75 白銀の司祭
いわゆる仲秋。
大陸中部の国々は穏やかで過ごしやすい気候が続く。豊かなアルトナやセフュラ北部などは、地の恵みが著しい実りの季節だ。
しかし、レガートの北。
天を支えるかの如き威容で屹立する、連峰――白雪山脈よりこちら側に、それは当てはまらない。
高度の低い尾根を選び、几帳面に、膨大な財と労力を以て敷かれた大陸の南北公路。
南北のみならず東西も、端から端まで行き渡らせた大規模な街道建設は、レガート帝国初代皇帝がいち早く着手し、成し遂げた偉業の一つだ。
(はじめは、軍事的な補給線の確保のためだったか……次いでは、皇都造営に必要な物資の搬入経路の確保、だったかな。うん)
澄んだ蒼穹に抱かれたようにうつくしい景色にもかかわらず、ここで立ち止まる者はまばらだ。他の商隊や旅人は、普通もっと手前の山間宿場町で休む。
が、人が少ないのを見越して足を止める者も一定数いる。どのみち、ここは静かでいい。
尾根の、空に近い場所にあるひらけた石畳の休憩所で馬車を降り、しばし雲海の下に見える広大な北の大地に視線を凝らす。
ふぅ……と吐いたささやかな息は、白かった。襟元の同色の毛皮に、そっと口許を埋める。
標高のせいもあるが、母の郷でもあるここ、白夜国は冬でない時期がとても短い。すっかり冬支度のみずからの装いをちら、と一瞥し、アルユシッドは笑んだ。
「鷹も、さすがにこの尾根は越えづらいんじゃないかな……そもそも、ディレイ殿にここまで手を伸ばす余裕はないか」
小声で溢す雅やかな長身の青年のうしろ、やや離れて人の気配が近づいた。
「……」
気づいた青年は押し黙る。
足音は八歩ほど離れた場所で立ち止まった。やがて、遠慮がちに声をかけられる。
「――殿下? そろそろ出立ですが。馬車にお戻りいただけますか」
「あぁ、わかった」
雪と見紛う白銀の柔らかな髪。秀麗な美貌。柘榴石色の双眸の皇子は、爽やかな笑みを唇に乗せたまま振り向いた。
ザ、と踵を返し、その場をあとにする。
左手に持ったままだった、温もりと珈琲の香りが残る器は「ごちそうさま」と、侍従の手に乗せた。
―――ここを降れば、目的地はすぐだ。
パタン、と馬車の扉が閉められ、アルユシッドは深々と臙脂色のクッションが当てられた座席にもたれ掛かる。
「はっ!」と、歯切れの良い御者の声。パシン! と手綱を鳴らす音。わずかな振動ののち間髪入れず、カラカラカラ……と、車輪は轍に沿って滑り出した。
雪はない。刻限とされた晩秋のウィズル建国祭には、まだ幾ばくかの猶予がある。
けれど―――
「……あっちは、かなり暑いだろうな。サングリードのエナン支部は旅慣れた猛者が粒揃いだから、道中は何とかなると思うけど」
ふと、瞑目する。
肝心なところは呟かず、胸にpppで落とし込む。
(――砂漠の、ジール女王は厄介かもしれない)
国政の支柱を影から担う自覚とともに、若き司祭は右側の車窓へと、再び視線を向けた。
分厚い雲に覆われた遥か向こう、地平の彼方。
東の、灼熱の大地を懸命に進むだろう、大切な少女を想って。




