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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十六歳篇 成人後の日々

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9 戻る日常、しずかな変化(4)

 レインは、頭を抱えて座り込みたい気分だった。


 (この人は……本当に!)


 叫んでもあまり意味はない。それで気が紛れたとしても、きっと彼女はまた似たことを仕出かすのだ。


 誰彼かまわず、では困るが今回に関して言えば、相手は遠国(えんごく)の王。しかも内乱で国を荒れ放題にした旧王家の一族を、あらかた討ち取っての英雄らしい。かの国(ウィズル)においてディレイ王とは、まさに救国の傑物。今は、旧王家が貯め込んでいた財を放出する形で民への施策を行っているらしいが……



「…レイン?」


 不安げな呼び声に、ふと思考から立ち戻って主を振り仰ぐ。――この段階でようやく、自分が本当に座り込んでいたのだと知った。

 スッと立ち上がり、ぱんぱん、と膝下を払う。


「あぁ、すみません……あんまりにも、エルゥ様が(すき)だらけだったので。うっかり現実逃避を」


「隙。…うん、否めないわ」


 しゅん、としおれた花のように項垂れたエウルナリアは、つい慰めたくなるような空気を(まと)う。

 しかし『怒る』と言った手前、ここで慰めてはだめだな…と、レインは瞬時に判断した。


「じゃ、戻りましょうか。練習室でしょう?

 ………エルゥ」


「!! ―――…うん」


 差し出した左手に、嬉しそうにはにかみながら、小さな右手をかさねる主に。


 (だめだ………可愛い……)


 ―――と。

 必死で喜びすぎないようにする従者の少年の眼差しは、既に(とろ)けるほどの歓びに満ちて、あまい。




   *   *   *




 練習室を訪れたあとのレインからは一転、甘さが消えた。きん、と張り詰めた面持ちで懐から時計を取り出すと、ことん、と教壇の上に置き、ちらりと目を遣る。


「すみません、今の時間は……あと、三十分くらいでしょうか。エルゥ様の今後に関する“反省を促す会”にしたいと思うんですが」


「…異議なし」

「僕も、異議なーし」


「賛同を得られましたので、本件は可決されたとみなします。次に……」


「え。あの、ちょっと……?」


「エルゥ様の発言は、現在棄却(ききゃく)させていただきます」


「えぇぇ…」




 主従が揃って戻った音楽棟の練習室では、グランとシュナがもう音出しを始めていた。

 さすが双方、先の遠征から一般団員と認められた実力者。二人とも戸惑うことなく楽譜をさらっていたところ――ノックのあと、「失礼します」と主従が戻ってきたのだ。レインに関しては、今日初めてではあったが。


 レインは練習室に入るとすぐ、中央後方の席に主を導いた。……そこまでは、良かった。


 その後、(おもむろ)に教壇に立ち、なにやら特殊な会の開催を宣言した。驚くべきことに男子二人もすんなりと賛同した――という流れだ。


 あまりにも不穏な会の名に意見しようとしたが、エウルナリアは口を挟むことも却下され、慣れぬ扱いにまごまごとしている。


 その様に壇上のレインはくすり、と笑った。灰色の涼やかな視線をそのまま、トランペット奏者となった親友に流す。


「では現状の確認を。グラン、アルム様からお聞きした例の件について復唱をお願いできますか?

 簡単でいいです。エルゥ様自身の言葉との擦り合わせを行いたいので」


 指名を受けた赤髪の青年は、にやっと人の悪い笑みを浮かべる。「いいぜ」と述べるとカタン、と席を立った。本格的だ。


「…エルゥは知らないだろうけど、ウィズルのディレイ王の一件はレガートに帰港後、バード卿から聞かされてる。あの夜、ダンスに疲れたエルゥが露台で休んでたら、酒飲まされて絡まれたところを、ユシッド殿下に助けてもらったって――こんなもんでいいか?」


「はい、結構です。ありがとうございます。

 では次に、シュナ殿下。兄君のご様子で何か変わった点は?」


 今度は、銀髪のポニーテールの少年がグランと入れ替わりに席を立った。いつもは星紅玉(スタールビー)のような瞳が、今は不機嫌そうに曇っている。


「うーん。多分、歌長(うたおさ)は何か隠してるよね。それか、兄が隠してる。あの穏やかさの権化みたいな(アルユシッド)が、終始ピリピリしてるんだ。怖くて近寄れないよ」


「……なるほど、そうでしたか。有り難うございます。ご着席を」


「はーい」


 どさ、と無造作に皇子が椅子に腰を下ろしたあと。部屋にしばしの沈黙が流れる。

 それを打ち消すように「以上の点を鑑みまして――…」と、重々しく口をひらくレイン。


 男子二人と令嬢一名は、その様を見守った。

 令嬢の胸にはとくに、いやな予感が(よぎ)った。


「包み隠さず教えていただきたいのですが、エルゥ様。お答え願えま…」

「いや」


「……」


「………」


 エウルナリアが、ここまで反射速度を限界まで上げるのは珍しい。見事な食い気味の即答だった。二人の男子もまじまじと、壇上の従者から必死に目を逸らす黒髪の少女を眺めている。


 エウルナリアの表情は、苦い。そして羞恥に赤らんでいる。これはこれで、見応えがあるのだが――と、シュナーゼンが見つめていると壇上から更に追撃が下された。


「……先ほど、二択を選んでいただきましたよね? 僕から怒られるということは、こういうことです。―――さ、お答えを。正しい情報がないと、今後エルゥ様をお守りしきれません。僕も、グランも、シュナ殿下も後悔はしたくない」


 灰色の視線は、いまや真摯な光を宿して黒髪の少女に注がれている。



 エウルナリアは観念した。

 「……わかったよ…話します」と。



 会の残り時間はあと二十分。

 次の二分の少女の述懐(じゅっかい)で、少年達は予想以上に煮えくり返る思いを抱くことになる。


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