67 襲撃(中)※
ヒュッ……
連ねられた駱駝の、砂がちな小岩を蹴る足音がえんえんと重なる峡谷の中ほど。
ふいに風切り音が聴こえた気がした。
みずからに向かって飛んできたそれを、瞬時に抜いた剣でこともなく切り捨てるロキ。――目を疑うほどの早業だった。
軽く二本に叩き折られた一本の矢が、駱駝の足元にぱさり、転がる。
(……!!)
息を呑むエウルナリアの斜め前。不届き者からの先制攻撃を防いだロキは、腹の底から周囲の空気を切り裂くほどの音声を響かせた。
「一矢、来た!! 総員、備えよ!!」
動じず、応! と重なる野太い声。
方々で同じように射かけられた音を耳が拾う。が、射手の腕が悪いのか、間違って“獲物”の価値を下げたくないのか。
タンッ
タ、タンッ ……タンッ
―――と。
牽制程度とみられる何本もの矢が、地面へと突き刺さった。
荒縄で繋がれた荷運びの駱駝に跨がるだけのエウルナリアには何もできない。右側をレイン。左側をロキの部下シエルがそれぞれの駱駝を操り、油断なく抜剣して辺りを窺っている。
……射手は、岩山の上のようだ。姿は見えない。移動したのか。
エウルナリア同様、ゼノサーラも左右を騎士に守られていた。しかもシュナーゼンの膝の上だ。
見目よい銀の皇子は、不服そうに彼女を横抱きにしている。
「言いたいことはたくさんある」と、頬に明記してあるかのようだが、今はそれどころではない。
―――ほんの、時間にして数十秒。
突如としてそれは訪れた。
両の岩肌に反響し、地を伝うほどの振動。異国の言葉による怒号の数々……――!
キャラバンの先頭から、低く穿つようなセオミナの声が迸った。
「黙視、確認!! 前方より三十弱!」
「同じく!! 後方十二!」
すかさず列の最後尾、殿の者が声を張る。一同に緊張が走った。
土埃と何かを囃すような耳障りな声を上げ、坂の上から迫る野卑た男達の騎馬の群れに、セオミナは唇の端を歪めた。
「まったく。どいつもこいつも欲に走りやがって……挟撃とか。今回の荷はどこまで魅力的なんだか」と、早口で捲し立てている。舌打ちまでした。
耳聡くそれを聞き咎めた青年が、隣で駱駝を並べつつ、思わずの体で吹き出す。
「貴女も商品と見られてることに、大概気づいた方がいいですよ」
「無駄口はいい。――走るよテオ。指令を」
「了解。……各自“二の袋”、構え!! 前方に走り抜ける! 道を塞ぐものは斬り捨てよ! 」
* * *
「……きゃっ……!!」
駱駝の列がスピードを増した。
歩調が一転、上下の激しい揺れに振り落とされそうになるのを、慌てて鞍の持ち手にしがみつく。左側でシエルが抑えた声を発した。
「そうですね。前傾姿勢を保ってくださいエウルナリア嬢。そろそろ先頭は接触する頃だ……皇子も! なるべく、伏せてください」
「だってさ、サーラ。いい?」
「いやよ、痛い。あんた重いもの」
「……非常時ですよ、坊ちゃんがた」
すかさず、冷えた声が落とされる。ロキだ。
さすがに双子は大人しくなった。
「はーい」
「……はい」
「我々も必要とあらば剣を振るいます。お嬢さんがた、つらければ目を閉じていなさい。皆、口布を」
「はっ!」
部下の騎士三名は息の揃った返事ののち、すでに片耳から下げていた布で鼻と口を覆う。紐の輪が付いているもう片方の端を、反対側の耳へとすばやく掛けた。
エウルナリアも、先の休憩で渡されたそれを装着する。
少しひんやりと冷たい、不思議な匂いがした。薄荷も混ざっているのかもしれない。
「……先頭、ぶつかりましたね。そのまま体を低くしていてください。エルゥ様」
「! はいっ!」
レインも気を付けて、と告げるだけの余裕がない。
それでも、湖の色の双眸に浮かぶ光に目ざとく気づいた従者は、口布の上でわずかに灰色の瞳を和ませた。……一瞬だけ。
すぐに、キッ! と前を向く。右手には剣。
しかし、幸いと言うべきか。
視界に入り始めた賊の男達は皆、地に倒れ伏していた。大抵が馬ごと白目を剥き、小刻みに痙攣している。一行の駱駝は、器用にそれらを避けて走り抜けた。
血を流す者もいくらか見られたが、余計な傷はない。皆、首を一太刀に斬られている。
「――――……ッ……」
思わず、ぎゅっと固く目を瞑るエウルナリア。
震える指で、出来るだけつよく鞍の持ち手を握り絞めた。
剣戟の音は、変わらず前方から聞こえる。後方でも追い付かれたようだが、戸惑いや苦痛の叫びを上げているのは賊ばかり。
(これが……サングリードの、キャラバン)
初めての戦闘の現場で血の気が下がり、うまく持ち手を握れない。それでも歯を食いしばった。
『わかるわよ。そのうち』
脳裡に、先のゼノサーラの声が甦る。
――サングリードの聖職者は、治療師であるだけではない。人びとの信仰の導き手でもある、それ以上に……――!!
(わかったけど! なんで、こんなに戦い慣れてるの……? 傭兵集団だよ、これじゃ!!?)
姫君の内心の叫びは、今はその胸のうちに、辛うじて止められている。




