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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 砂漠の都

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87 駆け引きと、懐刀

「宴をね、ひらこうと思うの」


「……はい?」


 ぱち、とシュナーゼンは紅の瞳を瞬いた。




   *   *   *




 辿り着いた食堂は床に敷かれた絨毯に直接座るタイプの大広間。普段はもっと大人数の客をもてなすための部屋なのかもしれない。


 上座の壁全体を、少量の水が伝うように滑り落ちて流水の壁となしている。水栽培が可能な蔦植物が要所を緑で飾り、白や黄色の可憐な花をつけている。


 中庭も臨める開放的な造り。囀ずる小鳥。どこからか響く、異国情緒ある弦楽の調べ。

 一見、和やかな空気ではあった。


 悠然と脇息(きょうそく)(もた)れ、小姓らしき少年から食事の介添えを受ける女王は今朝も妙に機嫌がいい。しかし無邪気とはほど遠く、浮き浮きと愉しげな瞳でレガートからの客人らを見渡していた。


 朝食の席に招かれたのは自分達だけ。やはり、ベリルの姿はない。


 (よほど、ベリル様(あのかた)自身を気に入っておいでなのか……それだけ、政治や嫌がらせの場には関わらせたくないってことよね)


 女王個人の友誼(ゆうぎ)や趣味嗜好。

 それなりに、あとで揺さぶりの種に使えるかな―――? と、エウルナリアは罪のない顔で、ちびちびと食後に供された珈琲を含んだ。


 取っ手のない、ごく小さな器に注がれたそれは、砂漠の休憩時に奨められた大層しょっぱいものよりは「普通の」珈琲だった。が、おそろしく苦い。

 レガートの(アルム)が愛飲していたものと、癖のある芳醇な香りは似ているのだが。


 ――お父様ならこの局面、どうやって乗り切るかしら……と詮ない考えも浮かんだが、すぐに打ち消した。


 受け皿に添えてあった黒砂糖が目についたので、一欠片つまみ、試しに口に入れてみる。


「……!」


 途端にほどけて広がる、爽やかな生姜(ジンジャー)の辛みと()()のある甘み。思いがけない、つかの間の至福だった。


 甘いは正義。

 自他ともに認める甘党の少女は『さぁ、どんと来い』と、改めて構えた。






「あなた方、レガートからの貴人(あてびと)をもてなすための宴よ。出席してくださるでしょう?」


「それは……やぶさかではありませんが」


 艶然と微笑む女王の誘う声音に、銀の皇子は真意を図りきれずにいるようだった。或いは、遠慮が勝ったのか。


 ―――そのとき。

 前触れもなく、スゥッ……と繊手が差し出された。かれの言葉を遮るように、優雅に。左隣から。


 手の主は、凪いだ表情(かお)に決意を(たた)え、ひたと正面のジールを見据える。

 そのまま、こともあろうに搦め手は不要とばかり、弁舌辛く切り込んだ。


「その前に陛下、はっきりしていただきたいのですが。……お忘れですか? 我々の『相談ごと』を。

 若輩の身と侮られても仕方ありませんが、我らとて国意を背負っております。何の成果もなく、ただもてなされたとあっては。両親にも民にも、顔向け出来ませんわ」


「サーラ……」


 言葉尻を奪われ、思うままの本音とすり替えられてしまった銀の皇子は、茫然の(てい)で妹を凝視する。

 エウルナリアも、レインも。



 ――――思えば、ゼノサーラは公式の場では淑女であり続けた。

 常に兄を立て、傍らに控え、申し分のない華やぎを場に添える。それを、彼女みずからが突き崩した瞬間なのだ。


 顎を引き、凛と伸ばした背筋。真摯なまなざし。引き結ばれた形のよい唇。

 うるわしい外見はそのままに、長く銀細工の、と称えられた「お人形」や「愛でられるべき無邪気な姫」は、もうどこにも居ない。


 生身の。

 信念を携えて大事に挑む、年若き皇族の一員がそこに居る。


「――何か、真意がおありなら。つべこべ言わず仰ってくださいな、ジール陛下?」


 にこり、と銀の朝露をまとう(すが)しい花のように、皇女は対面の女性に微笑(わら)いかけた。



 はらはらと、ある意味側仕えの小姓まで心配そうに見守るなか、女王は顔を伏せた。小刻みに、薄布で覆われただけのまろい肩が震えている。


「……陛下?」


 なんとなく嫌な予感がして、エウルナリアは眉をひそめて呼びかけた。たぶん、これは。


「くっ……くくっ! あはははははっ! あぁ……楽しい。最高ね、あなた達。さすがはベリルやセピアと同郷と言うべきかしら。こんなに心が踊るのは久しぶりよ。後宮の、有力貴族の紐付きどもをつついて“(おもて)”の勢力版図を(いじ)るより、よっぽど面白いわ」


「…………」


 (何だろう。今、さらっと物騒なことを述べられたような)

 エウルナリアは、ちょっとだけ気になった()()をどうにか無視(スルー)し、興が乗ったらしい女王にかさねて問うた。


「して、真意を教えていただけます?」


「ふふ。いいわよ。あのね――あなた達、レガートの誉れ高き皇国楽士でしょ? 良い機会だから披露して欲しいの。夫と、重臣らを軒並み集めるわ。で、対決して欲しいの」


「は?」


 聞き違いかと、つい声が跳ねた。

 女王は、クスクスと悪戯な笑みを浮かべた。


(わたし)が、可愛がってる()がいるの。男なのに歌声が綺麗でね、まるで天上の調べよ。最近は(ねや)に招いてなかったけど、栄えあるレガートの歌姫を負かしたとあれば、再びの寵を与えなくもないわ。――……ねぇ? シュラト」


「……!!」


 声もなく、ずっと側に控えていた小姓の少年が目をみひらいた。

 年の頃は自分達とそう変わらない。褐色の肌と濡れたような黒髪黒瞳。整った顔立ち。

 まだあどけなさの残る――かれは、見るからに戸惑ったように、おずおずと口をひらいた。


「ほんとう、ですか陛下」


 こぼれたのは、女とも男ともとれない、特徴のある澄んだ声音。


 レガート勢は瞠目した。

 ――ごく稀に、生来の声で女声の音域を歌い上げられる男性がいるという。


 (ソプラニスタだ……! このひと!)


 すぐにわかった。想像できた。

 声色(せいしょく)、声の伸び、その最高音域も、ほぼ。


 じわり、と高揚する。


 女王は機嫌よく告げた。


「では今夜。観月(かんげつ)の宴としましょう。場所はここ。必要な楽器があれば揃えさせるわ。もし……貴女の歌がシュラトに勝ると皆が。(わたし)が認めたならば……そうね」


 ―――ウィズルの誘いは、蹴ってあげる。


 愉しげに、囁くように、締めくくった。


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