68 襲撃(後)
「傭兵? なるほど、うまいこと言うね」
「セオミナ様……! そんな、あっさりと!」
寛いだ様子で駱駝から降ろした荷を確認しつつ、サングリード聖教会の女司祭は、ふふ、と微笑った。
* * *
ドラク峡谷に現れた盗賊は、結局彼女が率いるキャラバンに指一本触れることなく、ほぼ壊滅した。
投げつけられた“二の袋”から飛散した粉薬を吸うことなく、運よく逃げ延びた賊も数名見られたが、セオミナは深追いを禁じた。
一行はそれ以降も順調に距離を稼ぎ、予定より早く最初の村に到着している。
「盗賊様々よね」とは彼女の言だ。あまりの豪胆さに、エウルナリアはつい、本音を漏らしてしまった。
しょぼん、と眉を下げる。
「あの……よく、襲われるのですか?」
「それなりに。けど、襲撃率はこの辺りが一番高い。二、三ヶ月に一度の“往診”だけど二回に一度は必ず襲われる。慣れもするよ、平気」
「はぁ……」
力なく相づちを溢す令嬢の耳に、やがて掻き鳴らすような弦の音が届いた。
……長く弾いていなかったが、調音は済んだらしい。はっきりと爪弾く旋律の一音一音が明確で、無条件に惹き付けられる。レインの竪琴だ。
次いで、軽やかに手のひらと指を用いて細かく鳴らされる、乾いた皮の澄んだ音色。
伸びやかに力強く響く、少女のわりには低めの歌声――シュナーゼンの太鼓に、ゼノサーラのくっきりとした女声が綺麗に重なる。
ざわめきが静まった。皆、聴き惚れているのだと気配でわかる。
―――この村は総人口三百名足らず。
主産業は綿花の栽培や、それに伴う織物などの工芸品。ほか、旅人が必ず立ち寄るので余裕のある者は小さいながら宿を経営するという。
おおむね細々と日々を営む、慎ましい村のように見受けられた。
時刻は午後四時半。
日暮れには、まだ余裕がある。
急病の者はいないようだが、差し迫って薬が必要な者などを相手に臨時の診療所が設けられ、サングリードの仮支部庁舎の外は忽ち長蛇の列となった。
『皇国楽士でしょ? 何か演奏してやってくれないかな。ここらで娯楽なんて、そうないから』
実際の診察は副官の青い飾り帯の聖職者らに任せ、荷の点検や口布の消毒、薬の再塗布をすることにしたらしいセオミナは、あっけらかんと銀の双子に告げた。
その結果が、急拵えの演奏会となっている。
そわそわと浮き足立つ令嬢に、褐色の肌の司祭は目許を和らげた。
「いいよ、見てきなよ。煮沸用の湯が沸くまではまだ間がある」
一般の家屋を少し広くした程度の石造りの建物は、厨房もそれなりに広い。
セオミナとエウルナリア、それに緑の飾り帯の青年と少年、計四名が夕食の支度などのために詰めているが、まだまだ余裕がある。あと二名は居てもよさそうだ。
確かに見たい。けれど……
ふるふる、と頭を振った。
手にしたシンプルな髪紐を口にくわえ、長く伸びた黒髪をうなじでゆっくりと束ねる。
左手で髪束を握ったまま、右手で紐をとると、くるくると巻いてきゅっ、と縛った。一応蝶々縛りにしておく。
(みんな、自分に出来ることをしてる。……今の私が外に。サーラの隣に立ったとしても)
痛む胸はあえて無視し、エウルナリアは淡く微笑んだ。
「いいえ。お手伝いさせてください、セオミナ様。この際だから正直に打ち明けますけど……私、いま歌えないんです」
おや、と女司祭が目を瞬く。
側で聞いてしまった青年らも、ぴたりと動きを止めた。
鋭く見とがめた司祭が「続けて」と流し目で促すと、慌てたようにそれぞれの作業――大量の芋の皮剥きやパン生地作り――へと、戻って行ったが。
大鍋の底、熱した水はまだ湯にならない。
セオミナは、しずかな黒瞳でエウルナリアを眺める。
「治療師には診てもらった? いつから? 歌だけ?」
真摯な問いは、彼女をもっとも立場に近い人物に見せた。百戦錬磨の女傭兵には、今はとても見えない。
思わず、くすり、と笑んでしまう。
竈の隣、回収した人間用と駱駝用の口布を分けて入れた二つの籠の側まで近寄り、エウルナリアは何となく視線をそれらに落とした。……ほんのりと、笑みを浮かべた唇のまま。
「レガートを発つ少し前に……発熱を。すぐにアルユシッド殿下に診ていただけたので、熱は長引かずに済みましたが。“歌おう”とすると声が萎えてしまって……出ないんです。まるで、心と喉の間に壁一枚、隔てたみたいに」
外では、ちょうど歌の最後のフレーズ、最後の一音がまっすぐ空気に溶けていた。
乾いた風に抜けるような空。オルトリハスの市で購入したばかりの打楽器に、レガートから持参した竪琴。
三名の演奏は、合わせるのが初めてとは思えぬほど息がぴったりだった。
爽やかで華やか。瑞々しく、そして何よりも―――
「楽しそうだな、と。歌いたいな、とは思うのですけど……」
西に傾きつつある、陽射し。それを窓の外に眺めながら少女は呟く。
セオミナは、思わしげな表情でただ一言。「そう」と、吐息に乗せ――――小柄な黒髪の頭に手のひらを乗せた。やさしく撫でつつ、言葉を紡ぐ。
「ま……そういうこともあるよね。時の経過や何かのはずみで、ふと戻ることもある。とりあえず……」
カタン、と少し離れた調理台の脇に置いてあった丸い、背凭れのない木の椅子を動かした。片手を腰に当て、ぽんぽん、とその座面を叩く。
「?」
「座って。……結い直したげる。逆さ結びだし、色々残念だから。
可愛い子は綺麗に装って、心から笑ってこそだと思うねお姉さんは。おいで」
「!! えっ。は……はい?!」
不覚にも、なぜかドキッとしてしまった。
声が上擦ってしまう。
セオミナはにっこりと、どこか一癖も二癖もありそうな笑顔で腕を組み、少女を待ち構えた。




