95 砂漠の青年(前)
帰路。往路をともにしたサングリード聖教会のキャラバンを含む旅団の規模はかなり大きい。砂漠の正規軍一個師団とまではいかずとも、一個小隊三十名の精鋭が合わせて三隊同行している。
総勢百数十余名からなる駱駝の列は圧巻だ。列の先頭と最後尾を行くものは女王の威を顕す赤地に金糸の王旗を翻らせ、都の大路を粛々と進んでいる。
住民や、他の旅人はみな脇に退き、もの珍しげにがやがやと一群を眺めていた。
―――……これで、しばらくは来ることもないだろう……と、広大な砂丘に囲まれたオアシス都市の奇観に目を遊ばせていると、ふと名を呼ばれた。
「レイン」
斜め後方。
すぐに追い付き、左側に並び歩かれる。
この場合歩いているのは駱駝だが――レインは軽く首を傾げた。
「何か?」
「お前さ、……あれ。いいの?」
両手で手綱を握るかれが、指事語の『あれ』を指で差すことはない。行儀悪く顎をしゃくり、視線で追うよう促している。
前方では貴人用の小さな輿が揺れている。可憐な話し声が風に乗り、清かに届く。聴くだけで心が浮き立つような鈴振る笑い声とともに。
――いつ、いかなる時も聞き逃すことはない。想い人である主エウルナリアの声だ。
それに対し、落ち着いた声音で返答し、相槌を打ってみせるのは背に妙な存在感のある長身の男性。伸ばせば腰より下だろう黒髪を、実に無造作に括って輪にしている。
女王の夫の一人、有力遊牧民の長バルシュヤットだ。
レインは、ふっと息を吐くように微笑んだ。
「べつに――構いません。我々を仕事ついでに国境まで護送してくださる中心人物ですし。今後のことを考えれば、エルゥさまと懇意にしていただくのに不足はありません」
「すっご…………堂に入ってるねお前。嫉妬とかないの?」
「嫉妬?」
問われた内容が意外だったのか、バード家令嬢の専属従者はしばし、灰色の瞳をあさっての方向にぐるりと回した。
やがて、スッと流し目をくれる。
「ないですね。唯一焦る相手がいるとすれば……アルム様くらいかな。今でも警戒を解けないのはアルユシッド様ですが。ちなみにディレイ王は度外視です。ありえない」
「ね、それに僕が含まれてない意味は訊かないほうがいい?」
「……とても、賢明な判断かと」
ジト目のシュナーゼンに対し、深く頷くレイン。その様子を後ろから眺めていた二台目の輿の貴人――皇女ゼノサーラは、側控えの騎士ロキに聞こえよがしにぼやいた。
「ね、我が兄ながらやんなっちゃうんだけど。いいのロキ? あんなののお守りにされて」
「聞こえてるよサーラ! あんまり、僕の悪口ばっかりで盛り上がらないでくれる?」
「大丈夫、ささやかな旅の楽しみですよ殿下」
「ロキまで……っ」
ふぐぅ、と涙ぐむような仕草を見せているが、実際に泣いているわけではない。長く旅を共にしたので学習済みだ。
レインは気にせず前を向き、大切な少女と――おそらくは、近い将来砂漠の軍を一手に引き受けることになるだろう男との会話に、しずかに耳を傾けた。




