69 奥底に灯る熱※
手ぐしで、髪をおおまかに梳かれる。
次いで、手早く細い房に分けられ、セオミナの長い指は小気味良く、一定のリズムで何度もエウルナリアの頭部を行き来した。
鏡がないのでどのように編まれているかはわからないが、優しいながらも容赦のない仕事ぶりは、遠く離れたバード邸の乳姉妹・フィーネを思わせた。とても気持ちがいい。
姿勢を正して椅子に座り、なすがままの令嬢はしかし、ふと考える。
(キリエも上手だけど、指がすごくふくよかなのよね……セオミナ様の指は……少し、レインに似てるな)
「――…………」
まずいことに、色々と暴走癖のある従者の少年に考えが及んでしまい、エウルナリアはみるみるうちに頬を染めた。
あまりの恥じらいに、思わず伏し目がちとなる。
鼻唄混じりに機嫌よく、艶のある柔らかな黒髪を弄る女司祭の目には、残念ながらその表情は映らない。
が、同じ厨房で立ち働く青年と少年の聖職者からは丸見えだった。
「……」
「……」
終始無言ではあったが、両者ちらちらと、どうしても司祭と令嬢の方向に視線が吸い寄せられてしまう。
(やばい。目の保養通り越して目の毒だ、これ……!)
―――と。
おおむね、罪のないかれらの心の叫びは一致した。
勿論そんな声は、楽しげな上司と、やたらと甘い雰囲気を漂わせる少女には届かない。
ぐつぐつ、ぐらぐら。
少しずつ、大鍋の水は湯に変わりつつある。
* * *
「解くのが、勿体ないですね……」
「そう?」
ため息とともに、賛辞の言葉が漏れる。
自信満々のセオミナが手掛けたのは、わずか五分足らず、しかも一本の紐で結われたとは思えぬほど素晴らしい仕上がりの纏め髪だった。きつくも緩くもなく、丁度いい。
おそるおそる、後頭部に指先を添わせると伝わる、細かく、所々ふんわりと纏められた髪の感触。
大小の編み込みを駆使し、綺麗にうなじより上の位置で束ねられている。
しかも、そこから髪全体をぐるりとねじり、一度縛って余った水色の紐を巻き込み、リースのような環をなしていた。
最終的には逆さではない、両端が同じ長さできちんと垂れている、整った蝶々結びになっている。
(……うっ)
不覚。思い出してしまった。
――……“蝶々の姫”。
不本意ながら、ディレイから付けられたあだ名だ。
少なくとも、かれとの対峙はあと一度、絶対にこなさねばならない。その時は、必ず撤回させようと静かに心に決めた。
「……? いいよ、寝るときには解いて。きついでしょ」
妙に決意に燃える令嬢の背に、セオミナは不思議そうに声をかける。
「!!」
はっ、と我に返ったエウルナリアは慌てて振り向くと、ぶんぶんと顔を横に振った。
すぐにカタン! と椅子から立ち上がり、染み付いたくせで非常に優雅な簡易の礼をとる。
「いえ。有り難うございます、セオミナ様。こんなに綺麗に結っていただいて……とても器用なんですね。ええと……なぜ、ご自分の髪ではなさらない、ん……?」
頭をあげた令嬢が発した素朴な問いは、グツ、グツグツ……! と派手に煮立ち始めた大鍋の音と、セオミナ自身の笑い声とでかき消された。
「は、……あははははっ! はは、あぁ……ごめんごめん。あんまり可愛らしくて。いいね、やっぱり美少女はこうじゃないと」
「び……!?」
突き抜けて明るい女司祭に不意をつかれたエウルナリアは、ぽかん、と呆け顔となる。
くすくす、くすくすくす。
尚も笑みを溢すセオミナは、人間用の使用済み口布の籠を掴み取ると、中身をざぁっ……と、一気に鍋へと放り込んだ。白く湯気が立つ。なかなか豪快だ。
「そこの笊、取ってくれる?」
「あ、はい」
壁に掛けてあった、目の粗い大きな笊を取る。「ありがと」と、軽い調子で礼を言われた。
セオミナは楽しそうだ。流しに笊を置くと、用意してあった長い木のへらでゆっくりと鍋をかき混ぜている。
目の光がつよく、優しい。そして独特のテンポの良さ。
あぁ、なるほど―――と、少女は納得した。
(稀有な女性。この、過酷な場所でなおサングリードの使徒として、ごく自然に振る舞ってる)
……剛いな、いいな――と。
こう在りたいと。
漠然と。
エウルナリアはふつふつと灯るような熱を感じ、そっと、胸に握った両手を押し当てた。




