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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 砂漠の都

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81 レガートからの滞在者

 少し、時を遡る。


 場所はジールの大通り。上等の旅籠(はたご)が軒を連ねる一角は道を清められ、細かなモザイク模様に組まれた石畳はいかにも異国を感じさせた。


 時刻は早朝。

 陽はまだ昇りきらない。ほぼ、真横から射るような光に辺りは白く染められている。

 瑞々しい涼気を含む風に、街路の椰子の葉がそよと揺れた。大オアシスゆえんの光景だ。


 が、掃き清められていても靴裏にはジャッと砂の音が鳴る。

 こればかりは、どうしようもないのかもしれない。

 ひとが住むからこそのオアシスと言えた。無人なら、あっという間に砂に飲み込まれるのだろう。



 聖教会の面々とともに、レガートからの一行は街の中央を目指した。徒歩だ。

 往路で馬車は見られない。ここでの移動や運搬は、専ら駱駝(らくだ)やロバが担うらしい。

 サングリードのキャラバンは一行とは別の、門にほど近い隊商向け宿舎に泊まっていた。

 砂漠の都(ジール)に聖教会の仮庁舎はない。それが、少し意外に思えた。


 公営(いち)の立つ区画へと移動のさなか。道々には観光客向けらしい露店のたぐいがちらほら立っていた。扱う品は珍しい布、色鮮やかな鳥、美味しそうな果汁のジュース、または果物そのもの。非公営ですらこれだ。彩り鮮やかで豊か。賑わっている。


 (ドラク峡谷の盗賊は……こういう物資をこそ狙ってると思うんだけど。どうして無策なのかしら……)


 解せないな、と。

 少女は反射で難しい表情(かお)を浮かべたが、すぐにふるふると(かぶり)を振った。


 ――いけない、いけない。今、考えるべきは別のこと。



 エウルナリアは紫紺色の、身の丈を(くるぶし)まで覆うベールを目深に被り、金糸の刺繍が施された顔布で目から下を隠す。

 ベールがずれぬよう留められた飾環(しょくかん)も細いシンプルな金の環。額には小粒の藍玉(アクアマリン)が揺れていた。


 わずかに覗く絹糸(きぬいと)の黒髪。長く影を落とす睫毛に(ふち)どられた、西方の湖そのものの青い瞳。それが優雅に瞬きつつ、きらきらと辺りに視線を投げかけている。


 ―――誠に残念ながら、と言うべきか。

 隠していることは、かえって生来のうつくしさを引き立てているようだった。


 その美姫が、たた……っと編み上げサンダルに包まれた白い足を早める。

 衣装はゆったりとした作りの白絹で、足さばきの良い袴付きの長衣。女王への謁見を望むにふさわしい、歩くたびにさやさやと衣擦れの音をたてる、上質なもの。



「あの。セオミナ様は、公営市に直行せずともよろしいのですか? 謁見の申請に施政宮(しせいぐう)まで一緒に来ていただくのは、大変心強いのですけど」


 申し訳なさそうに響く可憐な声。

 女司祭セオミナは、小柄な令嬢に目を留めると、にこっと微笑んだ。歩調を緩め、話しやすいよう隣へと並ぶ。


 こちらは旅装そのままの、白い外套を引っかけた軽装だ。銀糸の飾り帯がやわらかく朝陽を弾き、サングリードの星十字を仄かに浮かび上がらせた。


「構わないよ。テオは優秀だし、配下の奴等は強面(こわもて)のわりに人当たりがいい。それに慣れてる。私が不在でも、いつも通り『いっぱい稼ぐ』よ」


「……そう、ですか?」


 こてん、と首を傾げはしたものの、少女はそれ以上追及しなかった。

 彼女の述べる『稼ぐ』が、見たままの医療行為や薬市でのやり取りに留まらず、市井における諜報活動も大いに含むのだろう――と、今ならわかるので。


「それに」


「?」


「貴女は面識があるんじゃないかな? 今、女王の宮――水流苑(すいりゅうえん)にはキーラ家の姫君が画家として滞在してる。

 私が橋渡しするのはそこまでだよ。宮のなかでも()()()()()働きたいし。こういう時はね、単身のほうが動きやすいの」


 ぽん、と商売道具一式が詰め込まれた薬鞄(くすりかばん)を叩く姿はいっそ頼もしい。

 なるほど、そういうものか……と、頷くと同時にわくわくと胸を踊らせた。


 知っている。

 今、ジール(ここ)に滞在するキーラ家の女性となると……


 エウルナリアはにこり、と笑みを深めた。




   *   *   *




「殿下がた……! お久しぶりです。すっかり立派になられて」


「貴女も。ベリルどの。健勝そうで何より……って。ねぇ、堅苦しいからやめない? こういうの」


 模範的な回答は二言(ふたこと)目まで。三言(みこと)目からは、いつも通りぐだぐだとなったシュナーゼンは、へらっと(たちま)ち態度を軟化させた。


 クスクスクス、と長身の美女が笑う。

 少し日に灼けた肌は滑らかで、一本の長い三つ編みを垂らした巻き毛は焦げ茶色。凛々しい眉の下、理知的にきらめく緑柱石(ベリル)の瞳。口の端を片側だけ上げた特徴のある笑みは、誰かさんを彷彿とさせた。


 彼女の名はベリル・キーラ。

 キーラ家三姉妹の長女で、名うての風景画家だ。

 二十七歳独身。生涯、結婚に興味はないと豪語する女性でもある。


 (だからこそ、次期当主の座をみずから辞退されたと聞くけど……ロゼルは『実力だ』と言って(はば)らないし、ご本人も否定なさらないのよね。不思議なご姉妹だわ。ほんと……)


 少女の心の独白は知らぬげに、ベリルは軽く臣下の礼をとり、次いで、ぱぁっ……! と表情を輝かせた。

 視線を向けられたエウルナリアも満面の笑みとなる。ふわり、と長衣の裾をつまみ、流れるように淑女の礼をとった。


「ご無沙汰しています。ベリル様」


「エルゥ。本当に久しぶり……! お互い務めの最中とはいえ会えて嬉しいよ。おいで」


 諸手(もろて)を広げて呼ばれたので歩を進めると、二歩の距離からすばやく詰められ、思いきり抱擁された。

 彼女の背の高さは、これまた久しく会っていないグランを彷彿とさせる。――かれも、ベリル同様抱きつき癖があるので。


「あぁ……女の子らしくて柔らかくていい匂い。いいね最高! レガートで側にいられるロゼが羨ましいな。いや――……真に羨むべきは未来の夫君、かな?」


 ちらり、とエウルナリアの背後に控えていた少年――レインを流し見る。

 抱きすくめられた少女からは見えないが、明るい緑の双眸には、ちょっとばかり剣呑な光が宿っていた。


 ((うわぉ))


 銀の双子が、そっくり微妙な顔で両者を眺めみる。


 が、レインは小揺るぎもせず首を傾げ、清々しいまでに完璧な微笑を湛えて見せた。


「否定はしません、ベリル様。……どうも。ご無沙汰しております」


 ごく自然にとられる、お手本のような従者の礼。

 ベリルは目をすがめ、フッと鼻でせせら嘲笑(わら)った。


「相変わらずいけ好かないな。ね、本当に()()でいいの、エルゥ? あいつ、絶対中身と外身が全然違うよ?」


 お気に入りの愛描(あいびょう)を覗き込むような仕草で、ベリルが腕のなかの少女を窺う。そっと、顔布を取り外しさえした。

 黒髪の姫君は口許に指を当て、可笑しそうに笑う。


「ふふっ、知ってます。それに……その忠告、懐かしいな。ご存じありません? 七年前、ロゼルも同じことを言ってましたよ」


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