7-41 聖女のお膝元
「ミーア、大丈夫?」
「ちょっ、ちょっと待って……」
外の喧騒がやけに遠くに聞こえる聖堂内にて、レイが労わるようにミーアへと声を掛ける。
視線の先にいる白いワンピースの少女は膝に手をついて荒い呼吸を繰り返しており、少し落ち着く時間が必要と判断したレイは視線を聖堂内へと向ける。
【聖ラフィア大聖堂】は一目見ただけで息を飲むほどの荘厳な建物である。外観は勿論、内装も同様……いや、それ以上であった。
目の前に広がるのは壁のない広い空間。唯一の障害物といえば、入口から奥まで等間隔で並んだ白い柱だが、シンプルながらも細かい細工が施された造りは、景観を損ねるどころかより神秘さに拍車をかけている。
上を見上げれば見晴らしの良い吹き抜けとなっており、天井付近にある大きなステンドグラスからは月明かりが差し込んで、幻想的な模様を地面に映し出していた。
こんな時でなければもっと楽しめたのにと思いつつ、現実離れした光景にレイが舌を巻いていると、背後から肩を叩かれる。
「……もう大丈夫。ありがとう」
「よし、じゃあ取り返しに行こうか」
ミーアが強い視線で告げれば、レイも気持ちを切り替え歩き出す。
奥に進むにつれて、外の喧騒が聴こえなくなり、自身の足音がやけに大きく響く。そうして完全に外の音が遮断されたタイミングで、二人は広い部屋の奥にあった重厚な扉の前へと辿り着いた。
「本丸はこの先かな。準備はいい?」
「問題ないわ。ラフィア、待っててね……!」
木の取っ手に手をかけたレイが振り替えれば、そこには決意に満ちたミーアの顔。その熱を受けたレイは頷くと、正面を向いて目を瞑る。
数秒の沈黙の間に思い浮かべたのは、この場にいない自身の召喚獣の顔。
『じゃしん』という名にふさわしい、とんでもないトラブルメーカー。だがもはや、彼のいない『ToY』など彼女には考えられなかった。
「……よし」
覚悟は十分。後は取り戻すだけ。
レイは両手に力を入れて扉を開く。奪われたモノを、そして何よりも大事なモノを取り返すために――。
「じゃしん!助けに来たよ!」
「はい、あーん♡」
「ぎゃ、ぎゃーう!」
「……あ?」
そんな熱い感情が、視界に飛び込んできた仲睦まじいやり取りによって、一瞬で氷点下まで冷え込んでいく。
部屋の中は教会のホールのような造りになっていた。地面に如かれた赤い絨毯、正面奥には段差があり、その上には台が置かれている。
だが、明らかに普通ではない点が数点。一番分かりやすいのは、今現在じゃしんとシフォンが座っている、教会に似つかわしくない可愛らしいテーブルとイス。その上には多種多様のお菓子が用意されており、さながらパーティのような華やかさがある。
そしてもう一つ、台座の向こうに立つ十字架に磔にされたラフィアの姿。目の前で起きている和やかな光景とは似ても似つかず、自身の見間違いかと思ったほどであった。
「……じゃしん?」
「ぎゃう?ぎゃうっ!?」
そんな状況で、シフォンに差し出されたスプーンを口にするじゃしんに、レイは前のめりになっていた姿勢をすっと元に戻す。
自分でも驚くほどの低い声が出た呟きに、じゃしんはようやくレイの登場に気が付いたのか、その場で大きく飛び跳ねる。
「一応言い訳は聞こうか。聞くだけね」
「ぎゃ、ぎゃうぎゃうぁ……」
さながら浮気が見つかったように『ちゃ、ちゃうねん……』と目を泳がせるじゃしん。だが、口元にべったりとついた生クリームが完全なる動かぬ証拠となっており、レイの額に浮かぶ青筋がどんどんと大きくなっていく。
流石にこのままではまずいことを理解したのか、なにか言わねばとじゃしんが決意したタイミングで、これまで静観していたもう一人の少女が口を開いた。
「やめてもらえますか?私の大切なじゃしんくんに」
「……何だって?というか、私達の会話に入ってこないでくれる?」
だがそれは決して歩み寄るようなものではなく、むしろ正面から喧嘩を吹っ掛けるような言葉であった。
当然それを受けたレイはより眉間に皺を寄せ、売り言葉に買い言葉の如く舌戦の土俵に立つ。
「先に割り込んできたのは貴方では?私達はこんなに仲良くなったのに」
「仲良くなった?はっ、随分と寝ぼけたこと言うんだね。ただ物で釣っただけじゃん」
「何がいけないんですか?好きな人に喜んでもらえるならそれに越したことはないと思いますが。それに、じゃしんくんだって今の方が楽しいと思いますよ。ね、じゃしんくん?」
「絶対ない。だよね、じゃしん?」
「ぎゃうぅぅぅ……」
これ以上ないくらいの板挟み状態に、浮気のバレた間男のような気持ちを味わったじゃしんは、両手で顔を覆って天を仰ぐ。
回答を保留にしたことにレイが苦言を呈しようとすると、それを遮るようにシフォンがじゃしんを抱きしめる。
「ぎゃうっ」
「残念ながら、もうこの子は私の物です。だって、ずーっと目をつけてたんですから」
「……はぁ?」
腕の中で苦しそうに藻掻くじゃしんを愛おしそうに撫でながら、シフォンは胸の内に閉じ込めていた感情をここぞとばかりに放出させる。
「私、欲しいものは手に入れないと気が済まない質なんです。ひと目見たあの時からずっと、ずっとずっとずっとずっとずっと、この時だけを夢見てきました」
「ぎゃ、ぎゃうぅ……」
明らかに正気じゃない瞳に怯えるじゃしんを恍惚の表情で見つめるシフォン。そして、その表情のままレイを見ては願いを口にする。
「この想いなら、誰にも負けません。だから、じゃしんくんを譲ってもらえませんか?」
「あ、話終わった?じゃあさっさと返してもらってもいい?」
まさしく、一刀両断。
正義がどちらにあるかは置いておいて、少なくない感情の籠ったお願いを、一考の余地すらなく文字通り一蹴されたことに、初めてシフォンの顔が歪む。
「……どうして分かってくれないんですか」
「分かるもなにも、そっちの都合なんかどうでもいいし。そもそも話し合いで解決するなら、こんなところに来てないって」
「……そうですね」
これ以上の会話は不要だと言わんばかりに睨み合う二人。
一触触発、いつ戦いが起こってもおかしくない緊張感の中、いつの間にか移動していたミーアの声が響いた。
「ラフィア!ねぇ、しっかりして!」
十字架に縛られたラフィアを助けようと声をかけるミーア。
ただそれを見ても動こうとしないシフォンに、レイが不信感を抱く――そのタイミングでミーアの体が宙に浮いた。
「きゃあ!?」
「――こんな時間に来訪者とは。珍しいこともあるものだな」
「ッ……誰?」
見えない何かに引っ張られたように後ろに跳んだミーアを、レイはその体で受け止めると、背後から聞こえてきたしわがれた声を見ら見つける。
「それはこちらのセリフだと思うがね」
現れたのは西洋風の法衣を纏った老人。
皺まみれの顔で杖を突きながら歩いてくる姿にレイが警戒を見せる中、突如シフォンが席を立って傅く。
「お待ちしておりました、教皇様」
「聖女よ。此れが彼の者か?」
「はい、『迷いの森の魔女』にございます」
レイどころかシフォンにすら一瞥もくれずに台座に上がった教皇は一言確認を取ると、ラフィアの体を確かめるようにじっと見つめる。
「……たしかに。これは紛れもなく、気高き聖女の魂だ」
「なっ……!?」
教皇は満足したように頷くと、右手を上げてラフィアに翳す。するとラフィアは淡い光を放ち、やがて手のひらサイズの球体へと変貌する。
「なにをしたの!?」
「本来あるべき姿に戻しただけだ。まさか、知らないのか?」
問い返された質問に、微塵も心当たりがないレイは口を噤む。
その姿をちらりと振り返った後、すぐさま視線を戻して教皇は呆れたような口調で言葉を紡ぐ。
「これは千年前、邪神を封印した『聖女』の魂に過ぎん。故に、肉体どころか意志すら持たぬのだ。大方、それを肉付けして人形遊びでもしていたんだろうよ」
「なに、それ……。じゃあ、今まで会ってたのは……」
「そこの獣風情が作り出した幻想だな。奴はもうとっくの昔に死んでいる」
「ちがうっ!ラフィアは死んでなんかないっ!」
教皇の言葉に、ミーアが犬歯を剥き出して怒鳴り声をあげる。だが、それを受けてもなお、教皇は冷めた目でじっと手元の球体を見つめていた。
「死んだよ。現に、遺体はこの大聖堂の真下にある。そもそも貴様が余計な真似をしなければ、こんなに時間を使うこともなかったのだ」
ぶつぶつと呟く内容の多くは、レイには理解できない。
ただ一つ言えるのは、目の前にいる人間は間違いなく、倒さなければならない敵であるということ。
「まぁそれも昔の話。『器』、『魂』、『聖獣』……欲しいものが全て手の届く場所にあるのだ。こんなに気分が良いのはいつぶりだろうか――」
こちらを見ていない教皇に向けて、レイは腰から拳銃を引き抜いて容赦なく発砲する。
だが、その一撃はシフォンの手前に発生した光の障壁によって阻まれる。
「誰に武器を向けているのですか?不敬罪ですよ」
「いや、どう考えたってヤバい奴でしょ。邪魔するなら潰すけど」
「そうですか?私にはあなたの方が危険人物に見えますけどね」
『自身の目的のために、目の前の障害を取り除く』。完全に敵対した二人の感情は、ここに来て初めて一致する。
「さぁ、決着をつけましょうか」
「秒で終わらせてあげる」
『聖女』と『きょうじん』。信仰の頂点に立つ二人の戦いが幕を開ける。
[TOPIC]
NPC【教皇】
【リーベ教】の頂点であり、【聖女】のクエストを受けるうえでは避けることの出来ない人物。
どうやらかつて世界を救った英雄の一人である『聖女』に執着があるようで、【リーベ教】内で存在を示すと『聖女』に関する特別なクエストを受けられる。
……ただし、その胸の内に秘めた想いまでは明かしていないようだった。




