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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十六歳篇 迫る秋(一)

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59 言えること、言えないこと

 薄暮のなか、ぽぅっ……と、ランプに灯りがともされる。広いゲルの中央、簡易な暖炉の側近くのテーブルで面々は顔を合わせていた。

 エウルナリア、レイン、シュナーゼン、ゼノサーラの四名だ。


 ロキとシエルーー騎士二人には、馬の蹄の手入れやブラシがけなど、時間のかかる世話を頼みがてら周囲に余人が近寄らぬよう見張っていてもらう。


 全てを話せないことに一抹の申し訳なさを感じ、苦渋を滲ませるエウルナリアに、ロキはしずかに微笑(わら)いかけた。

 『お気になさらず。これが我らの務めですから』と、染み入るような声で告げてくれた。


 (なるべく手短に。集落の関心を集めぬ程度に済ませないと……)


 ーーー自分のせいなのだ。

 ことは、既に時間との戦いになっている。かれらを、戦地に立たせたくなどない。

 意を決した少女は、キッ……と、気持ちを引き締めた。


「結論から申し上げると、セヌー老はウィズルと通じておいでです。でも、『貴国(レガート)には攻め込まぬ』と言われたのも偽りではありません」


「え。……何なに、どういうこと?」


 不可解そうな三名を代表し、ゼノサーラが口を挟む。

 エウルナリアはこくん、と頷き、説明を続けた。


「ウィズルは、レガートではなく南のセフュラとの国境を攻めて欲しいと。草原の民の騎馬軍、その機動力を以て遊軍となし、陽動につとめさえすれば、どさくさに紛れてセフュラの街や村で略奪を行えると唆したそうです。……やぶさかではないと返答したのちの、ウィズル(あちら)からの提案だったとか」


「それに、乗ると?」


 いつになく真剣な表情のシュナーゼン。

 ランプの灯りが、険しい紅の瞳をより、紅玉を(ルビー)のようにちかり、と煌めかせた。

 対するエウルナリアは、ふるふると顔を横に振る。


「表向きは。セヌー老はこの情報を部族長会議にかけ、月と風との共通認識としたそうです。『現政権である陽の部族は、これを黙認する。略奪に赴きたければゆけばいい』と。ですが、これが罠でして」


「罠? ……あぁ、わざと襲わせるんですね。過激派の炙り出しですか」


 すとん、と納得したらしいレインが主の少女に問うた。

 恋人でもある従者の(げん)に、エウルナリアは困ったような笑みを浮かべる。


「そう。これを機に、オルトリハスの旧勢力をなるべく削ぎ落としたいみたい。……粛清に近いわね。(あらかじ)めセフュラの内諾を得て、略奪に向かった者たちを後ろから挟撃(きょうげき)したいと。

 ーーシュナ様、サーラ。私たちからも、この件に関してはマルセル陛下やセフュラのジュード王に是非お口添えいただきたい、とのことでした。お話しくださったのは巫覡(みこ)のキオン様ですが。……まずは、これで一点」


 きっぱりと言い切った少女に、はぁぁ……と、双子は盛大なため息をついた。

 シュナーゼンは卓に突っ伏し、顔の前に垂れた銀髪を無造作にかきあげつつ、やや投げやりに問いかける。


「あぁ、うん……。いいよ、あと何点あるの?」


 くすり、と笑んだエウルナリアは簡潔に答えた。


「大丈夫、あと一点です」




   *   *   *




「なるほど……」


 ぱち、と小さな火のはぜる音。

 簡単な夕食の準備のためにおこした炎が暖炉のなか、ちろちろと火先(ほさき)を揺らす。

 温かな山羊の乳粥に、少しばかりの根菜を合わせて似たものに塩と香辛料を振る。

 平たい器に盛ったものが、卓を囲む全員の前に配られた。「いただきます」と、あちこちで声があがる。

 せめてこれくらいは……と、黒髪の令嬢が立ち働いたからだ。


 ロキは、合点のいった表情で席についたエウルナリアを見つめた。


「オルトリハスは、大きく在り方を変えようとしているのですね。いやはや、当代の《星読みの巫覡》どのは、凄いことをお考えだ」


「えぇ。私も驚きました……まさか《星読み》の(すべ)を学問の体系に編み直して、広く民に解放したいなんて」


「その場合だと……天文学、となるんでしょうか?」


 シエルも興味深そうに話題に加わる。エウルナリアは、ふむ、と斜め上を見ながら考えた。


「そうですね……キオン様の寝室は塔の最上階で、たくさんの観測のための機材を揃えていらっしゃいましたが、草原の民は総じて目のよい方達ですし……ある程度までなら、裸眼で観測してしまえそうです。

 ーーん? どうなさいました? 皆さん」


「「……」」


 しん……と、静まり返った席に、ぼそっと低い声が漏れる。


「エルゥ。巫覡様に、寝室にまで誘われたんですね?」


「……! ち、違うの。誘われたけどお断りしました。カイザ様も同行してくださったもの。な……何も、なかったわよ?? 本当に!」


 墓穴を掘ったと気づいた令嬢は、わたわたと釈明する。レインは、ふぅ……と、諦めの色の濃いため息を溢した。


「まぁ……いいです。相変わらずだな、ということにしておきましょう。帰国したらロゼル様に愚痴を聞いていただきます」


「……なんで、そこでロゼルなの?」


「旅の最中、どうせまたあちこちの王候貴族に目をつけられるだろうからと。対策のためにも逐一報告するよう、仰せつかっています」


「? なんの、対策なの……??」


「さぁ。何でしょうねぇ」


 くすくす、くすくすと栗色の髪の少年が笑う。頬に大きく『不可解』と書いたような少女は実に怪訝そうな表情を浮かべた。


 つられて、それぞれの笑みでささやかな食卓が彩られる。失笑、苦笑。さまざまではあったが。



 ーーーーちくり、と。

 胸に抱えた三点目の報告事項はやはり言えなかった……と、エウルナリアは一人、そっと瞼を伏せた。


 あのとき、キオンと交わした最後の会話。

 それは歌を乞われてのことだった。


『砂漠の帰りに……どうか、草原のどこからでもいい。天に向けて鎮魂歌を一つ、捧げてくれないかな?

 あの惨事は二十七年前、僕の伯父……当時の風の部族長が犯した過ちだったと聞く。

 セヌーは、はっきりとは言わないけれどーーひどく、悔いているよ。止められなかったと。奪うべきではなかったと』


『……!』




 すまない。でもどうか、よろしくーーと。

 かれの穏やかな悲しみに満ちた声と、瞑目し、深く(こうべ)を垂れた際のチャリリ……という銀の額飾りの音が。


 エウルナリアの耳と心に、ずぅっと尾を引き、残っている。


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