小癪な女
「今日はぜひお会いしたい。お渡ししたい物があるのです」
隼人と会ってから数日後、以前から生駒に頻繁に声をかけて来ていた、とある邸に勤める男が文を届けてきた。
この時期は春の除目(任官)も終え、大きな昇官運動は一段落しているのだが、今年は賀茂神社の御社を少し修繕するかもしれないという噂があり、二か月後の葵祭までに間に合わせようとすると、そろそろ準備に取り掛からねばならない。除目でそれなりに良い国に任ぜられた国司がその国からここぞとばかりに金品を搾取して、物要りになる朝廷に取り入ろうと鵜の目鷹の目で動き始めているようだ。
そんな時期に声をかけている女房に、渡したい物があるという、従者にまで羽振りが良くなっているその邸は、確かに主人が豊かな国の国司に任ぜられたばかりだ。生駒はその従者を自分の曹司に呼ぶ事にした。返事を使いの子に持たせると、従者はすぐにやってきた。
「ようやくこの曹司に入れていただけました。『お土産』をご用意した甲斐がありました」
「あら、受取らせていただくとは一言も申しておりませんわ。あなたに贈り物をいただく憶えはございませんもの」そう言いながらも生駒は艶やかにほほ笑みます。
「そう、つれないことをおっしゃらないでください。お噂は知っているんです。あなたは贈り物を差し上げてしまうと、その後は会っていただけなくなると。だから男達はあなたに贈り物はせずに、どうやってこの曹司の中に入れていただこうかと、あれこれ手を打ってくるのだと」
「あら嫌だわ。そんな噂が立っているなんて」
「最近ですよ。噂になったのは。このお屋敷の姫君が華やぐようになられたので、ここに注目が集まるようになったんです。だからこの邸に素晴らしく美しいが手強い女房がいるとパッと話が広がったのです。しかも贈り物を差しだした他の男は皆袖になさったのに、私はお文を受け取って頂けた。これは男にとって実に光栄な事なんですよ」
「お口が御上手でいらっしゃるのね。でもそんな噂があるのに、私に『お土産』を持ってきて下さったの?」
「聞き捨てならぬ話を聞いたのですよ。ここに勤める弁の君が言うには、誰もがあなたの曹司を訪ねるお許しを頂こうと必死だというのに、まだわずかにしか会っていない男が、一度夜に訪れた事があったそうではありませんか。弁の君はその人は一度しか曹司を訪れていないと言いましたが、あなたはなかなかはしっこそうだ。私はその男に劣る者かどうか確かめたくて、わざと『お土産』を持って来たんです。もし、私が劣っているのなら、この『お土産』を最後にあなたは私と会って下さる事は無くなるだろうと覚悟して来たのです」
やはり隼人の事はそういう風に見られていたのか。それなら彼と私の事は良くある男女の駆け引きだったと周りも思っているだろう。これ以上の深入りをしなければ、こんな噂はすぐに消える。出来るだけ彼には関わらないことだわ。生駒は自分の動揺が、周りに気付かれずに済んで安心した。
「それは余計な御心配をなさったものね。つまらない噂を真に受けながら『お土産』を持ってくるなんて」
「男と言うのはこうなると試してみたくなるものなのですよ。その男とは今もあっていらっしゃるんですか?」
「まさか。その方とはその夜一度っきり。あれからここに一度も通してはおりませんわ」
「そんなことを言って、実は男が通っているとか……」
「勘ぐりすぎですわ。弁の君のおっしゃったとおり、あの方は姫君の求婚者の方の従者。姫さまへのお文の御使いにいらっしゃっているだけです。確かに一度はお逢いしましたけど、その後も続ける気にはなれませんでしたの」
そう言って生駒はにっこりと言うか、さばさばとした笑顔を向ける。
「それでは是非、私の土産の品を受け取ってください。これは主人の御子息の任地から贈られた物を、私がある御役目を果たした禄としていただいた品です。丁度文箱に使うのにいい大きさの箱ですので、これに私が差し上げる文を入れて頂きたい」
そう言って男は見事な螺鈿細工の美しい箱を差しだした。一目で高価な品と分かる、立派な作りのものだ。男の勤める邸は思った以上に羽振りが良くなっているのだろう。これは近々動きがあるかもしれないと生駒は考える。
「美しいですね。都の蒔絵の箱とは違う趣があって、あわれだわ」
「そうでしょう。是非この箱を受け取って、私との仲もいっそう親密に」
そこで生駒は差し出された箱を手で制した。
「いいえ。これを受け取るつもりはありません。これはあなたがお持ち帰りください」
「……私の心を受取ってはもらえないのですか?」
「いいえ、あなたの方が意地悪をなさっているわ。あなたが私にこの文箱を受け取れという事は、あなたばかりが私に文を贈るつもりで、私の書いた文をこの箱にしまって下さるつもりはないという事なのでしょう。御自分の想いはしたためて下さっても、私の心は受取って下さらないおつもりね? 私はこれからもあなたに文を書くつもりでいますのに」
生駒はそう言って少しむくれて見せた。その表情も魅力的で、愛らしさがあるのだ。
「まいりました。やはりあなたは手強い。お噂以上だ。これでは私はあなたに無理も言えないし、あなたを忘れることもできない。私はこの箱を持ち帰り、あなたの文を待たなくてはならないではありませんか。実に小癪な人だ」
そう言うと男は文箱を持ち「また文を贈ります」と、曹司を出て行った。
その夜、生駒は大納言殿とお逢いした。
「あれほどの品を従者にお与えになる。想像以上に羽振りがよさそうです。あそこの主人は気が強い、上昇志向の高い方だと聞いていますが」
生駒は昼間の従者の話を大納言殿にお聞かせしていた。その邸の主人はこのところ目立つ動きが多い方だったので、大納言殿も目をつけていたから。
「そうだな。そろそろ強引な手に出てきそうだ。一度偵察を出してみよう。様子をうかがって近々決行する。いつものように鳶丸に行かせてくれ」
「承知いたしました。さっそく言いつけましょう」
そう言って生駒は立ち上がろうとしたが、大納言殿が引きとめた。
「何か?」
「生駒、少将殿の従者と曹司で逢ったそうだな。お前が「さぐり」を入れた邸以外の者とそういう事になるとは珍しい。ひょっとしてその男に気があるのか?」
一瞬、生駒は迷った。大納言殿は自分が人買いに売られた身であることを御存じだ。でもあの夜の事は細かくは知らないはずだわ。しかも隼人は姫君の求婚者、少将殿の従者。大納言殿は少将殿を気に入っておられるご様子。その従者があの夜の事に関わっていると知るのは御気分の良い事とは思えない。
「いえ、ほんの気まぐれです。気が合うかと思ったのですが。時にはそういう事もありますわ」
結局生駒ははぐらかした。
「もしも男を通わせて、結婚する気があるのなら、この役目をさせる訳にもいかない。そういう気になった時には言って欲しい。別の者を探させよう」
大納言は前々から女の生駒を巻き込んだ事に後悔しているようだった。これを機会に理由をつけて、あの約束を反故にしてでも生駒に手を惹かせたい気持ちがあるようだ。
分かっているからこそ、生駒はさらりとこう言った。
「男の従者には危険ですわ。前の例もありますし。女でこんなことをする人は私の他にいないでしょう。ご心配なく。私は結婚などしませんから」
「復讐だけに生涯を費やすつもりなのか?」大納言殿が気の重い声で聞いた。
「それも一つの生き方と思いますので」
生駒はそう言って、丁寧に一礼するとその場を離れた。
「禄」と言うのは、身分が下の人などに御褒美や、代金として渡す品物の事を言います。
特に良く使われたのは絹の布や衣装でした。
こういう時の布や衣装を受け取るには作法があり、頂いた布や衣装を肩にかけて礼をしたので、別名「被け物」とも言いました。
お金の流通がまだそれほどしっかりしていなかったので、布や衣装はお金と同じ位大切な価値があったんですね。
まだまだ物々交換から脱しきれていない時代だったようです。




