60 僻地の聖教会(前)
カララン……カラン。
ざわざわ、ざわ……と。
体よりも大きな荷を載せた駱駝の列が数珠繋ぎとなり、乾いた鐘の音を鳴らして進む。
取り囲むように行き交うのは、無秩序な人びとの群れ。往来はざわめきに満ちている。
埃っぽい空気。
足元の石畳も口の中も、砂でざらついている。東へ向かうたびに乾燥は進み、植物すら砂色に近くなってきた。
「あつ……」
喘ぐような、一言。
見上げる太陽はほぼ中天。
暑いを通り越し、いっそ熱い。
身体中の水分が根こそぎ奪われるのではなかろうか、と思わず疑いはじめたーーその時。
「エルゥ」
ふわっ……と。
柔らかな布の感触とともに、容赦のない陽射しが幾分か和らいだ。
「レイン。……ありがと」
目許が日陰になるだけで、すいぶん違う。
エウルナリアは、鮮やかな緑に染められたそれを両手にとり、身体の前で併せ、ついでに口許も覆った。ーーこれで一安心。
一転、ほくほくと機嫌よさそうになった主の少女に、布を被せた張本人は困り顔となり、やれやれと嘆息する。
「だめですよ、面倒でもちゃんと被らないと。エルゥの髪色はそれでなくとも熱を集めやすいんですから。
それに目立ちすぎです。隠していても、若い女性というだけで商品扱いする輩はどこにでもいるんですよ?」
しまった。このまま歩きながらのお説教か……と思いきや、渋面のレインに突如、ぼふっ! と、いささか乱暴に日除けのフードを被せる人物が現れた。
同じような外套。フードの端から少しだけ溢れ落ちる銀の髪。シュナーゼン皇子だ。
「それを言うなら、きみもだろレイン。見ろよ周り中。ご婦人ならともかく、目が合う野郎ども全員相手にできんの? 考えろよなー? それくらい」
「相手……なんの?」
「何、でしょうねぇ」
「……」
素で思い当たらない令嬢と、察しつつもすっとぼける従者。シュナーゼンは力なく肩を落とした。
「……まぁいいや……。ね、ロキどの辺? 聖教会のエナン街道支部って」
「お待ちください、確かこの辺で……あ、ありました。あれですよ」
きょろ、と人混みより抜きん出た上背の騎士隊長が周囲を見渡し、間を置かずして右斜め前を指差した。
一行が揃って目で追う先。
そこには、頑丈そうな白い石造りの建物が見えた。ちょっとした砦のような雰囲気だ。
通り一本を隔てた向こう側。焦げ茶の扉は開け放たれている。
両開きの扉の上に組まれたアーチ部分の張り出し屋根の浮き彫りは、見慣れた紋様ーー真円に囲まれた星十字。サングリード聖教の徴だ。
ほう……と、令嬢は吐息した。
「すごい。こんなところにまで……」
「大陸の端、砂漠の東向こうの荒れ野にも点在するらしいわよ。ユシッド兄さまが言うには」
エウルナリアと同じように、こちらは薄紅色のヴェールをまとった皇女が淡々と述べる。なるほど……と、少女は頷いた。
アルユシッドは、ディレイがレガートを訪れた際も似たことを話していた。曰く、流通に関してサングリード聖教会には大陸を網羅する強みがある、と。
(……んん?)
ふと、令嬢の眉がひそめられた。俯き、深く首を傾げている。
(なんだろう、何か引っ掛かる……)
が、足を止めたエウルナリアの背にやんわりとレインの手が当てられた。
ちょうど良い位置に左手が差し出され、瞬く間にエスコートの形となる。
緑色の庇となったヴェールの上から、やがて聞き慣れた涼しい声が落とされた。
「さ、参りましょう。僕達が遠路をゆくには聖教会の助けが必須です」
エウルナリアは、ほんの少しヴェールをずらし、自分を覗き込む従者の優しい瞳を見つめる。
反射で、にこっと微笑まれた。
促されるまま素直に歩を進めつつーーー再度、レインの整った横顔にもの問いたげな視線を向ける。
(お父様から聞いてそう。何か、とびきり大事なこと。私もまだ知らないこと……)
従者らしからぬ筆頭婚約者どのは、涼しい表情を崩さない。
ーーだめか、と。
いまこの場で訊くことを、少女は五秒で諦めた。
* * *
門をなしていたのは、ぐるりと敷地を囲む四角い回廊。
整えられた中庭には泉の水がひいてあり、ささやかな菜園や薬草園を潤していた。
治療のために訪れた民だろうか。一般の人も見られたが、大半は白い貫頭衣にそれぞれの位階を示す飾り帯を肩から斜め掛けにした聖職者達だ。
おだやかな気配、心なし水気を含む、涼やかな風。……懐かしいな、とエウルナリアは口許を綻ばせた。
七月の始めにレガートを経ち、今日でもう十四日め。
オルトリハスの東端に位置するこの街の向こうは、浅瀬のような河を渡ってさらに山がちな悪路となる。
そろそろ、馬車と馬をどこかに預け、一行は駱駝に乗り替えねばならないのだがーー
その最も安全な候補として上がったのがここ、サングリード聖教会エナン街道支部だった。
すれ違う聖職者らにしとやかな会釈を返しつつ、令嬢は先頭をゆくロキの背に話しかける。
「……預かっていただけると、思います?」
「もちろん。我々はレガート支部司祭様の意も受けての旅の最中ですからね。聖教会の、東に向かうキャラバンにも同行させてもらいましょう」
律儀に振り返り、にこりと笑んで答えるロキ。なるほど……と納得すると同時に、やはり、むくりと疑問が頭をもたげる。
ーーうまく、出来すぎてる。
優しく手をとる恋人の従者に。
ちらちらと眼差しを送る姫君に当然のように気づいたかれは、灰色の瞳を愛しげに和ませ、実にいい笑顔を浮かべた。




