74 主従のないしょ話
甘いのはサブタイトルだけです。すみません(小声)
開店から二時間経過。
エウルナリア目当てと見られる客は、漸くいなくなった。
広い天幕に残ったのは、古株と見られる女性客が四名のみ。敷物の上の薬品を整理しつつ、テオは穏やかに指示を出す。
「エルゥさん、レイン君。そっち、はけたみたいだし。常備薬セットの残りが少ないから奥で作って来てくれますか」
「……あ、はい! テオさん」
「わかりました」
二人は素直に従う。目視で互いに頷き合うと、すみやかに移動した。
常備薬セットは、傷薬、湿布、軽度の風邪薬や薬草茶葉などが少量ずつ入ったもので、最も需要がある。この二時間減り続け、確かにストックは残り十を切っていた。
広い天幕のなか、積み上げた木箱で区切られた店の奥は薄暗い。
置いてあったランタンを掲げ、主従は小声で「何個?」「五十ほど作ります?」などと、ひそひそ会話を交わす。ちょっと楽しい。
――と、そのとき。
何気ない、常連らしい女性客らの声が届いた。自分達が視界からいなくたったため、より伸び伸びと話せるようになったらしい。
「それにしてもさ、参るわぁ。あんた達が来てくれるから、辛うじて増えすぎないみたいだけどぉ」
「そうそう! 怖くって、峠に近づきゃしないよ。大した荷じゃないのに襲われるってぇ話じゃないか」
「聞いたよ? あんたがた。昨日もやっつけてくれたんだって?」
きゃあきゃあと盛り上がる彼女らの大陸公用語は、興奮のためか早口だ。抑揚にもくせがある。
対するテオは、どこかのんびりと答えた。
「道を塞がれては、我々も困りますからねぇ……つとめが果たせないのは、サングリードの御教えに悖ります。お役所は? あれから陳情はしてみましたか?」
思案げな青年の声に、苦笑を含む年嵩の女の、芯の通った声が続く。
「村長から文を出してもらったけどさ。だめだね。どっかで握りつぶされてる。賄賂なしじゃ無理ってのさ」
「? 都に物資が入りにくくなれば、困るのは都の民、ひいては女王陛下なのに?」
から、からから……と、豪気な笑い声。
どうやら彼女が、あのご婦人グループのリーダーらしい。
「いまの女王は、政はてんでダメ。自分好みの男をとっかえひっかえ、後宮に詰め込んでは宴三昧らしいよ。厨房で下働きしてる従姉妹が言ってた。前、来てくれたんだけどさ」
ほんと、ろくでもないよねぇ……と、彼女らの台詞は続く。
エウルナリアは不思議そうに青眼を瞬かせた。
(ジールの女王陛下って、そんな方なのかしら……本当に?)
一応、きちんと手は動かしつつ、脳裡で今得た情報を既存の知識と照らし合わせてゆく。
――王の名は、都と同じ“ジール”。
砂漠の慣習らしく、本名は誰も知らない。号のようなものらしい。
現王は即位して六年経つ、二十八歳のまだ若い女性のはず。皇国の外交府が管理する『各国王族名鑑』の絵姿でしか知らないが、この地方特有の褐色肌の美女だった。
そこまで暗君との報せは、聞いたことはなかったが……
「多分、ぎりぎりのところを支えている臣下の何方かがいるのでしょうね」
主の心を読んだように、ぼそ、と小さくレインが溢す。
仄かな灯りを点すランタンは、木箱を背に隣り合って座る二人の眼前、目線より高めの台の上。
ちらり、と横目で窺うと、レインの綺麗な線を描く頬に、つややかな栗色の睫毛の影が落ちていた。火影がジジ……と揺れて、灰色の瞳にもゆらぐ色彩を映し出す。
その視線が、すぅっ……と動き、左隣のエウルナリアに定められた。
(!)
思わず、どくん! と心臓が脈打つ。
表情は変えず、「……なに?」と、出来るだけ落ち着いた声音で問う。
レインはにこり、と淡く溶けるような笑みを浮かべた。
どきん、どきんと勝手に反応する鼓動がうるさい。
―――……心臓の音、ひょっとして聴こえてるのかな。
若干、姫君が別方面で心配になりかけたとき。
従者の少年は瞳を伏せ、主の耳にゆっくりと唇を寄せると、吐息ほどの声量で、ごく小さく囁いた。
かれの放つ気配に鋭敏になり過ぎたエウルナリアの首筋が、思わずぞくりと粟立つ。
――――が、告げられた内容はそれすらどうでもよくなる衝撃に満ち溢れ、同時に驚くほど合点のゆくものだった。
「……あれが、レガートの救護府を兼ねた諜報部、《サングリード聖教会》の抱える、大切な役目の一つです。情報収集、というね」




