#082 「ひぃん、ブラックだぁ……」
「きょうつうれきななせんはっぴゃくななねん」
今何年なのか? と聞かれたので、銀河で広く使われている共通歴を教えてやると、妖怪緑ゲロ女は目を点にして馬鹿みたいな顔をして固まってしまった。
「……おぇ」
「まだ吐くのかよ」
ぺちゃぺちゃと先程までと比べてだいぶ大人しく嘔吐する女に呆れながら、フィアに鼻と口を覆う防毒マスクを装着させる。こいつのゲロから未知の病原菌にでも感染したら大変だからな。目の粘膜から感染しないと良いんだが。
「寝起きで頭の調子も身体の調子も悪いだろうから質問攻めにするのは後にしてやる。立てるか?」
「むりぃ……」
急に元気が無くなったゲロ女がそう言うので、ポッドから引きずり出して抱き上げる。これだけゲロを吐いたということは内臓系にダメージがあるかもしれないな。横抱きにするか。
ちなみに女は全裸である。服の残滓らしきものが身体に張り付いているところを見ると、どうやら長期間の低温環境に耐えきれず服が崩壊してしまったらしい。
「……旦那様、あとで私も抱っこしてください」
「あん? 別に良いが」
俺の腕の中で横抱きにされているゲロ女を見上げて、フィアが妙なことを言ってくる。別に抱っこするくらい構わんが、何故このタイミングで言うんだ。
しかしこの女、貧相な身体つきだな……薄くて細いとでも言えば良いのか。肋骨は浮いて出ているし、胸も薄い。フィアと良い勝負だ。割と美人だとは思うんだが、今は口元が緑のゲロ塗れで美人もクソもないな。
「あ、なんかおもったよりゆれない……」
「負傷者運搬モードだからな。それより俺の腕の中で吐き散らかすなよ。地面に放り捨てるぞ」
「あんたはおにかあくまかなんかか……?」
腕の中からジト目を向けてくる女を無視して入口へと向かう。ちなみに負傷者運搬モードというのは負傷者を抱きかかえて運ぶ際、頭部などを揺らさないように腕の動きを自動補正するモードだ。これが意外と便利だったりする。咄嗟の動作にラグが出るから、周囲の安全が確保されている時にしか使えんがな。
「おー。ぼす、せんりひんげっと?」
「戦利品だと良いんだがな。不良債権なら見なかったことにしてそこらに埋めるか」
「はたけのようぶん?」
「そういう使い途ならそのまま埋めるんじゃ駄目だろ。ちゃんと処理しないとな」
「えこだねー」
「なにこのひとたちこわい……」
俺とミネラの会話を聞いて腕の中のゲロ女が震えている。おいおい、折角揺らさないように運んでるのにお前が震えたら意味がないだろうが。落ち着けよ。
「外に出るぞ。フィアは陽の光に気をつけろよ」
「はい、旦那様」
防毒マスクをつけたままのフィアが遮光用のフード付きポンチョを被る。少しの間ならあの程度の装備でも陽の光を避けられるらしい。フィアの身体に影響を及ぼすのは紫外線だという話なので、紫外線のみをカットするUVシールドを作ってやるのも良いかもしれんな。後でデータコアから参考となる技術をサルベージしてフィアに渡してやろう。
「俺はこいつから事情を聞き出すために農場に戻るから、こっちは頼んだぞ……って、フィアもついてくるのか。シェルターの見学は後にするのか?」
「はい、旦那様。フィアもこの人のお話を聞きたいので」
「オーケー。じゃあ後ろでこいつの様子を見てやっててくれ」
「はい、お任せください」
後部座席に寝かせたゲロ女に毛布をかけ、フィアにも同じく後部座席に座ってもらうことにする。ゲロ女がゲロを吐いても良いように、フィアにエチケット袋を渡しておくことも忘れない。そろそろ出るものも無くなってるっぽいけど。さて、農場に戻るか。
☆★☆
毛布に包んだ裸のゲロ女を連れ帰ってちょっと騒ぎになったりもしたが、予め組み立てておいた医療ポッドにゲロ女をぶち込んだところ、ゲロ女の体調は昼過ぎには無事回復した。
服に関してはうちは女所帯なのでなんとかなった。胸の大きさだけはどうにもならなかったらしいが。うちの女性陣はスピカ達以外は結構あるからな。胸。
で、今はゲロ女から事情を聴取しようとしているんだが。
「六百年以上も経っているなんて……」
ゲロ女は両手で顔を覆って俯き、クソデカ溜め息を吐いた。まぁ、気持ちはわからんでもない。コールドスリープポッドに入って意識を失い、目覚めたら六百年以上経っていたと言われたら俺も同じような反応になると思う。
所謂通常の人類の一世代というと、凡そ三十年程度だ。六百年となると単純計算で二十世代もの年月が流れたことになる。もはや『上』の国家でもゲロ女の戸籍や住民IDどころかありとあらゆる記録が散逸、もしくは埋没してしまっていてもおかしくはないだろう。
「行く宛があるわけもないよな」
「あるわけがないじゃないか……六百年だぞ」
俯いたままゲロ女が呻く。まぁそうだよな。チラリと同席しているエリーカに顔を向けると、エリーカは俺の顔をじっと見たまま頷いた。うーむ、コルディア教会的には放り出すって選択肢はないみたいだな。システィアとハマルも同じ意見のようだし。
「うちに置いてやっても良い。何らかの形で働くなら、衣食住は提供してやる」
「給料は……?」
「悪いが今のところ全員に衣食住を提供するだけで精一杯でな。給料なんてシステムはない」
「ひぃん、ブラックだぁ……」
ゲロ女が泣きそうな顔で嘆く。確かにブラックといえばブラックかもしれんが、衣食住に娯楽も完備してるし、勤務形態は滅茶苦茶緩いぞ。
「嫌なら自律型の殺戮戦闘ボットだの、女と見れば苗床にした上に弱ったら解体して食う連中だのが跋扈している荒野に放り出すことになるが……服だけはそのまま着て行って良いけど」
「選択の余地がないじゃないか……!」
「世の中ってのはままならないよな」
憤慨するゲロ女に肩を竦めて応える。
「そろそろ自己紹介しておくか。俺はグレン。元傭兵で、最近この星に降りてきて農場を作り始めた男だ。ほぼ全身義体化してるが、一応人間だぞ。そしてこっちは俺の嫁さんのエリーカとフィアラルだ。他にも二人いるが、今は席を外してるな」
「はぁ、これはご丁寧に……私はアイ・ヒダカ。シュトローム共和国の技術者……だったんだけど。今もシュトロームってあるの?」
「共和国じゃなくて帝国になってるなぁ」
「どうしてぇ……? どうして共和国から帝国になってるのぉ……?」
シュトローム共和国、改めシュトローム帝国は上で争っている三国のうちの一つで、サイバネティクスやロボティクスが発展している銀河帝国である。確か五百年くらい前に大規模な政変があって帝政になった筈だ。
「それはシュトローム帝国の連中に聞いてくれ。俺は知らん。しかし技術者ねぇ……今のテックも扱えるか?」
「見てみないとわかんないよ……六百年でどれだけ技術が発展したかわかんないし。周りを見た限り、昔とそんなに変わんないようにも見えるけど」
そう言ってゲロ女、もといアイが急拵えの医務室を見回す。まぁ、ここにあるのは医療ポッドくらいで、他には照明とドアと俺達が座っている椅子とテーブルくらいしかないからな。
「何にせよ『今』に慣れてもらわないことにはどうしようもないな。うちで働くか、出ていくかはおいおい決めれば良い。とりあえず一週間くらい面倒を見てやる。タダ飯ってわけじゃないがな」
「わかったよ……はぁ」
無慈悲な俺の宣言にアイはがっくりと項垂れ、ため息を吐いた。




