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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 迫る秋(二)

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75 白銀の司祭

 いわゆる仲秋。

 大陸中部の国々は穏やかで過ごしやすい気候が続く。豊かなアルトナやセフュラ北部などは、地の恵みが著しい実りの季節だ。


 しかし、レガートの北。

 天を支えるかの如き威容で屹立する、連峰――白雪山脈より()()()()に、それは当てはまらない。


 高度の低い尾根を選び、几帳面に、膨大な財と労力を以て敷かれた大陸の南北公路。

 南北のみならず東西も、端から端まで行き渡らせた大規模な街道建設は、レガート帝国初代皇帝がいち早く着手し、成し遂げた偉業の一つだ。


 (はじめは、軍事的な補給線の確保のためだったか……次いでは、皇都(レガティア)造営に必要な物資の搬入経路の確保、だったかな。うん)


 澄んだ蒼穹に抱かれたようにうつくしい景色にもかかわらず、ここで立ち止まる者はまばらだ。他の商隊や旅人は、普通もっと手前の山間宿場町(さんかんしゅくばまち)で休む。

 が、人が少ないのを見越して足を止める者も一定数いる。どのみち、ここは静かでいい。


 尾根の、空に近い場所にあるひらけた石畳の休憩所で馬車を降り、しばし雲海の下に見える広大な北の大地に視線を凝らす。

 ふぅ……と吐いたささやかな息は、白かった。襟元の同色の毛皮に、そっと口許を埋める。


 標高のせいもあるが、母の郷でもあるここ、白夜(びゃくや)国は冬でない時期がとても短い。すっかり冬支度のみずからの装いをちら、と一瞥し、アルユシッドは笑んだ。


「鷹も、さすがにこの尾根は越えづらいんじゃないかな……そもそも、ディレイ殿にここまで手を伸ばす余裕はないか」


 小声で(こぼ)す雅やかな長身の青年のうしろ、やや離れて人の気配が近づいた。


「……」


 気づいた青年は押し黙る。


 足音は八歩ほど離れた場所で立ち止まった。やがて、遠慮がちに声をかけられる。


「――殿下? そろそろ出立ですが。馬車にお戻りいただけますか」


「あぁ、わかった」


 雪と見紛う白銀の柔らかな髪。秀麗な美貌。柘榴石(ガーネット)色の双眸の皇子は、爽やかな笑みを唇に乗せたまま振り向いた。


 ザ、と踵を返し、その場をあとにする。

 左手に持ったままだった、温もりと珈琲の香りが残る器は「ごちそうさま」と、侍従の手に乗せた。



 ―――ここを(くだ)れば、目的地はすぐだ。


 パタン、と馬車の扉が閉められ、アルユシッドは深々と臙脂(えんじ)色のクッションが当てられた座席にもたれ掛かる。


 「はっ!」と、歯切れの良い御者の声。パシン! と手綱を鳴らす音。わずかな振動ののち間髪入れず、カラカラカラ……と、車輪は(わだち)に沿って滑り出した。



 雪はない。刻限とされた晩秋のウィズル建国祭には、まだ幾ばくかの猶予がある。

 けれど―――


「……あっちは、かなり暑いだろうな。サングリード(うち)のエナン支部は旅慣れた猛者(もさ)が粒揃いだから、道中は何とかなると思うけど」


 ふと、瞑目する。

 肝心なところは呟かず、胸にppp(ピアニシシモ)で落とし込む。



 (――砂漠の、ジール女王は厄介かもしれない)


 国政の支柱を影から担う自覚とともに、若き司祭は右側の車窓へと、再び視線を向けた。




 分厚い雲に覆われた遥か向こう、地平の彼方。

 東の、灼熱の大地を懸命に進むだろう、大切な少女を想って。


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