6 戻る日常、しずかな変化(1)
皇歴1288年。春も深まる四月の終わりに北岸の街サングリードで行われた第一回大陸連盟会議は、つつがなく終了した。
集まった国家の代表らは、細かな争いや厄介事を脇に置き、第三国の調停を得て対話を試みる場としてこれを容認。以後、三年に一度の開催を当面の指針として閉会の儀に至る。
概ね、成功を収めたかに見えたが―――
それは大人達の見識だ、とシュナーゼンは考える。
「シュナ、チューニングキー貸して」
「おー」
レガートの末の皇子でもあるシュナーゼンは、銀色に光るT字型の、打楽器用の音程調節器具を目の前の赤髪の――ほぼ青年に手渡した。
赤髪の青年、グランは本来トランペット奏者だが、家が楽器商を営んでいることもあり、全ての楽器に通じている。
かれは、慣れた仕草で小太鼓の周囲を囲む八ヶ所の突起にチューニングキーを差して回ると、対角線上に徐々にくるくる…と緩めて「カコンッ」と軽快な音とともに外枠を外した。
「あーあぁ、見事に薄くなってる。破れる直前じゃねぇのこれ。一昨日の遠征、よく保ったな、こんなんで」
「そうだろー? 僕の幸運と楽器の限界を見極める眼力に実力。さぁさぁ、もっと誉めてもいいんだよ?」
「誉めてねぇ、皮肉だよ。気づけバカ皇子」
グランは容赦なくぴしりと言い放つと、台詞とは正反対の丁寧さで抜き取った部品の汚れを布で拭き取り、あたらしい油を注していった。皮を留めていた八本の部品は、それなりに汚れている。拭いた部分の布は真っ黒だ。
「バカは、ひどいねぇ~」などと言いつつ、シュナーゼンにも怒った様子はない。淡々と手元のシンバルを磨いている。柔らかな布で根気よく磨かれた箇所は明らかに周辺と色が異なり、長年の錆を取り払われて沈んだ金色の反射光を放っている。
その、金色に輝くシンバルに己の影を映したあと。銀色の長髪をざっくりと高い位置で結った第三皇子はそっと、もの思わしげなため息を吐いた。
――ここは、レガティア芸術学院音楽棟の一階練習室。
グランは三学年ということもあり、必修共通科目やあらかたの専門科目の履修は終えている。シュナーゼンはいくつか取りこぼしがあるようだが、本人はあまり頓着していないようだ。
午前の時間帯、この界隈は空いており、五つある練習室の一つを陣取ってかれらはのんびりと楽器の手入れに勤しんでいた。
目的は、他にもあるのだが。
その時、コンコンと扉が鳴る。
近くで作業していたグランはすっと立ち上がると無駄のない動作で扉へと移動し、すみやかに訪問者を招き入れた。
「ようこそ、エルゥ」
「お邪魔します、グラン。それにシュナ様」
「あー。ごめんね、来てもらって。引っ越しどう? 落ち着いた?」
「はい。なんとか」
答えながらカタン、と椅子を引いて手頃な席に着くと、手に持っていた何冊かの楽譜を机上に広げた。
『金管と打楽器のためのアンサンブル』
『ピアノと金管、および打楽器の即興曲(例)』
『室内多重奏』
などなど……
ぱらぱらと頁をめくり、エウルナリアは長い睫毛を伏せて楽譜に見入っている。
その佇まいは静謐で、凛としており、言うまでもなくうつくしい。グランとシュナは作業に戻ってはいたが、先程までのような軽口を叩く雰囲気ではなくなっていた。
周囲にも及ぶ、張り詰めたもの。
遠征の前まではなかったもの。
長年ともに過ごした幼馴染みのグランや、学院に入ってからの二年間、身近に接してきたシュナーゼンにはわかる。
(まるで、ちいさな歌長だな)
内心で、彼女に焦がれる皇子は独り言ちた。




