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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 砂漠の都

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82 女王の暴走

「ようこそ、お客人。案内をありがとうベリル。久々に、故国の者と少しは語り合えて?」


 サァァアア……と、間断なく清水の落つる音。

 先導の侍女に施政宮(しせいぐう)の奥へと連れられ、女王の住まいへの中継ぎ区間に当たる回廊で知己の女性(ベリル)と出会えたのは、どうやら女王の采配らしい。


 その、ベリルになぜかずっとエスコートされている。

 なるほど“水流苑”。

 開かれていた小ぶりな門から先は、ここが砂漠の只中(ただなか)ということを忘れさせるに足る、目をみはる光景だった。


 よく清められ、輝くばかりの白い壁と廊下。建物内部――正確には通路の脇に、細い水路が巡らされている。

 淀んだ匂いは一切ない。よほど濾過(ろか)の技術が優れているのか、どこかオアシス湖とは別の水源があるのか。


 後者かな、とエウルナリアは判じた。


 護衛として同行していた、ロキを筆頭とする騎士四名は女王の住まいへの立ち入りを許されなかった。ゆえの、年若き――法律上、成年ではあるが――少年少女のみの道行きとなる。


 カーテンの代わりだったのか、一段と幅の広い落水の紗幕が左右に一枚ずつ。その音を通過の際、最もつよく耳に残して辿り着いた、今度は布の銀紗を垂らした広間に女王そのひとは居た。


 うつくしい。


 何かの(つる)で編まれた、涼しげな足を持つ横長の卓の向こう。

 平らかな寝椅子で、しかし半身を起こし、おごそかに掛けている。頬に浮かぶのは文句のつけようがない穏やかな微笑(アルカイックスマイル)


 なめらかな絹の衣装は辛うじて胸や腰を覆う程度。他は薄布のため、総じてすらりと伸びた手足や隆起した曲線を隠しもしない。

 鳥を模した飾りの付いた額環(サークレット)や連なる首環、腕輪はすべて黄金。故国(レガート)で見た絵姿以上に豪奢な美女ぶりと言える。


 (なまめ)かしく蜜色の光沢を放つ褐色の肌。泰然と構えた美貌の主。離れた場所でもはっきりと伝わる色香。

 堪らず、エウルナリアは赤面した。


 頬を押さえてチラッと横目に伺うと、慣れているのかベリルは涼しい顔で「は、陛下。おかげさまで」などと応じている。異性のシュナーゼンやレインも、特に動じた様子はない。


 ……が、ゼノサーラは無表情を装いつつ口許がおかしい。目許もほんのり赤い。

 (ちょ、どこを見たらいいのかわからないんだけど……!)と、喚く彼女の心の叫びが聞こえそうで、少女はほっと安堵した。


 よかった。私の感覚がおかしいわけじゃない――と。

 胸を撫で下ろす間に数人の侍女が入れ替わり立ち替わり茶席を整え、あれよあれよと言う間に対談が始まる。


 外交、開始。





 異国の茶の甘い香り。珍しい花の菓子に一瞬だけ気をとられそうになる。

 奨められるままに一粒手に取るが、いつもより明らかに味わうことができない。

 一見、和やかな始まりは何ら成果を約束するものとは思えなかった。


 皆、気づいているのだろうか――?

 頼みの綱となるベリルは退出を促され、ロキも側にいないのだ。


 (対等な話し合いは、期待できないな……)


 瞳を伏せた楽士伯令嬢は器から一口だけ茶を含み、背筋を伸ばし、ぴん、としずかに心を澄ませた。




   *   *   *




「――ほう。ウィズル? さいはての西の国じゃの。して、我らに鷹が来たかとの仰せか?」


「えぇ。麗しの女王陛下。いかがです? ()の国にしかない、特別な便りです。時期的に、もう届いていてもおかしくはない」


「ふぅむ……」


 女王ジールは、思案げに指を唇に当てた。

 長く伸ばして整えた爪には粒状の金剛石(ダイヤモンド)がいくつも嵌め込まれ、きらきらと目に(まばゆ)い。それに、つい視線を奪われる。


 会話はすべてシュナーゼンが担っていた。正式な場ではそつのない立ち居振舞いが可能な第三皇子は、きっちりとその手腕を発揮している。


 が――……


 ゆらり、と揺らぐジールの黒瞳があやしく(うる)んだ。唇が綺麗に弧を描く。


 明らかに変貌した気配。直観でエウルナリアは(まずい)と感じる。何かがこの女性(ひと)の歓心を。暴君に近い資質を刺激した。



 ……――ぴたり。


「!」


 それまで単なる“皇子と皇女の同行者”としてしか目線を滑らせていなかった女王が、くっきりと焦点を合わせてこちらを視た。


 享楽の種を見つけたぞ、と言わんばかりのまなざしは愉悦に輝いている。ぱち、ぱちと数度瞬き、自分と――四名のなかでは一番ひっそりと控えているはずのレインを見比べた。


 いや、観察なのか。

 じわり、と背につめたい汗が流れる。

 ……まさか。


 出来るだけ動じず、敵意を(あらわ)さぬよう注意し、青い瞳で真摯に見つめ返すエウルナリア。

 もはや外交上の歓待とも言いづらい。ひょっとして、値踏みされ、いかに弄べるかを吟味されていたの――? と、きりきりと胃が痛み始めたとき。


 卓を挟み、女王は艶然と微笑んだ。



「教えても良いが……の。その、栗色の髪の若者? こちらにおいで」


「「「!!!」」」


「……は?」



 驚愕に固まる銀の双子。嫌な予感が的中して渋面となるエウルナリア。

 ただ一人、レインだけが一拍ずれて素の声を漏らした。


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