復讐と幸せ
生駒は緊張していた。様子を窺いにやらせた鳶丸はまだ戻って来ない。
あの、人殺しの強盗たちは先に邸に入ってしまっているのかどうか。もし先を越されていれば仕事としては失敗だ。でももしそうなら生駒は一人でも邸に乗りこんで、母の敵の男を探すつもりでいた。仲間たちに止められないようにこっそり邸に入り込むすべもあった。
けれどそれで確実に相手を仕留められる自信がある訳では無かった。それでも生駒はその男を追いかけずにはいられない。あまりにも長いこと追いかけていたので、最近はなんだかその男の実態があるのか無いのか分からないよう気持ちに襲われる事さえあった。
生駒はふと、姫が見えない何かを追いかけていた頃のことを思い出した。風の姿は見えないけれど、確かにそこにある。自分も何かの闇を追いかけているような気がする。
生駒は思い直した。いいえ、ただの闇じゃない。そいつは確かに私の母を殺し、私や隼人の人生を変え、今も誰かの人生を壊し続けているんだから。見つけて仕留められる相手かどうかは分からなくても、私は追わずにはいられない。そいつがいなくならない限り、私の中の紅い火が消える事は無いのだから。少なくともただの闇じゃない、そいつの姿を見つけ出さなければ、私の復讐は始める事さえできないんだわ。
おそらくは他の仲間は余計な邪魔が入らずに、上手く仕事が進むことを望んでいるであろう中で、生駒だけがそいつの姿を見つけ出したいと願っているのだ。
ようやく鳶丸が戻ってきた。
「大丈夫です。おかしな気配も、他の盗賊の姿もありません。侍の数もいつも通り。交代時の隙をついて、侍所の横を通って侵入しましょう」
あいつを追い詰められない悔しさと、あいつに会わずにすむ安堵感。複雑な心を持ちながら生駒は頷く。
「私はこのまま見張っているわ。皆、手順通りにね。盗んだらなるべく早く散らばること。自分の役割を終えたら、さっさと三条の邸にモノを置いてくること。鳶丸は全員が逃げるのを確認してから私の所に戻って。皆、ぬかり無くね」
生駒がそういい終えると皆が邸に向かって歩を進めようとしたが、鳶丸が足を止めて皆を引きとめた。
「ちょっと待て。今、見慣れない下男が裏門を通っていった。様子がおかしい」
鳶丸がそういった矢先、闇の中で幾人かの人影が邸の中に入っていくのが見えた。と同時に邸からは、
「誰だ?」と言う声が聞こえた。
「ちっ、先を越された! 皆、逃げるんだ」鳶丸がそういうと、邸の中が騒がしくなった。
今ならあの男を見つけられるかもしれない。生駒は思わず邸に向かって走り出す。
「生駒様!」 鳶丸が慌ててその後を追いかけた。
生駒は賊の中の中心人物を探す。一人、何か指図をするように手を振って声をかけている男がいた。その男を追っていると別の男が現れ、
「頭、まずい。衛門府の見回りが近くにいる。今騒ぎを起こせばとっつかまっちまう」
と、切羽詰まった声で知らせにきた。
「くそ、ついてねえ。散りじりにずらかれ!」
そう言ったその声は、忘れもしないあの、母を切った男の声だ。盗賊達は言われたとおりに散りじりに逃げ出した。生駒は仇の男の後を追った。
「生駒様。一人で動かれては」鳶丸が叫んだ。
「駄目よ。あいつを見失ってしまうわ」生駒はかまわず追いかけようとする。
すると男の向こうに二人の検非違使の役人の姿が見えた。役人たちも男に気がついた。男は素早く近くの路地に折れ、生駒はそれを追いかけた。鳶丸も続く。
男は役人とは別に自分を追っている人間がいる事に気づき、
「誰だ! てめえらは!」と叫んだ。でもその後ろからも役人たちが追いかけてくる。
このままでは生駒と鳶丸も役人に取り押さえられかねない。悔しいけれど大納言殿との約束がある。他の仲間の為にも自分が捕まる訳にはいかなかった。
「突っ込んで下さい!」
鳶丸はそう言って、役人に向かって飛び付いていった。生駒は飛び付かれた役人の横に突っ込んでいく。その瞬間、もう一人の役人と目が合った。
生駒は驚いた。そこにいた役人は確かに隼人だった。生駒の姿は目だけを出して、布で覆っている顔だが、思わず手で顔を抑えた。
鳶丸は飛び付いた役人から素早く離れ、隼人に向かって石のつぶてを投げつけた。
隼人がそれをよける間に、生駒と鳶丸はそこから走り去った。そしてすぐに物陰に身を潜める。
隼人ともう一人の役人は、賊の頭を追おうとしたが、もう姿がなかった。生駒たちを探すつもりはないようで、あの、狙われた邸の方へと戻っていった。
なぜ、舎人の隼人が検非違使の役人たちと、共にいたのだろう? それに隼人はあの男を追っていた。まさか隼人もあの男の正体に気付いているのだろうか?
それに、隼人は私にも気がついたかもしれない。顔は隠しているし、男ものの粗末な狩衣も身に着けてはいるが、一瞬あった隼人の目。あの目は私に気がついた様な気がする。隼人は役人に私のことを告げるのだろうか? もし、告げられたら私はもう今の邸にはいられない。あいつを追う事さえもできなくなる。生駒は色々考えては焦ったが、どうする事も出来なかった。
「生駒様。落ち着かれて下さい。とっさのことでしたから私の顔は見られていないと思います。生駒様は顔を隠していらしゃったし、大納言殿に繋がるような証拠は、何一つございません。今夜は早く邸に帰ることが肝心です。大丈夫です。大納言殿に御迷惑をかける事はありません」
鳶丸にそう言われて、生駒は自分を取り戻した。そうだわ。今夜は色々あって動揺はしているけれど、仲間は皆無事だった。深追いした私が鳶丸に迷惑をかけただけだわ。私達は何も盗んでいないのだから、証拠は何も残してはいない。鳶丸は顔を見られなかったと言っているし、私は素性を隠していた。早く邸に帰って何事も無かった顔をすればいい事なんだわ。
「そうね。早く邸に戻りましょう。鳶丸は門番の方をお願い」
そう言って生駒たちは闇にまぎれながら、邸へと急いで戻っていった。
翌朝、生駒は朝早くにもかかわらず、突然姫に呼びだされた。お珍しいなと思いながらも行ってみると周りは人払いがされていて、姫の御前には生駒一人。これはただ事ではない。
「いかがいたしましたか? 姫様」
それでも生駒はいつも通りの笑顔で姫に尋ねた。
「生駒。昨夜父上と会った後、どこに行っていたの?」
姫は単刀直入に聞く。遠回りなことを言っても生駒は返事をしないと思ったので。
「昨夜は曹司に下がった後は、どちらにも出向いておりません。大納言殿にも呼ばれてはおりませんが」
案の定、生駒はすらすらと嘘をついた。
「ごまかしても駄目よ。昨夜私は全てを聞いたの。父上のこと、生駒の復讐。あなたは粗末な狩衣姿をしていたわ」
「また、夢をご覧になったのでしょう」
「いいえ。夢じゃない。あなたの声をわたくしが聞き間違えるはずがない。あなたが夢だと言い張るならそれでもいいわ。わたくしは誰にも話さない。だって、あなた達の犠牲の上に、わたくしたちの幸せが成り立っているのだから」
姫は生駒の目を見てそう言った。これは本当に悲しそうな目で、重大な秘密を心に秘めてしまった人が持つ目の色だった。生駒は自分がこの邸に来た時、自分の過去を心にしまい込んだことを思い出して、何も答えられなくなってしまった。
「あなたや父上を責めるつもりはないの。私にそんな資格は無い。でもね、分かって欲しいの。私はあなたが本当に大切なの。その気持ちは父上にも負けていないわ。あなたには復讐のためになんか、生きて欲しくない。幸せでいて欲しい。亡くなった人のための復讐の為に生きるんじゃ無く、幸せになって、生きているわたくしの傍にいて欲しいのよ」
「……なんの御話しか分かりません。それに私は幸せです。こうやっていつも心配して下さる姫様がいらっしゃいますから」
「心配じゃないの! あなたは誰の為に幸せになるの? わたくしの為? 私の父上の為? それとも亡くなったあなたの母上の為?」
「姫様」
「わたくしはあなたに、あなた自身のために幸せでいて欲しい。そういうあなたにそばにいて欲しいの。誰かのために生きるなんて止めて。復讐なんてしなくても、人は幸せになれるでしょう?」
「世の中にはそういう人もいるのです。せめて復讐しなければ、その時何もできなかった自分が許せなくなる。手をこまねいていては幸せになれない人もいるのでございます」
生駒は姫の視線に耐えきれないようにそういった。でも姫は、
「それはわたくしも同じだわ。誰かが危険を冒さなければ幸せになれないと思い込んでいるのに、こうして手をこまねいていなければならない。それがわたくしの苦しみになる」
そうおっしゃってお顔をくもらせる。
「そうかもしれません。お優しい姫様ならそうお考えになるのでしょう。でも、残念ながら確かに世の中には、のさばらせておくのが憚れる人間がいるのでございます。それを許せぬ心と言うのは勝手に燃え上がる炎のようなもので、誰にも、どうする事も出来ないのでございます」
生駒はそう言って深く頭を下げると、
「やはり悪い夢をご覧になったようですね。でも大丈夫。ただの夢ですわ。さあ、手や顔を洗って、きちんとお化粧し直しましょう。今日は早めに朝の粥も用意させましょう。さっぱりしてお食事も済ませられれば、御気分も良くなりますわ」
そういいながら笑顔でいつものように姫の御世話を始めた。姫にはその態度で分かってしまった。自分が何を言っても生駒は考えを変える事は無いのだと。いくら言ってもただ、生駒を困らせるだけにすぎないのだと。生駒は姫を悲しませることも承知の上なのだ。姫は自分の無力さに、唇をかみしめるより他に無かった。
邸はぐるりと隙間なく築地塀がめぐらされ、主に西門と東門があり、さらに邸の中にも中門と言う門がありました。
他に邸によっては裏門や通用門のようなものがあったようです。
土で固めた塀で囲っているので、外から中の様子は簡単には伺えません。
逆に中に入られてしまうと厄介ですから、当時の防犯はよく門を閉じて、塀が痛んでいないか注意することが肝要でした。
不審者に入られては身が危険な上に、体裁を気にする貴族たちにとって面目も潰れてしまいますからね。




