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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十六歳篇 迫る秋(一)

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55 巫覡と少年、陽の老爺※

「キオン、何しに来た……!」


「何しに、て」


 カイザは毛を逆立てた猫のように闖入者を威嚇している。が、その行為は威圧感を伴わず、かえって年相応の愛らしさを滲ませるだけだった。


 チャリ……と細かな金属音。

 男性の額に布とともに巻かれた、細い銀鎖(ぎんさ)に連なる幾つもの装飾が重なり、小さな音をたてている。よく見ると両の手首も同様の装飾が幾重にも巻かれ、柔らかな光を放っていた。

 小首を傾げ、悠々と腕を組む――ただそれだけの動作。音はそれに不思議と色を添えている。


 巫覡(みこ)と呼ばれ、キオンと呼ばれるこの男性が草原における精神的支柱、“北極星の君”なのだろうと、一同は瞬時に理解したが……


 かれは、固まる客人らに構うことなく室内を横切り、最奥の椅子に腰掛ける少年の傍らまで歩み寄った。

 (くるぶし)まである白絹の長衣の裾が、あえかに揺れる。気安い口ぶりにそぐわない、流れるような足運びだった。


「定められた背の君の帰還と聞いて。久しぶりだったし、楽しかったろう? 天守宮(てんしゅぐう)の外は。どれ、元気になった顔を見せてごらん」


 見せろと言いつつ、しれっとカイザの紅潮した左頬に手を滑らせている。

 ぱしっ! と(ただ)ちに叩き払われていたが、本人は愉しげにくすくすと笑うのみだった。


「誰が『背の君』だ、このド変態! 今さらだけど、なんで他の部族から女王を選ばなかった。おれを擁立したお祖父様といい、わけがわからない……男は、伴侶になれないだろ」


「なれないねぇ。でも、好きだから」


「顔が、だろ?」


「そう」


「馬鹿かお前。ほんと、頭痛い……だめだ。もう一回出奔して来る」



 ―――と、そのとき。

 開け放たれたままの戸口に人の立つ気配がした。




「それこそ『だめだ』なカイザ。……今朝がた侍従長から聞いたぞ、まったく。放蕩孫め」


「お祖父様……」


「や。セヌーおはよう」


 少年王は、不服そうなしかめっ面。

 巫覡は親しげな笑顔。


 黒い官服をまとい、総白髪をすっきりとうなじで一本に束ねる矍鑠(かくしゃく)とした老爺は、厳つい顔を若干和ませ、「おはようございますキオン様」と返す。

 白い眉の下、老いてなお黒曜石のような瞳がスッと淀みなく動き、居並ぶ客人らを捉えた。



「ようこそ、レガートからのお客人。昨夜は陛下がお世話になりました。が――……どうやら、別の案件がおありか?」



 しずかだが猛々しい。(ワシ)のような視線だった。




   *   *   *




「確かに」


 コト、と茶器を置く音。

 セヌー老のために用意された、新たな発酵茶がほのかに温かな湯気をたてている。

 しん……と静まる室内に、老爺の声は重々しく響いた。


「鷹でやり取りは、していますな。しかし我らも無益な争いは好まない。シュナーゼン皇子、ゼノサーラ皇女。マルセル陛下にお伝えあれ。オルトリハスは、貴国には攻め込まぬ、と」


「そう、ですか……ありがとうございますセヌー老。貴方のような方がオルトリハスを率いるときで本当に幸いでした。時に、改革はお進みですか?」


 おや? と他のレガート勢が目を丸くする。

 ――意外だ。シュナーゼンが、他国の国政について話題を(きょう)している。

 周囲の驚きを余所に、銀色の皇子は口許に優雅な笑みを浮かべ、セヌー老からの返事を待った。


「フフ、なかなか一朝一夕には参りませぬな。貴国から時々、学者どのを派遣してもらってはいますが。こと、族長の家族は頭が固い。月は長い雲に巻かれることもあろうが、風は思う場所にしか吹かぬでしょうな」


 ……他国を内心で見下す月の部族と、堂々と蔑ろにする風の部族の隠喩だとエウルナリアは気づく。おそらく、他の皆も察している。


 シュナーゼンは皇子然としたきらきらしい容貌ににこり、と笑みを湛えたまま、ごく自然に、息をするように務めを果たしていた。


「どうか。いつでも我らで助力できることがあれば仰ってください。あまねく諸国の友誼をはかるのは、父の本意ですので」


「……」


 す、と。

 傍らで、双子の兄と同調するように銀の皇女が紅い瞳を伏せ、たおやかに優雅な会釈をした。



―――――――――――――

※キオンとセヌー老のイメージはこちら。

挿絵(By みてみん)

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