後編
2020.6.2 管澤捻さまからFAいただきました。
「周から私は鈍いと言われたのだが、どういう意味だと思う?」
翌日、弁当を食べながら、昨日周に言われたことを保に訊いてみた。
「ニブいって、何についてだ?」
「それがわからないから訊いているんじゃないか」
保は、少し考えて
「誰に、どういうシチュエーションで言われた?」
と訊いてきた。
なるほど。誰がいつ言ったかで、その意味が変わるというわけか。
「周から、頭いいのに時々すごく鈍い、と」
一字一句正確ではないだろうが、概ねこんな言い方だったはずだ。
「すまないが、シチュエーションはよく覚えていない。
昼休みに弁当を持って教室を出る時だったと思うのだが、その時、特に何かあったという印象はないんだ。
もしかしたら、気付かないうちに周を傷付けていたのかもしれないと思うとな」
そう言うと、保はまた少し考えて
「そんで、その後、彼女の態度は変わったか?」
と言う。
「いや、それが、特に変わったような気はしないんだ」
そう、だからわからないのだ。
鈍い、というのは、褒め言葉ではなかろうから、“どうして気付いてくれない”という非難の気持ちがあるはずだ。それは、本来その後の付き合いに影響をもたらすしこりととなるはずなのだが…。
言われた時には幾分かの呆れのようなものを感じたのだが、その数十分後、弁当を食べ終わって教室に戻った時には、既にいつもの周と変わらない態度だった。
そのため、周が何に呆れ、何を注意したのかがわからない。
そういう部分も含めて鈍いと言われたのかもしれないが。
「それなら簡単だ。
彼女は別段、みぃのことを非難したわけじゃないんだ」
「非難じゃない? では、どういう意味だ?
保にはわかるんだな? 頼む、教えてくれ。
私は周を傷付けたくない」
保の言葉は、周のもの同様理解できなかったが、保には周の言葉の意味がわかったらしい。
つまりは、私が鈍いからわからないということは間違いないところなのだろう。
保がわかるのならば、いい。
本当に問題があれば、保から一言あるはずだ。
保なら、事態が紛糾する前に私を諌めてくれる。その辺り、保は本当に頼りになる。
「本当に単に呆れただけなんだ。
例えば、そのときの受け答えで、みぃが呆れられるようなとんちんかんなことを言ったけど、怒るようなことではなかった…というところが近いかな。
たとえば、人が“ダメだなぁ”と言うのって、どういう時だと思う?」
駄目だなあ、か? それは…
「何か失敗した時が考えられるな」
「それも、たいしたことない失敗、な。
大きな失敗だと、“ダメだなぁ”じゃなくて“何やってんだ”になるだろう」
「なるほど、確かに大きな失敗なら、呆れよりも怒りが勝るな」
そうか、周は私の言動に呆れを滲ませたのか。それならば、次に私の顔を見た時、特段の反応がなかったこともうなずける。
──いや、待て。
あの時、私は、周と会話などしていなかったのではなかったか。
言動、となれば、言葉に限定されるものでもないが、さりとて呆れられるような行動を、私は取っていたのか?
あの時、私は…。
「保と昼食に行くために弁当を持って立ち上がった時…だったと記憶しているのだが…。はて、どの辺りに呆れられる要素があったのだろう」
思わずそう呟いたところ、保は困ったような顔をして私を見ていた。
そうか…。
「もしかしたら、私たちが付き合っているわけではないと、気付かれたのかもしれないな」
どうやら、私の想像は当たっているようだ。保が、我が意を得たという顔になっている。
「どうする? 周は口が堅いから、実情を話しても問題ないとは思うが」
「どうして、そう思った?」
今度は外したようだ。保が考えているのは、別のことらしい。
「私たちが付き合っているわけではないにもかかわらず、私が保に弁当を作ってきていることについて呆れられたのではないのか?」
「それは“ニブい”と表現されるようなことか?」
なるほど。そういえば、呆れは意味の話であって、実際に投げかけられた言葉は“鈍い”というものだったな。
私が、この偽りの関係のために弁当を作ったとしても、それは無駄な労力や物好きと評されることではあっても、鈍いと評されることではないな。
鈍いというのは、誰かの真意を慮ることができていないという意味だろう。
誰かといっても、私と保の間の話なのだから、保の真意ということだ。
私が、保の真意を量りかねている…?
「まさか、な」
「ん? 何が“まさか” なんだ?」
「いや、周に鈍いと言われた理由を考えてみたんだが、保の真意を見誤っている、くらいしか思いつけなくてな…」
「なんだ、自力でそこまでいったのか」
保の言葉に驚いて見ると、いたずらっぽい笑みを浮かべている。つまり、それで正解ということだ。
「それでは、まるで保が弁当を欲する理由が別にあるかのようではないか」
「だから、そう言ってる。ほれ、当ててみろ」
保がこの笑みを浮かべている時は。私が困っているのを見て楽しもうとしている時だ。
私が今まで何か勘違いしていたことを、自力で解き明かすのを見物しようというわけか。
見世物のように扱われることには、いささか面白くないものがあるが、とはいえ、長い付き合いである保の気持ちも理解できないというのは、もっと面白くない。
考えるに、周は私に向かって、頭がいいくせに鈍いと言っていた。ということは、少し考えれば誰でも理解できるようなことなのに私が理解できていない、ということなのだろう。
保が私に弁当を作るよう頼んできたのは、私と付き合っているからという断り文句に信憑性を持たせるためだ。
わざわざ生徒会室に移動して2人で食べるのも、2人きりの会話などを見せないことで、想像を逞しくさせるため。
行き帰りを見せつけるかのように2人で並んで歩くのも、2人の距離を見せつけるのが目的だ。
──これが表向きの理由で、裏に隠された意図があったと仮定しよう。
その場合、誰に対して隠されるのかといえば、それは私ということになる。
私に隠すのか? 保が?
信じがたいが、対外的な目的をもって行われてきた弁当絡みの数々が、その方向性を変えるのだとしたら、私に向かうしかない。
私に向けられた秘められた意図に私が気付けていないのを見れば、周が私を鈍いと評することも理解できる。なるほど、推測が裏付けられたな。
では、裏に秘された意図とは何か、ということになるわけだが。
まず、弁当を私に作らせる理由が別にある可能性だな。
これは、単純に私の弁当を食べたいから、という可能性が呈示できる。私の料理自体は何度も食べているわけだし、味付けもボリュームも、おばさんの作るものより好ましいと思っている蓋然性がそれなりに高い。なにしろ、おばさんは料理はあまり得意ではないからな。化学調味料や市販のスープ類をふんだんに使った料理より、きちんと出汁を取る私の家の味付けの方が好みだと聞いたこともある。──つまり、私はうまいこと言いくるめられて飯炊き女扱いされてきた、ということか。とはいえ、代金も貰っているし、困ってもいない。
生徒会室で食事をすることについては、コーヒーが飲めるとか、調味料を常備できることなどの特典があるくらいしか思いつけない。役得があるのは確かだが、それには別段私の存在は必要ないはずだ。
生徒会室への往復を2人ですることなど、私と一緒に到着できること以外メリットが見当たらない。特に、戻りなど、私が一緒にいる意味が全くないではないか。
──私がいること、それ自体に意味があるというなら別だが。
む? 私が一緒にいること自体に意味があると仮定すると、生徒会室での食事にも共通する目的となり得るな。
私と一緒に歩き、私と一緒に弁当を食べるのが目的で、私にそうと気付かせず傍に置こうとした──そう考えれば、筋は通る。通るが…。
「それでは、まるで保が私と一緒にいたいだけのようではないか…」
「おっ! そこに思い至ったか」
思わず漏れた私のつぶやきは、思いがけず保に拾われた。
「今、なんと言った?」
「いやぁ、実はさ、みぃと恋人らしいことしたかったんだよな」
「恋人らしいもなにも、私達は恋人同士ではなかろう」
「だから、形から入ってみたんだ。
みぃが作ってくれた弁当を2人きりで食べて、昼休み中2人で過ごしてるのを学校中に見せつけてやったからね。
もう、俺とみぃが恋人同士だって、学校中が知ってるよ」
「それはそうだろう。そのために、あのような目立つ行動を取っていたのだから」
「うん、だから、後は実態を一歩進めるだけだ」
「なんだと? どういう意味だ」
「だから、それが美守さんからニブいって言われた理由だよ。
外堀埋められてることに気が付かないで、一緒になって埋立作業に従事してくれたみぃには感謝してる。
てことで、今後は本当の恋人ってことでよろしく」
滅多に見ない保の本当に嬉しそうな笑顔に、私は返す言葉を失った。
待て、今なんと言った? 本当の恋人だと!?
「待て、それではまるで、保が私に対して恋愛感情を持っているかのようではないか」
「だから、そう言ってる。好きだぞ、みぃ」
待ってくれ。そんな話は知らない。
保が私のことを好きだと!?
かつて、そんなことを言われたことはなかったはずだ。どうなっているんだ。
だって、私と保は、単なる幼なじみであって、色恋が絡んだ思い出など、どこまで遡っても見当たらないではないか。藪から棒に、そんなことを言われても…。
「はは、みぃがそうやって目をグルグルにしてるの見るの、ずいぶん久しぶりだな。
じゃあ、そういうわけだから、今からは本当に恋人同士な。
大丈夫、みぃが晩稲なのはわかってるし、心の準備が整うまでは何もしないから。今までと何も変わらないよ。外形的にはね。
高校生の男女交際は、清く正しく、なんだろ?」
保が私を好き……私を好き!?
幼稚園からだから、15年近い付き合いになるが、保からそういった類の言葉を言われたことはない。
話に聞くお医者さんごっこなるものも、ままごとの類も、したことはなかった。
無論、友人としての好意は感じているし、私自身も、保はかけがえのない存在だと思っている。
今回の件があるまで、保の考えを理解できなかったことなどないとも思っていた。
だが……恋人? 私を女として好き、だと? これまでの付き合いのどこに、そのような種類の好意が含まれていた?
「私のどこに、好きになる要素がある……」
「みぃは可愛いぞ。しっかりしてるくせに人の裏側読めないから放っとけないし、今だって、状況が飲み込めなくて目がグルグルになってて可愛いじゃないか」
「状況が理解できないでいるのは間違いないが、右往左往している姿のどこが可愛い? 無様なだけではないか」
「みぃは、男心をわかってないからなぁ。
そういう、隙のあるところがいいんじゃないか」
「駄目だ、何を言っているのか、全く理解できない…」
「今はまだ理解できなくていいよ。
とりあえず外堀は埋めたから、ライバルも出ないだろうし。
まだ卒業まで1年あるし、これからゆっくり内堀埋めていくから、気にしないで流されてろよ」
流されろとは、どういうことだ? 流されたら、どうなるというんだ。
「今の話のどこに、気にしなくていい要素があった?」
「気にしてもしなくても、行き着く先は同じだから。
幼なじみのままじゃ、卒業したら一緒にはいられないだろ? そう考えたら、みぃにずっと傍にいてもらう根拠が必要だって気付いたんだ。
俺は、みぃと一緒にいたい。
だから、できるだけ一緒にいて、みぃにとってもそれが当たり前って状態にする。
みぃが俺の傍にいて苦にならないことはわかってるから。それを当たり前にする」
「一緒にいるのが当たり前…」
高校を卒業したら、進学するにしろ就職するにしろ、同じところに入るということは、確かにないだろう。
保の顔を見ない毎日は、なるほど、想像できないが。
「嫌になったら、そのとき言えばいいよ。ま、そうはならないけどね」
呆れるほど朗らかに、保は宣言した。それは、確かに一緒にいて嫌だと思ったことは一度もないが。
押し切られたというか、わけもわからず流されたというか、この昼休みの昼食会は、日常の風景として、私達が自由登校になるまで続いた。私達が生徒会役員でなくなった3年の10月以降は、私の席まで保がやってきては、私を困らせるような話題を振るようになって往生した。
卒業し、互いに大学合格が決まった頃には、私達には「婚約者」という肩書きが付いており、大学は別々であるにもかかわらず、上京先で一緒に住むことを双方の両親が推奨してきた。
相変わらず保の根回しの能力には瞠目するばかりだが、私の関係しないところでその才能を発揮してほしいとの思いを禁じ得ない。
保は、私が苦情を申し立ててもどこ吹く風で、「もう内堀も九分九厘埋まった」と笑って…
「ま、ま、待て、保、い、今、ほ、頬に、くっ、口づけっ!」
今、私は何をされた? ほ、頬に、口づけだと!? それは、恋人同士がやることではないか!
いや、私達は婚約者ということになっているから、それはいいのか?
いや、だからといって、いきなりそんな…同居してまだ3日だぞ…。
「はは、また目をグルグルにして。
本当に、みぃは可愛いなぁ」
保は、笑いながら、私を見ている。
「こ、高校生の交際は…」
「いやだなぁ、俺たちはもう大学生なんだけど」
そ、そうだったな。
し、しかし…。
「まぁまぁ、みぃが本気で嫌がることはしないし、ゆっくり慣らしていくから」
その日から、毎日のように頬に口づけされるようになった。
ようやく慣れてくると、今度は、夕飯の後、肩を抱き寄せられるようになり。
保は、私が困惑する姿を見て柔らかに笑い、「ほんとにみぃは可愛いなぁ」と目を細めるのだ。
私で遊ぶのはやめてほしいものだ。こちらは、そのたびに本当に困惑しているというのに。
そんな生活が、大学を卒業して籍を入れるまで続いた。
些か不本意ながら、保と過ごし、彼のために家事をする生活に不満を感じたことがなかったことを付記しておく。
これを書いたのは、しばらく砕けた物言いをするキャラばかり書いていたら、堅いしゃべり方をする女の子を書きたくなったせいです。
鷹羽は、普段は、こういう朴念仁キャラは男性で作るのですが、ウブで朴念仁な女の子も可愛いなぁ、と思いました。
キャラの名前ですが、
広井海里…ヒロイン、恋が実る
柄垣 保…描いた餅(絵に描いた餅をちゃんと手に入れる)
美守 周…周囲を見守る
です。




