99 赤髪の正騎士
空が抜けるように高い。
端々に雲はうっすらと帯状にかかるものの、おおむね快晴。空気が澄んでいる。
秋も深まる十の月。湖に浮かぶ都レガティアの北端の一区画、皇国近衛府の敷地内では今日、一人の騎士見習いの昇級試験が行われていた。
すなわち、正騎士への。
ダンッ――
強い。思いきりのよい踏み込みのあと、一瞬の銀の光を弾いて刃がきらめく。
真剣だ。
打ち合う両者はともに簡易鎧を身に付けている。狙うべき場所を予め覆われてはいるものの、慣れぬものが目にすればひやりとする。
切り込まれた側は剣筋を見切り、上半身を捻るも優れた体幹を発揮して重心に乱れはない。すかさず下段に構えた剣を繰り出した。
未だ空を薙ぐ相手の剣にジャジャッ……とみずからの刀身を滑らせ、鍔まで到達させると、くるりと手首を返す。
「! しまっ……!!」
キィン!
高らかな金属音を練兵場の石畳に反響させ、始めに切りかかった騎士の剣は宙に飛んだ。弧を描き、カシャァン、と落下。
ちょうど足元まで回転してきたそれを避けつつ、審判係の教官は声を張り上げた。
「そこまで! 勝者グラン・シルク!!」
わぁああ……っと、人垣が湧いた。時期外れの正騎士志願者。しかもブランクを抱えての変節者でもある。
齢十七。本業はレガティア芸術学院の生徒。しかも既に皇国楽士だ。かれが近衛府を訪れたときは、誰もが「なぜ」と首を捻ったものだが。
「すっげ……見たかあれ? 相手の先輩、絶対本気だったぜ」
「見た見た。あの突きは殺る気じゃないと……つうかさ、昼に言ってたもん。『生半可な特別扱いなんぞ認めん』って。対戦役も、自分から買って出たって話だけど」
「うぇえ……無理。よく勝てたよなあいつ。騎士見習いだったのは十歳の一年間だったって聞いたぞ?」
「――いや、一年と八ヶ月だ」
「「!!!」」
突然、背後に響いた淡々とした声音に好き放題語り合っていた見習い二名は、文字通り飛び上がった。揃って後ろを振り返る。
綺麗に気配を殺されていた。すぐ後ろに立たれていたことに今さら泡を食う。
「しっ……小隊長っ! すみません、弟君なのに」
「構わんよ」
短く刈り込んだ赤い髪。人懐こい茶色の瞳。なるほど、特徴ある髪色と恵まれた体躯は兄弟ともに似ている。
かれはその視線を、たった今正騎士となった――まだ少年っぽさを残す青年へと投げ掛けていた。
練兵場の中央は、今や粛々と昇進の儀に移りつつある。無駄を省く傾向のつよいレガートの気風はこんなところにも表れていた。
試合の勝者であるグランは肩で息をしつつ紺色の瞳を輝かせている。
壇上の近衛府長官に向き直り、教官から正騎士の証たる勲章と金糸で紋章を縫いとった白地のマント、長剣を授かった。
――あとで、寮舎に濃紺の騎士服も届くだろう。
弟の容姿にその装束はさぞ映えるだろうなとにこにこ顔を緩ませる男は、実に害の無さそうな平和な空気を醸している。
傍らで、見習いの少年が一人、こっそり呟いた。
「『兄馬鹿やめろよ』って、グランがまた怒り出しますよ、小隊長。顔、顔。緩みすぎ」
「うん? いやぁ……、それはないよ。何しろ今日は、とびきり可憐なお客様がおられる」
「可憐――あぁっ! あの令嬢っすか!? 何です、グランの婚約者だったんですか。くっそ、勝ち組かよあいつ……!!」
ぎりぎりと歯噛みする勢いの騎士見習い達に、赤髪の小隊長は苦笑を滲ませる。
(婚約者……候補ではあるらしいけど。どうかな、多分――)
ちらり、と視線を斜め上へと逃がす。
赤レンガで組まれた近衛府庁舎。その二階部分の窓から、先ほどから身を乗り出しそうになっては側付きの従者の少年に嗜められている少女がいる。
試合に夢中だった他の面々は気づいていないが、彼女がここを訪れた昼前は騎士達に激震が走った。知るものぞ知る美少女。レガートが誇る稀代の歌姫。バード楽士伯家のエウルナリア嬢その人なのだ。
当然みな騒ぐ。俺も騒いだ(そして弟に殴られた)。
くす、と笑み綻んだ小隊長は目許を和ませ、無駄かもしれない一言を添えた。
「あんまりさ、弟をやっかんでくれるなよ。あいつ、多分振られるタイプだ」
グランが聞いていたとすれば間違いなく『抉るな!! さも人の善さげな笑顔で!』と、頭突きの一つもかまされただろう。
もちろん、やんわりとした嘆願は騎士見習いらの頭上を素通りしている。
――晴れ渡る空の下。
若い主従と幼馴染みの再会が、今か今かと待っている。




