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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 砂漠の都

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94 戦利品は名と采配

「見事でした」


「ありがたく存じます」


 施政宮(しせいぐう)の謁見の間。玉座にて女王はぴん、と背筋を正して楽士らを労った。

 それに答えるのは旅装束のエウルナリア。彼女が前面に立ち、残る三名はその後ろ。さらに後ろにロキやシエル達四名の騎士が並ぶ。


 レガートへと向けた、出立の朝だ。


 女王の傍らには筆頭執政官のリザイ。反対側には見慣れぬ、野趣あふれる長髪をざっくりと背で束ねた長身の男性が立っている。


 エウルナリアは、ふと彼と目が合い、ふわりと笑んだ。




   *   *   *




 ――――あのあと。

 場は喝采に包まれた。

 演奏を終えた瞬間の余韻が、各々の耳朶(じだ)と心に染み透ったあとの、紛れもない賛辞の嵐。


 歌の勝負、以前の問題である。

 シュラト自身も魅せられたように頬を上気させ、食い入るようにエウルナリアを眺めていた。割れんばかりの拍手を送りながら。


『――陛下』


 水色の衣装を翻し、会場に向けて深々と歌い手の礼を返していた少女が上座を向いた。

 ぴたり、と場が静まる。

 他の奏者三名も楽器の寄せられた一角に集まり、神妙な面持ちでこれを見守った。よって、エウルナリアだけが前面に出ている。


『何?』


 女王(ジール)は満ち足りたように歌姫を一瞥(いちべつ)した。

 微笑んでいる。負けたもの特有の(かげ)りは一切見られない。喜ばしくすら映る。


『認めていただけます? 約定の通り。我らはそのために魂を込めて歌い、奏でました』


『……そうね、勿論よ』


 さら、と衣擦れの音とともに女王が立ち上がる。素早く先んじたリザイが彼女の手を取り、泰然とエスコートした。


『丁度いいわ。皆、聞きなさい』


 ざわめきつつあった臣らが鳴りを潜める。

 それらを満足げに見渡したあと、女王は笑みを深め、殊更(ことさら)何でもないことのように言ってのけた。


(わたし)は、かれらと約定を結びました。レガートは我らの友。レーヌ湖では満たされぬ渇いた心を、いとも容易く潤してくれる……得難いものたちよ。この場に居合わせたもの全員、異存はないでしょう?』


 リザイの手を放し、女王はみずからエウルナリアの元へと歩む。

 戸惑いつつも異論を挟めぬ空気に、会場のそこかしこで息を呑み、主君と客人を見守るしかできぬ男達の気配が揺れた。


 ジールはにっこりと微笑み、少女の手を両手に取って堂々と告げた。


(わたし)の名はね、ステラというの。古い言葉で“星”を意味するのですって』


『!!』



 ―――ドッ、と、場が一斉にどよめいた。

 彼女の重臣も夫らも、皆一様に驚愕をあらわにしている。


『え、何……なんで?』


 やや狼狽し、小声で呟くシュナーゼン。

 双子の片割れは目線一つ寄越さず、これに端的に答えた。


『砂漠の王がみずから名を明かす。……自身を委ねてもよい、とする最大限の親愛の証よ。あの人、それを今エルゥに託したの。これだけの目があるなかで』


『! まじか』


 驚きに紅の双眸をみひらく皇子をよそに、レインはゼノサーラ同様、揺るがずに主と砂漠の女王を見つめている。無言だ。


『……たいへんな、栄誉と存じます。陛下』


『だめ。名を呼びなさい、たとえ衆目があっても。貴女にはそれを許すわ』


『では……承りました。ステラ様』


『ふふ、お友だちの婚約者は盗れないわ。それに難事だって助けてあげる。ねぇ? バルシュヤット』


『は』


 声をあげ、夫らの席から進み出たのは浅黒い肌にぼさっとした黒い長髪、見事な体躯の青年だった。女王――ステラは、かれにも惜しむことなく微笑を向ける。


『お前、隊を率いて彼女らを国境まで送っておいで。ついでに古巣の整理を命じます』


『と、申しますと?』


 どことなく、人を食った態度の青年だった。バルシュヤットは軽く首を傾げつつ妻たる女王に問い掛ける。ステラは艶然と答えた。


『わかってるくせに。国境の賊よ。元は、お前の身内でしょう? 討ち取りなさい。一人残らず。

 ……帰ったら、夫の座から解放してあげてもいいわ。郷里の妻子でも連れて都に住まうといい。何なら空位となってる将軍位もあげる』


『――……いろいろと言いたいこともあるが。従おう。それが、貴女の願いなら』



 なにを。陛下は。いやしかし――と、(かしま)しく騒ぎ立てる臣達を、いつの間にかステラの側に寄り添ったリザイが左の挙手一振りで鎮めた。


 しん、と水を打つ大広間。

 表情を感じさせない表情。

 つめたい程の光が琥珀色のまなざしに宿っている。女王の守護者たらん、とするように。


 その守護者が、ごく自然に会話へと割って入る。


『では陛下。鷹への返答は如何(いか)に?』


『決まってるでしょう。蹴りなさい。レガートにも、北の白夜(びゃくや)国にも手は出さぬと』


『――御意に』


 すっ……と、深く足許にひざまづく夫に、女王は鷹揚に頷いた。

 その視線を未だ上座でくつろぐ積年の友人、ベリルにも注ぐ。こちらは声を掛けない。意味深に、淡く微笑んで見せる。


 ベリルも特に発言はしなかった。ただ恭しく(こうべ)を下げ、女王への謝意と恭順を示す。

 女王(ジール)はそれに少しだけ、寂しそうに唇の片端を上げた。

 が、すぐに切り替えた。再び少女と居並ぶ男達に、ゆっくりと視線を滑らせる。


『よい、見物だったわ。シュラトも。双方褒めてつかわします。今宵はゆっくりと休みなさい。月も霞むほどの出来栄えであった――宴は(しま)いよ。皆もご苦労。企み一つなさずに寝てしまいなさい。讒言(ざんげん)や忠言の(たぐ)いは明日、あらためて』


 しゅるり、と長い裾をさばき、女王が退出する。付き添いはリザイのみ。

 大きく開け放たれた広間の露台へと続く扉からは、天頂を過ぎた満月の蒼い光が射し込み、横切る彼女らの影を(かたど)っている。



 ひざまづき、礼とともに見送るエウルナリアの姿は月光をまとい、淡く輝いていた。


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