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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 砂漠の都

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83 譲れぬもの

「きれいな髪ね。肌も瞳も、すごく素敵。この辺じゃ見ない(たぐ)いの色だわ」


「恐れ入ります」


 ……えーっと。

 何の話だっけ、と考え込まねばならないほどの豹変だった。眼前の女王からは、いつの間にか古めかしい言葉遣いも消えている。


 (なるほど、こっちが素ってわけね)


 いちいち、彼女の手がレインの栗色の髪を撫でたり指に絡めたり、隣に座らせたかれの顔をうっとりと覗き込むのを、エウルナリアは実に冷めた面持ちで眺めた。……ほんと、何しに来たんだっけ。


 妙に寒々しい空気のなか。

 勇気あるシュナーゼンは話題を本筋に戻すべく、こほん、と紳士的な咳払いを落とした。


「――陛下?」


 年若い銀の皇子の呼びかけに、彼女はあからさまに表情を変えた。


「ん? ……あぁ、ごめんなさいねシュナーゼン殿。つい、務めを忘れてしまって」


 クスクスと(たの)しげに、微動だにしないレインの左肩に頭を乗せ、手はかれの膝の上。対面の客人らを順に眺めみる。


 皇子と皇女、エウルナリアと来て―――最後がいちばん長かった。あまつさえ、意地悪そうな微笑みをゆったりと浮かべ直すほど。


 (!! こ、の……っ!)


 頬に血がのぼる。頭が瞬時に()だるかと思った。瞳には熱が集まり、潤んでいるに違いない。悔しい!


 挑発だ。わかっている。にもかかわらず抑えきれない。おそらく表情も取り繕えてはいない。

 エウルナリアは一旦落ち着くべく目を閉じ、深く、深く息を吐いた。


 ――――怒ることは、昔から苦手だ。足りないと嘆くことも。(かつ)える心、求める心が長続きした試しはない。

 無いなら無いで良い。がむしゃらに求めるより、気持ちを切り換えるほうが楽だったから。


 が、しかし。

 怒るほど感情を逆撫でられることは、ごく稀にあった。

 幼いとき、セフュラのジュード王に捕獲されたとき(しか)り。この春、ウィズルのディレイ王に囚われたとき然り……―――!


 (もう、何なの!!!)と本当は、恥も外聞もなくさらけ出して、叫んでしまいたい。

 理不尽な状況とそれをもたらした人物に対しては、いつだってそうなのだ。

 断じて、見過ごせないと隠し持った導火線が心のどこかにあるに違いない。

 今また、そのうちの一本に火がついたな……と、他人事のように捉えたあと、そぅっと瞼を上げる。


 気が付くと、エウルナリアはひらいた唇から醒めた声音で、切り込むように端的な問いを発していた。


「して、陛下。回答は?」


「エルゥ……!!」


 焦ったシュナーゼンの、咎める声。しかし止まらない。――もう、任せてはいられない。

 少女は、はっきりとした感情の暴走を自覚した。


「色好みとの噂を耳にして危惧しておりましたが、まさか初対面のものの数分でご披露いただけるとは。こちらも大切な婚約者を同伴した甲斐がありましたわ。

 寛大なる陛下におかれましては、口約束であっても果てしていただけると存じます。

 ――いかが? 鷹は、もう来たのでしょう?」


 右隣から、皇子の硬直した気配と皇女のくぐもった忍び笑いが伝わった。(ごめんね)と、内心で詫びる。が、譲れぬものは譲れない。



 遠い、極小の異国の楽士伯令嬢の啖呵に―――砂漠の女王(ジール)は破顔した。どさくさに紛れて一層レインの胸に頬を寄せ、大胆にしなだれつつ「っく、くく……!」と笑い声を噛み殺している。

 当の婚約者()()である従者本人は一言も発せず、彫像のようにぴくりとも動かなかった。整った容貌には、寄せられる女王の肢体に対して無関心を通り越し、不快の色が如実に滲んでいたが。


 やがて笑いを収めたジールは、エウルナリアに愉快そうな視線を流した。


「そうね。来たわよ」


「協議中なのですね?」


「えぇ」


「まさか、戦乱に荷担するつもりでいらっしゃる?」


「「!」」


 ここに来てとんとんと話が進む。そのテンポについ傍観者と化していたシュナーゼンが、ハッ……と我に返った。さっきまで、おやおやと目をみはっていた隣のゼノサーラさえも。

 ごくり、と唾を飲む双子をよそに、年齢差のある女性二人は対峙する。


「そうねぇ……(わたし)、面白いことに目がないの。楽しませてもらえるなら、それが戦であれ貴女であれ、どちらでも構わないわ」


「――と、申しますと? 私の力量次第で此度(こたび)のウィズルの提案は蹴っていただけると。そう解釈して宜しいですか」


 ((エルゥって……怒ると、アルムそっくりになるんだ……))


 傍らの、銀の双子の心の声が合致した。

 一言一句(たが)わない、完璧な同調(シンクロ)だった。


 褐色肌の女王は艶かしく微笑(わら)うと、すっ……と身体をずらし、愛でていた少年から離れた。

 単に座り直しただけなのだが、大好きな従者の少年から距離をとられたことに、少女は安堵する。だが、息つく(ひま)もなく。


「いいでしょう。考えるので時間をちょうだい。貴女たち、今夜は(ここ)に泊まると良いわ。明日の朝食の席で答えましょう。

 シュナーゼン殿。ゼノサーラ殿も。それで宜しくて?」


 今度は女王その人が切り込んだ。それまでの媚態が嘘のような、凛とした佇まいとともに。


「は……」


 皇子も皇女も、令嬢も従者も。

 ()べて、レガート勢に拒否権はなかった。

 卓の下に握られた両の(こぶし)に、どれほどの力が込められていようとも。


 この場において、是非を問われた皇子の答えは、もちろん“(はい)”しかない。


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