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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 迫る秋(二)

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72 サングリードの薬草市

 白々と光の満ちる蒼天に、小さな影が(よぎ)る。ぴん、と翼を伸ばした一羽の鳥が旋回し、樹上に停まることなく悠々と西の空をめざして()け消えた。


 エウルナリアは立ち止まり、青く遠ざかるその一点に目を凝らしている。


 (……?)


 斜めに(かし)ぐ主の背。

 不思議に思った従者の少年は、つい、みずからも同じほど首を(かたむ)けて問いかけた。


「エルゥさ……いえ、エルゥ。何か?」




   *   *   *




 時刻は午前七時。

 ゼラン村の広場には、いくつもの(いち)が立ち並び始めている。

 サングリードのキャラバンがひらく、不定期で行われる薬草市。近隣の村々からも人が集まるそれは、一種、祭のようだった。広場は活気に溢れている。


 がやがやと喧騒(いちじる)しいなか、エウルナリアは(かぶり)を振った。

 昨夜ほどいてしまった髪は、今朝はいつもの垂らし髪。

 四方に柱を打ちつけて布を張った簡易天幕のおかげで、凶暴な陽射しからは守られている。ゆえに、外套やフードの(たぐ)いは身に付けていない。


 風を受けて揺れる、柔らかな黒髪。

 この辺りでは珍しい白磁の肌。

 何より印象的な、湖の青の瞳。


 (あらわ)となった少女の精霊じみた美貌は、何をどうしても人目を引いた。ちらちらと、意図的な視線を投げかけてゆく男も多い。純粋に、ただ見とれるだけの者はもっと多い。


 ―――レインはそれらを諦めの心境で、まるっと無視している。

 が、恋い焦がれる少女の微細な変化は、一片たりとも見逃すつもりはなった。


 エウルナリアは、つと天幕の入り口から陽向(ひなた)に晒していた半身を引っ込めると、(せわ)しなく瞬きつつレインの側まで戻り来る。

 暗順応(あんじゅんのう)に時間がかかるのだろう。指を添えて目を瞑り、それでも律儀に答えた。


「何も。ただ、鷹みたいな鳥が西に飛んでいったから」


「あぁ。鷹便かと思われたんですね」


「うん」


 端的に会話を切り上げ、少女は従者の少年を手伝うべく、すとん、と傍らにしゃがみ込んだ。

 顔の前に一房、黒髪が垂れる。

 それをそぅっ……と細い指にとり、伏し目がちに耳へと掛けた。


 ―――無意識の所作。

 それにすら淡く色が溶け滲むことに、少女は何歳(いくつ)になっても気づけない。


 万感の思いで彼女を見つめていたレインは――深く、吐息した。諸々の心情を落ち着かせるために落とされた、どうしようもないため息だった。


「なるほど、確かにウィズルの鷹かもしれませんね。どうします? 次からは騎士の誰かに頼んで射落としてもらいますか」


「ううん。それは……どうかな」


 小首を傾げ、言葉尻を濁すエウルナリア。さすがにそれは行き過ぎな気がした。

 普通の鳥かもしれないのだ。よしんば、ウィズルの鷹だったとして……――


 濁された部分はあっさりと通じたのだろう。レインは視線を手元に落としたまま、薬草を小分けにしつつ淡々と所感を述べた。


「えぇ。僕も、そこまでする必要はないと思います。お互い水面下の進行ですからね。下手に警戒を抱かせる意味は全くありません。相手からは無能と思われたほうが、こちらはやりやすい」


「……それ、お父様からの受け売り?」


 レインは顔をあげ、ふぅっと遠い目になった。頬にはほろ苦い笑みが浮かんでいる。


 「えぇ」

 

 (あらら……)


 エウルナリアは、つられて苦笑した。

 似た教育なら、幼いときにたっぷりと受けている。

 あの(アルム)のことだ。さぞかし、容赦のない教授方法だったろう。


 なら、本題に入ろうか――そう思ったとき。

 天幕の外から、てきぱきと陣頭指揮を執る凛々しい声が近づいて来た。


「エルゥ。レイン。いる?」


 突如、バサァッ! と(めく)られる背面の壁布。偶然、ほど近い場所にいたエウルナリアはびくぅっ! と、肩を跳ねさせた。


「はいっ。ここに……きゃっ!」


「あ、ごめん。近かったね」


 即座に眉尻を下げ、謝るセオミナ。

 申し訳なさそうな顔だが、きつめの猫のようなアーモンド型の瞳は楽しげだ。きらきらと黒曜石のように輝いている。


 やや遅れて後ろから、青い飾り帯の青年――テオが現れ、やれやれと嘆息した。

 どうやら悪戯(いたずら)だったらしい。つくづく、お茶目な女司祭だ。


「いえ……? あの、これは?」


 ぽん、と手渡されたのは二本の飾り帯。色は茜を帯びた黄色。サングリードに入門して一年に満たない者が身に纏う(しるし)の色だ。

 セオミナはこともなく言ってのけた。


「レインと一緒に()()付けといて。一応《サングリードの薬草市》だからね。交代の時間まではテオを置いてくよ。もし、お客さんから薬のことを訊かれたらそっちに回して。歩く薬学辞典なの」


 ぱちん、と片目を瞑り、青年の肩に気安く手を乗せている。任された青年は、渋面一歩手前の複雑そうな表情(かお)をした。


「俺より上の、超一流治療師に言われたくないんですが」


「いいよ? さっさと私より上になりなよ。譲るよ司祭なんて」


「結構です」



「……」

「……」


 二人とも笑顔なのだが……何だろう。ずいぶんと子どもじみた、大人なやり取りだなと眺める若年層の視線に気づいてか。

 はた、と背の高い二人組は黙り込んだ。


「じゃ、よろしくね!」


 一瞬の間のあと、軽快に歩み去る銀の飾り帯のセオミナ。

 残されたテオ。

 ―――と、レインにエウルナリア。


 三名は、見るともなく互いを見つめ合う。

 年長者はにこり、と人好きのする笑顔を浮かべた。


「まぁ……そんなわけで。始めましょうか、お二方」


 陣頭指揮は、テオに譲られた。


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