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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 砂漠の都

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92 楽士を知るもの、知らぬもの

 シュラトの声はまさにソプラニスタ。

 砂漠特有の唄い方には癖があり、地声で地平の彼方まで投げ掛けるような力強さと、高音域の繊細さが同居している。

 総じて澄んでおり、まっすぐ。好きなものには堪らない感じだな……と、エウルナリアは淡々と内心で論評した。


 同じように長椅子に座っているか――と思いきや、皇子を筆頭に他三名は興味深そうに入り口から広間を覗いている。しかも、ぼそぼそと好き放題話し込んでいる。


「(陛下って、あーいう()が好きなんだ……意外に素朴だねぇ)」


「(ええぇ? あれは聴いてないでしょ。さっきからベリルとばっかり喋ってるじゃない。耳触りがよくて、見た目も好みだから深く考えずに推してんじゃないの?)」


「(甘く見られたものですね)」


「……」



 こういうときは、仲がいいよね……と脱力して笑む。うん。肩の力が抜けてちょうどいい。


 (さっきの女官さんにはびっくりしたけど)


 彼女は、自分達と同じくらいの少女だった。掛け値なく、純粋に主を慕って仕えているように見えた。そのことに驚いたのだ。



 女王の振る舞いはこれまでのところ、キャラバンで逗留した村々での評判とほぼ一致している。

 だが、(ちかし)い者達からは案じられてもいた。側仕えの女官や――おそらくは第一夫率いる筆頭執政官の派閥など。

 エウルナリアは、昼間ロキから届いた(ふみ)の内容を脳内で反芻する。


 (ここも、一枚岩じゃない。自分との世継ぎをもうけた女王はお役御免とばかりに発言を無視する第二夫以下の派閥。あくまで女王を立てて、あわよくば世継ぎをすげ替えたい第一夫の父方の派閥。第三勢力としては、オアシスに定住はしない遊牧の民(ベドウィン)……国境の賊は、これの手綱がゆるいからなのよね)


 腕を組み、唇に指を添えてふんふん、と一人頷く歌姫の左右に、突然どん! と人が腰かけた。右にシュナーゼン。左にゼノサーラ。そして、やや遅れてレインが正面に立ちはだかる。――本当に、息がぴったりだ。


「エルゥ~、また難しいこと考えてたでしょ。『歌』が戻って本調子なのはわかるけどね。考えても無駄ってこと、あるわよ? 集中なさい」


「そうそう。君の歌は結局、聴けなかったし」



 そう。()()()()()()。そういうことにしておきたかったから。


「勝つための一手とはいえ。流石ですよねエルゥ様」


「レイン……そう?」


 差し出された、節の目立つ長い指。

 考えるより先に右手が動く。かさなる。


 そのまま優しく引き上げられ、ふわっ……と柔らかな衣装が揺れた。

 レインは瞳をすがめ、眩しそうに主を眺める。自分だけを一心に見上げてくれる青い瞳に、幸せそうに頬を緩めながら。


「綺麗です。とても。すごくすごく勿体ないですけど見せびらかして差し上げましょう。――存分にどうぞ、僕の歌姫?」


「……うん!」


 たちまち、月光がそのまま花ひらいたかのような、甘くうつくしい笑みがこぼれた。


 戦いを前に。

 楽しい、音楽の時間を前に。

 どきどき、どきどきと心が逸る。


 やがて。


「次なるは、レガート皇国シュナーゼン皇子殿下、ゼノサーラ皇女殿下ならびに歌い手エウルナリア姫、楽士レイン殿を御前(おんまえ)に」


「――許す」


 おそらくは型通りなのだろう。古式めいたやり取りののち、隔てとなっていた半透明の(とばり)がゆるゆると左右にひらかれた。




   *   *   *




 (あらわ)となる広い室内。

 月の光をまとうかのような麗人らは、音もなく進みいる。


 ……しぃん、と。


 場は、水を打ったように鎮まった。

 久しぶりに見る皇国楽士の姿に、胡座(あぐら)から若干身を浮かせる重臣もちらほらと見受けられる。漏らされる吐息。絶句。そのどれもが感嘆とある種の期待に満ちている。


「……」


 言上は何もなく。

 四名は何の合図もなく同時に片手を胸に当てると膝を折り、うやうやしく優雅な奏者の礼をとって見せた。


 ため息の波が微かに、さざめくように連鎖する。



「どう? エウルナリアどの。歌えて?」


 うるわしいものに目がない女王が、果敢にもわくわくと訊ねる。

 問われた少女は、にこりと笑んだ。


「お気遣い有難うございます陛下――おかげ様で。歌えるやも知れませんわ。どうか、皆様も」


 ゆっくりと視線を流し、居並ぶ男達に微笑みかける。

 右の細腕を差しのべて。罪なく、誘うように。


「――ご清聴のほどを。裁可願いますわ、わたくしと、先ほどのシュラト殿と。どちらの歌がお好みか」


「!」


 かぁっ……と、頬を赤らめる者がいた。名を出された少年シュラトだ。今は夫らの席に戻り、おとなしく座っている。


 周囲の視線が、かれと歌姫とを往き来した。

 そうか、そのような催しだったと改めて思い出した面々もいるようだ。

 妙に弛緩した空気を肌で感じつつ、ざわり、ざわりと人びとが口をひらき始めた中。


 キィッ……と、広間の最奥向かって左、角に置いたグランドピアノの蓋がひらいた。

 いつの間にか移動したレインが椅子に浅く腰掛け、ペダルの位置と噛み合うよう座面を調節している。


 傍らでは、簡易椅子に座ったシュナーゼン。こちらは大小の皮張りの太鼓を前に位置を微調整している。手にはフェルトで先を丸く覆ったマレット。それが一組だけ。


 広間の中央に残ったのはエウルナリアと、真鍮(しんちゅう)製の錫杖を両手に捧げ持ったゼノサーラ。柄の先には厳重に布を巻いてある。それを、床に突くと――



 シャアンッ!


 と、先端に束ねられた輪と鈴の音が響き渡った。ざわめいていた会場がたちまち静まり返る。


 すぅ……と瞼を閉じ、青い瞳を隠したエウルナリアは微動だにせず、深い、深い集中の只中――深淵と呼べる場所に、みずからの意識すべてを投じた。


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