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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 砂漠の都

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80 女王と、その夫※

「謁見……(わたし)に?」


「はっ」


 しどけなくうつ伏せで長椅子に寝そべり、女は気だるげに問うた。

 傍らの侍女が、その背を入念に揉みほぐしている。なめらかな小麦色の肌は香油を塗り込まれ、いまや蜂蜜色の光沢を湛えていた。


 大理石をふんだんに用いた白亜の宮殿。その、女王の居住空間ではあらゆる場所に水の装飾が用いられている。

 室内に引かれた水路に、幾重にもかさなり段を経て落ちる優雅な細い滝。宮に隣接して流れるレーヌ湖から引いた水ではない。

 古く、建国の王がオアシスの女神を妻にめとったとき、大地から祝いに贈られたという“奇跡の泉”。その湧水を惜しげもなく用いている。


 清らかな水の匂いと、サラサラと流れる音。

 ゆえに、女王の宮は砂漠の藍玉(アクアマリン)とも“水流苑”とも呼ばれた。


 ふ、と形のよい、薄い唇から吐息が漏れる。

 ――笑い声なのだと気づくまで、数秒を要した。彼女の夫の一人であり、筆頭執政官である青年は磨き上げられた床に(ぬか)づいた。そういう、作法なので。


「顔を上げて。リザイ」


「は」


 やわやわと(こうべ)をあげ、主君を仰ぎ見る。招かれた(ねや)以外で、彼女を妻と呼ぶことはできない。これもまたこの国(ジール)の、長く続いた決まりごとの一つだった。


 自分を熱心に見つめる琥珀色の目と、実直そうな面持ちの精悍な頬に、女――ジールと呼ばれる女王はほっそりとした指を当てた。長く伸ばした爪で傷つけぬよう、そぅっと。


「良いわよ。可愛いあなたの頼みだもの。会ってあげる。……どこの、誰だったかしら?」


 ごく、とリザイの喉が上下する。

 ことは、ちょっとした外交問題に直結しかねない案件を抱えていた。


「陛下お気に入りのキーラ姉妹の故国、レガートからの客人です。なんでも、内々に相談の儀があるとか。

 申請を受けたのは第三皇子シュナーゼン殿下、第一皇女ゼノサーラ殿下。それにバード楽士伯家のご令嬢と従者でもある皇国楽士の少年。以上の四名ですが。……陛下?」


「なに?」


 ご機嫌な様子で、人差し指で執政官の顎を持ち上げるなどして戯れていた女王は、寝そべりながらゆるく首を傾げた。

 睫毛の先に飾られた金粉が艶かしく目許を彩っている。それについ、視線を奪われつつ――辛うじて、リザイは最低限の忠言を口に乗せた。


「我々の元に、ウィズルから接触があったことは。……今もなお進行中の議事に関しては、決して口外なさらぬよう。いいですね?」


「……」


 しばしの沈黙。

 女王はこれに答えず、ちょいちょい、と指でかれを招いた。


 はて、充分近いはずだが……と怪訝顔で。それでも指示どおりに距離を詰めた青年に。



  ビシィッ!


(いっつ)ぅッ!!??」




 堪らず、リザイは額を押さえて呻いた。

 至近距離から、ひとの喉も掻き切れそうな爪で(したた)か眉間を打たれたのだ。

 ――俗に言うデコピンだ。信じられない。


 ふぅ、と汚れでも付いたかのように、女王はみずからの爪を吹いた。「あぁ、やだやだ」と独り()ちている。


「あなた、何年わたしの側仕えをしてるの。あまつさえ、国政の大半をあなたとあなたの父親に任せてあげているのに」


「……御意」


 リザイは気合いで痛みをはね()けた。まだ、瞑った眼裡(まなうら)にチカチカと星が散っている。

 

 ふと、黒々としたつよい眼差しが外された。

 「お前。もういいわよ」と傍らに侍女を下がらせ、衣装を直すと自身はすっくと立ち上がる。

 そのまま、思いきり斜め下方向の青年を目線だけで見下ろした。


「“えぇ、わかったわ”――なんて、頷く女じゃないとまだわからない? お馬鹿さん。口外するな、ですって? そんなの……うふふ、その時に決めるに決まってるじゃない。

 双子の皇子と皇女……レガートの秘蔵っ子ね。国際舞台じゃ出てくるの初めてじゃない。それに? つまりは楽士団の新人歌姫とピアニスト、か。面白そう」

「!? ……陛下ッ!」


「だれが口を挟んで良いと言った? 愚か者」


「…………」


 ぴしゃり、と言い放つ。

 再び悲痛な顔で黙り込んだ夫の一人に、ジールはほほえんだ。あでやかに、優しげに。


「会うわ。呼びなさいここに。――あ、お前? お茶とお菓子の支度をして。可愛らしいお客様がたに、喜んでいただけるよう」


「畏まりました」


「あの……」


 もの慣れた侍女はすみやかに一礼し、退室する。

 こと、主のあしらいにかけては彼女のほうが数段上かもしれない―――(らち)もなくそんなことを考えつつ瞑目し、リザイは重々しくため息を吐いた。


 気配ががらりと変わる。

 萎縮した寵臣のそれから、第一夫である威信を放つ、重臣のそれへと。


「……わかった。わかりましたよ我が君。ですが、覚えておいでなさい。私にも仕返しの手段はありますからね?」


 スッ……と許しもないのに立ち上がり、じとり、と琥珀の目で主を流し見る。

 彼女の頭の位置は肩ほどだ。滑らかな肌は見慣れているし、馴染むほど触れている。


 女王ジールはそんな青年を咎めることなく、口許に指をあてがい、「あら」と楽しげに囁いた。


「それはそれは。しばらくは他の夫を呼ばないと」


 にこにこ、にこにこと嬉しそうな、なかなか妻とは呼ばせてくれない女性に、リザイはひどい渋面を以てして答えとなした。


ジール女王のイメージはこちら。

挿絵(By みてみん)


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― 新着の感想 ―
[良い点] ジール女王! なんて勝気で妖艶…! 目つきにポージングにその笑いに現れています。 [一言] (股関節…痛い…痛いけど読んでしまう。だって更新日は一話だけでも読み進めるって決めてるんだ、オ…
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