83 譲れぬもの
「きれいな髪ね。肌も瞳も、すごく素敵。この辺じゃ見ない類いの色だわ」
「恐れ入ります」
……えーっと。
何の話だっけ、と考え込まねばならないほどの豹変だった。眼前の女王からは、いつの間にか古めかしい言葉遣いも消えている。
(なるほど、こっちが素ってわけね)
いちいち、彼女の手がレインの栗色の髪を撫でたり指に絡めたり、隣に座らせたかれの顔をうっとりと覗き込むのを、エウルナリアは実に冷めた面持ちで眺めた。……ほんと、何しに来たんだっけ。
妙に寒々しい空気のなか。
勇気あるシュナーゼンは話題を本筋に戻すべく、こほん、と紳士的な咳払いを落とした。
「――陛下?」
年若い銀の皇子の呼びかけに、彼女はあからさまに表情を変えた。
「ん? ……あぁ、ごめんなさいねシュナーゼン殿。つい、務めを忘れてしまって」
クスクスと愉しげに、微動だにしないレインの左肩に頭を乗せ、手はかれの膝の上。対面の客人らを順に眺めみる。
皇子と皇女、エウルナリアと来て―――最後がいちばん長かった。あまつさえ、意地悪そうな微笑みをゆったりと浮かべ直すほど。
(!! こ、の……っ!)
頬に血がのぼる。頭が瞬時に茹だるかと思った。瞳には熱が集まり、潤んでいるに違いない。悔しい!
挑発だ。わかっている。にもかかわらず抑えきれない。おそらく表情も取り繕えてはいない。
エウルナリアは一旦落ち着くべく目を閉じ、深く、深く息を吐いた。
――――怒ることは、昔から苦手だ。足りないと嘆くことも。飢える心、求める心が長続きした試しはない。
無いなら無いで良い。がむしゃらに求めるより、気持ちを切り換えるほうが楽だったから。
が、しかし。
怒るほど感情を逆撫でられることは、ごく稀にあった。
幼いとき、セフュラのジュード王に捕獲されたとき然り。この春、ウィズルのディレイ王に囚われたとき然り……―――!
(もう、何なの!!!)と本当は、恥も外聞もなくさらけ出して、叫んでしまいたい。
理不尽な状況とそれをもたらした人物に対しては、いつだってそうなのだ。
断じて、見過ごせないと隠し持った導火線が心のどこかにあるに違いない。
今また、そのうちの一本に火がついたな……と、他人事のように捉えたあと、そぅっと瞼を上げる。
気が付くと、エウルナリアはひらいた唇から醒めた声音で、切り込むように端的な問いを発していた。
「して、陛下。回答は?」
「エルゥ……!!」
焦ったシュナーゼンの、咎める声。しかし止まらない。――もう、任せてはいられない。
少女は、はっきりとした感情の暴走を自覚した。
「色好みとの噂を耳にして危惧しておりましたが、まさか初対面のものの数分でご披露いただけるとは。こちらも大切な婚約者を同伴した甲斐がありましたわ。
寛大なる陛下におかれましては、口約束であっても果てしていただけると存じます。
――いかが? 鷹は、もう来たのでしょう?」
右隣から、皇子の硬直した気配と皇女のくぐもった忍び笑いが伝わった。(ごめんね)と、内心で詫びる。が、譲れぬものは譲れない。
遠い、極小の異国の楽士伯令嬢の啖呵に―――砂漠の女王は破顔した。どさくさに紛れて一層レインの胸に頬を寄せ、大胆にしなだれつつ「っく、くく……!」と笑い声を噛み殺している。
当の婚約者候補である従者本人は一言も発せず、彫像のようにぴくりとも動かなかった。整った容貌には、寄せられる女王の肢体に対して無関心を通り越し、不快の色が如実に滲んでいたが。
やがて笑いを収めたジールは、エウルナリアに愉快そうな視線を流した。
「そうね。来たわよ」
「協議中なのですね?」
「えぇ」
「まさか、戦乱に荷担するつもりでいらっしゃる?」
「「!」」
ここに来てとんとんと話が進む。そのテンポについ傍観者と化していたシュナーゼンが、ハッ……と我に返った。さっきまで、おやおやと目をみはっていた隣のゼノサーラさえも。
ごくり、と唾を飲む双子をよそに、年齢差のある女性二人は対峙する。
「そうねぇ……妾、面白いことに目がないの。楽しませてもらえるなら、それが戦であれ貴女であれ、どちらでも構わないわ」
「――と、申しますと? 私の力量次第で此度のウィズルの提案は蹴っていただけると。そう解釈して宜しいですか」
((エルゥって……怒ると、アルムそっくりになるんだ……))
傍らの、銀の双子の心の声が合致した。
一言一句違わない、完璧な同調だった。
褐色肌の女王は艶かしく微笑うと、すっ……と身体をずらし、愛でていた少年から離れた。
単に座り直しただけなのだが、大好きな従者の少年から距離をとられたことに、少女は安堵する。だが、息つく隙もなく。
「いいでしょう。考えるので時間をちょうだい。貴女たち、今夜は宮に泊まると良いわ。明日の朝食の席で答えましょう。
シュナーゼン殿。ゼノサーラ殿も。それで宜しくて?」
今度は女王その人が切り込んだ。それまでの媚態が嘘のような、凛とした佇まいとともに。
「は……」
皇子も皇女も、令嬢も従者も。
並べて、レガート勢に拒否権はなかった。
卓の下に握られた両の拳に、どれほどの力が込められていようとも。
この場において、是非を問われた皇子の答えは、もちろん“是”しかない。




