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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 迫る秋(二)

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76 紡がれ、織りあげられたもの

「はじめはね。各地の聖職者が、自分達の偽者の噂を拾っては叩き潰すための仕組み(システム)だったそうです」


「叩いて……潰すの? 物騒ね」


 こくり、と少年は頷いた。


「えぇ。ユシッド殿下を見ればおわかりになると思いますが。

 かれらは、温厚なだけでは務まりません。理に叶わぬこと、不当な物事に対してとにかく呵責ない」


「実感こもってるね……」



 ざっ。ざっざっ。


 連ねられた駱駝の列。その中央で、やはり鎮座するエウルナリアは、今日は傍らに従者の少年を話し相手に進む。いや、進んでいるのは駱駝だけれど。


 ずいぶんと雨が降っていないのだろう。乾いた空気が喉に痛くなってきたので、砂漠の民のようにベールのような口布を当てるようになった。


 先の、ゼラン村の臨時市で購入した通気性のよい長袖の青い衣装。

 丈夫な、遮熱性の高い白い外套。

 端々から覗く、細い手首に飾られたシンプルな銀の腕輪。

 まさに、運ばれるお姫様の如き様相のエウルナリアに、レインがやんわりと目許を寛げる。


「僕が、最大限警戒している候補者ですから」


「えっ……あぁ。私の婚約者の話?」


「ほかに、何があるんです?」


 ぴりっと。

 鋭く、即座に返された。

 レインは今日も切れ味抜群だ。


 エウルナリアは困ったように小首を傾げた。瞳の青がすがめられ――けれど、凛とした声で告げる。


「選ぶのは私よ。レイン以外、ないよ」


「…………」


 はっきりと。

 ここまで言うことは滅多にない。

 レインは驚いたように大きく瞳をみひらき、やがて、ゆるゆると顔を前方に戻すと、視線を駱駝の首の辺りに落として黙り込んだ。


「?」


 覗き込むと、すっと目を逸らされた。解せない。

 怪訝顔で更に首を捻っていると、背後から呆れたような中低音(アルトボイス)が、ざっくりと投げ掛けられた。


「……放っときなさいよ。いま、すごーく嬉しくて何にも言えないでしょうから」

「サーラ様っ」


 被せるように反応し、咎める従者の声。けれど心なしか、迫力に欠ける。

 エウルナリアは、クスクスと笑った。


 が――同時に、不安の雲が胸中に沸き上がる。

 今はいい。今は、まだかれの側にいられる。

 でもこの旅のあとは……?


 (もし。何の勝算も得られなかったら。私、きっと迷わず自分から行ってしまう。誰にも相談せずに)


 ひそめられた眉。

 喉の奥が、縮こまる感覚。

 本当の意思、気持ちを捨てることになるのに、その部分だけは揺らがない。


 その空気を悟ったのか――あらためて、レインがエウルナリアを見つめた。


「エルゥ様。サングリード聖教会の草の根的なネットワークを、諜報部として明確にレガートに組み込んだのは二代目皇帝だったそうです」


「……そうなの? そんな早くに?」


「えぇ。聖教会の創始者を祖父に持つ女性が妃でしたから。逆に、そのタイミングでなければかれらを皇国に組み込むのは難しかったでしょう。

 現に、代々の皇王の政治手腕によっては、聖教会はレガートを見放すかのような立場をとっています。また、組織的な腐敗が深刻な時期もありました」


「……ひょっとして、前皇王の御代のことを、言ってるの?」


 当代の皇王マルセルは、明晰さ、公平性、外交バランスすべてにおいて高い能力を発揮している。

 その判断の決め手となる情報を得る手段――諜報部が、大陸中に散らばっているキーラ家系統の画家や芸術家たちだけではなかった、という事実にエウルナリアは、いまだ慣れない。


 しかし、先代の御代。

 冷遇されたのは皇国楽士団だけではなかったとしたら。……かれらが現地で、国からの援助も、聖教会からのバックアップも受けられなかったとしたら。



「……っ……!!」


 さぁっと、血の気が下りた。

 簡単にレガートは転覆する。聖教会の助力の有無、その、たった一つの要因で。


「エルゥ様」


 レインが、器用にみずからの駱駝を寄せ、そっと主の震える手を握った。

 視線は、逸らさない。


「聖教会内部の腐敗を洗いだし、ひっそりと粛清にかけて現体制を築いたのは、マルセル陛下とアルム様。それに、キーラ家の当主イヴァン様です。あの方達あっての、今なんですよ。……聖教会が、正常に機能するための基準は何だと思われますか」


「? ……本来の教義のこと? 民が、民自身の力で健やかに日々を過ごすこと。そのための助力と、努力を惜しまない…………あっ!?」


「そういうことです」


 滔々(とうとう)と知識上の教義を述べたエウルナリアは、握られていないほうの手でみずからの口を、咄嗟に覆った。

 口布で、その唇はすでに隠れていたけれど。


 勇気づけるように。

 温めるように、レインが手にやさしく力を込める。


 ―――なぜか、泣きたくなった。

 にこり、と灰色の瞳に、包み込むような光が宿る。


「大丈夫ですよ。(レガート)が……中枢がまっとうである限り、孤立はあり得ません。今、僕たちがしているのは綱渡りじゃない。すでに張り巡らされた防衛網を、強固にするために。確実にするために動いているんです」


「……っ……う……」


 エウルナリアは、鞍の持ち手を握る指に添えられた、レインの大きな手の甲に額を当てた。


 ―――――限界だった。涙腺が崩壊する。ずっとずっと、ずっと堪えていたものが、止めどなく(あふ)れた。


 ……はたして「うん」と、きちんと応えられただろうか。

 震える小さな背に、まなざしが注がれる。



「……次の休憩のあと、エルゥ様と二人乗りしてもいいでしょうかね……」


「気持ちはわかるけど。駱駝の負担がね。諦めなさい。わたしだって我慢してるのよ」



 伏して、嗚咽する少女の頭上。

 ひそひそと、抑えた声量で交わされる、恋人と親友のあたたかな声が重なった。




二転、三転とサブタイトルを変更してすみません。

(もう大丈夫)


ちなみに、キーラ家の当主イヴァンさんは、外伝『ロゼルの孵化』

https://book1.adouzi.eu.org/n2244fp/

に、出て参ります! エルゥのもう一人の親友、男装のロゼルのお父さんです。


マルセル陛下や、ユシッド達の母となる女性は過去篇『湖の精と歌長』

https://book1.adouzi.eu.org/n6175fk/

に、出て参ります。

よろしければ、併せてご覧ください。

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