98 かなしみに、寄り添う歌を
「反省なさってください。海よりも深く」
「はーい」
「……なさってませんね? 駄目ですよ殿下。エウルナリア嬢のもとにレイン殿を手引きするなど。たとえ想い合うお二方であっても駄目です。もっての外です」
つらつらつら。
くどくどくどくど。
「~~~あぁぁあ、もう、わかった! わかったってば!!!」
皇女は盛大に音を上げた。
組んでいた両腕をほどき、拳を握りしめて勢いよく振りおろす。肩が上がり、細い鎖で垂らしたルビーの耳飾りとなめらかな銀髪が揺れた。頬が赤い。
睨むように爛々とかがやくのは紅の双眸。整った面には、くっきりと怒りの色が浮かぶ。
――世間的には、これを逆ギレという。
ゼノサーラは傍らの長身の騎士を見上げ、凛とした声音をつよく響かせた。
滑舌がよい。
ぽんぽんと言いたいことを並べたて、スラスラと畳み掛ける。
「あんた達のやるべきことは警護。そりゃわかるわよ。でも私にしかできない、あの子へのフォローがあるわ。あの晩と次の日、ぽっかりと日程は空いてた。行程に余裕があるなら私だって、色々試みたいことはあるのよ」
「それが、親友とその恋人の逢い引きと仰いますか」
「ええ。そうよ!」
「……う~ん……」
予想通りとはいえ、まったく反省を見せない皇女に溜め息が漏れる。
右手は腰に。
左手を額に押し当てたロキが、らしくもなく呻く。
――――ぽん。
その背をやさしく、親しげに叩くものがあった。
およそ『叩く』ことに関しては熟知の域にある大きな手。
天性の打楽器奏者でもあるシュナーゼン皇子は、ロキの背に触れたまま、にっこりと真横から笑いかける。
「まぁまぁ、我らが騎士隊長殿。幸い何もなかったみたいだし、いいじゃない。うるわしい友情ゆえのサーラの大胆さだよ。大目に見なよ。だからぜひ、僕も婚約者候補として今晩エルゥのところに」
「駄目です」
「だめに決まってるでしょ」
神がかった瞬発力だった。
護衛官でもある東方騎士隊長と妹姫が、同時に皇子の言をぶった切る。
シュナーゼンは、大げさに「えぇぇ……」と仰け反る。
ロキは苦笑した。
「それに、今夜はどうあっても無理です。おわかりでしょう? ご心配なさらずとも、かれらは今二人っきりではない」
「まぁ……、そうなんだけど……」
もごもごと何かを言いたげな気配を見せつつ、くしゃっと髪をかき上げた皇子は目線を脇に逸らせた。
案ずるような視線の先。
たなびく煮炊きの煙に紛れ、夕陽が沈んでゆく。さぁぁああ……と靡く、哀切を含んで鳴る草の音。
既にここはオルトリハス。
一行は砂漠からの護送の一団と別れ、草原のさ中にあった。
* * *
空の端が茜を帯びる。
群青に沈みつつある広い、広い空に向けて頭を上げ、澄んだまなざしを彼方に投げ掛けるエウルナリアがいた。
――果たすべき約束がある。そう、一行に伝えたのが昨夜。今日はわがままを言ってエナン街道を逸れて南下し、草原の只中で一泊することとなった。
野宿ではない。簡易の移動式住居を借り受けている。
生成り色のフェルトの幕がやや離れて建つ場所は、近くにどの部族旗も見受けられない。見渡す限りの草海原。側に立つのはレインと護衛騎士のシエルだけ。
弔いの歌だ。聴かせるのは故人に対してのみでいい。
ポロン……と、レインが竪琴を奏でた。
目は閉じている。心を音に乗せているのかもしれない。決して大きくはない弦の音色は聴くものの胸に沁み入るように透明で。
エウルナリアはただ、無心にその流れに身を委ねた。
流れる。うつろう。前奏が終わりに近づく、その瞬間に息を吸う。
――――会い見えることなく逝った祖父母へ。
できれば父のために、もっと長く居てほしかった。本当に嘆き、つらかったのはまだ十三歳だった父だ。
命を奪われた祖父母も。
さぞ、心が残ったろう。―――ちくり、と刺すような痛みが走る。歌いながらも潤み、目許がひそむ。
しかし姫君は朗々と歌い上げた。
澄んだ声音。
控えめな波。
うつくしいだけではない毅さすら滲ませ、歌う。声を風に乗せる。
届け、空へと。
最後の弦が一音を奏で、余韻が消えてしまっても尚、エウルナリアは微動だにしなかった。
柔らかな草地を踏み、竪琴を抱えたレインが背後からしずかに近づく。
「エルゥ様」
「ん」
「お見事でした。きっと、届いたと思います。
僕も。――ご一緒できて、良かったです」
「……ん」
振り向いた顔は泣いてはいない。けれど、引き結んだ唇から言葉がこぼれることはなかった。
従者の少年が、そっと右腕を広げる。
姫君は歩みより、ごく自然にその肩に額を寄せた。
すり、と存在を確かめるように。
レインは、主の華奢な背を温めるように抱いている。
――すっかり日が落ち、夕闇のなか護衛騎士のシエルが遠慮がちに声を掛けるまで。
主従はただ、じっと寄り添い、互いの温もりに身を預けあっていた。




