃ」
「顎下……?」
そのまま上目遣いで見上げてきたと思えば、レイに向けて良く分からないお願いをするニャル。
「こ、こう……?」
「そう、そうです!にゃぁあ……」
それに戸惑いを隠せないながらも、指示通りニャルの顎下を優しくなでれば、なんとも気持ちよさそうな顔で鳴き声をあげており、レイは不覚にも少し可愛いと感じてしまう。
「にゃぁ……気持ちいいにゃあ」
「ぎゃうぅ……ッ!」
――ただその裏側は生易しい物ではなく。
レイと視聴者に分からないように勝ち誇った視線を送ったニャルに、じゃしんはそれを見て悔しげに歯ぎしりする。
じゃしんにとって最大のライバルの到来に、彼にとっての平和な世界が今まさに脅かされようとしているようだった。
[TOPIC]
WORD【化身】
【アーテナー渓谷】に住まう聖獣は最後の力を振り絞って自身の分身とも呼べる存在を作り出した。それは聖獣ではあるが、聖獣として託すにはまだ未熟な存在。能力も経験も足りぬ彼らは、これから何を知り、何を求めるのか。親とも呼べる聖獣はそのすべての個体を親愛の籠った瞳で見つめている。




