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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十六歳篇 迫る秋(一)

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54 天守宮とその主

 “星読みの塔”は、草原の民の“天”への信仰心に根ざす唯一不動のものとされる。

 宿の広場から真っ直ぐ東へと伸びた大通りの先。それは隠されることなく(そび)え立っていた。


 堅牢な石造りの塔は一本ではない。高低差のある三本が寄り添い、宮殿はそれらを囲うように建てられている。

 ゆえに、塔と宮殿は遠目に一つの建物のように見えた。



 ギイィィ……と、重い音をたてて朱塗りの大門が左右から押し(ひら)かれる。


 真っ青な空。昇りたての陽が塔の向こうから六角系の光輪を投げ掛ける。

 白く、それを弾いて幾筋もの陰影を刻む、川のような紋様を描く玉砂利の庭。眩しさに思わず目をすがめたエウルナリアを振り返り、年若い王はにこり、と笑んだ。


「ようこそ、レガートの麗しい客人がた。オルトリハスの天守宮(てんしゅぐう)へ」


 少年を迎えるべく―――急ぎ、現れた紅の衣装をまとった一団が、こちらに向けて歩を進めてくるのが見えた。




   *   *   *




「まったく……心配いたしましたよ陛下。まさか、本当に出て行かれるなど」


「許せ。あの変態に嫌気が差した」


「カイザ様……! いかに貴方といえど、ここは天守宮。月や風の者が聞いたらどうなることか。もう少しお慎みください」


「慎むべきは、あいつの方だと思うんだが」


 ――なかなか呵責ない。突っけんどんさではゼノサーラと張っていた。

 ちら、と紅の官服をまとった侍従長が主君の後ろをついて歩く一団に視線を遣る。


「申し訳ありません、お客人がた。いささか外聞が悪うございました」


 少年がずんずんと宮の奥へと進むので立ち止まれず、仕方なしといった風情でかれは会釈する。「お気になさらず」と、代表してエウルナリアは微笑んだ。


 ほぅ……と吐息し、ぼうっとする侍従長に、カイザは歩みを緩めることなく苦笑する。

 ―――気持ちはよくわかる。


 サングリードで踊ったときも思ったが、彼女は少し人間らしくない。

 カイザなりに、美人といわれる女性は幾らか見てきた。

 が、そういった“人”を基準とする美醜とは関係のないものが彼女には備わっている気がする。例えるならば、紫雲漂う明け方の空や満天の星、隠された清らかな泉を見つけたとき、ふいに言葉を失うような――――

 遭遇できたことを幸運と感じられる美。造形ではなく存在そのもののうつくしさだった。


 だからだろうか。

 大袈裟かもしれないが彼女と過ごす時間は心地よく、なんとなく癒される。夢のような多幸感に満ちている。


 (……()()()がうっかり垣間見て、興味持たなきゃいいんだが……)


 眉をひそめた主君の難しい顔に何を思ったか、侍従長は一段と歩速を早め、通路の角にあった一つの扉をひらいた。


「どうぞ。(しば)しこちらでお待ちください。ただいま、セヌー様をお呼びして参りますので」




   *   *   *




 通された部屋はいかにも東国風。

 この宮殿じたいは石造りで壁も重厚なのだが、床に敷かれた分厚い羊の毛織物(フェルト)、椅子の背凭れに当てられたクッションの鮮やかな青やローズピンクなどが一昨日泊まった集落の移動式住居(ゲル)の内部を思わせる。

 ソファーはなく、一人掛けの椅子が合わせて十脚、長方形の卓を囲むように配置されている。卓も椅子も漆塗り。黒くつややかな光沢を放っていた。


「――で、おれは昨日貴女がたの目的を聞きそびれた気がするんだが」


 各人の目の前には、白い茶器。持ち手はなくごく小ぶりなそれの中には濃い香りの発酵茶が淹れられている。香りは独特だが、口に含むと舌に甘さが残る不思議な茶だった。


 エウルナリアは、そんなに熱くはなかった器をコト、と卓に戻すとふと両側から視線を感じ、首を傾げた。そろりと左右の銀の兄妹を窺う。


「? 私が話して宜しいんですか?」


 右のゼノサーラ、左のシュナーゼン。それぞれが深く頷く。


「立場的にはシュナが話すべき。でも貴女が最適なんだって昨夜、学んだわ。必要があれば振って。皇室の意向を話します」


「ごめんねエルゥ。妹から強烈に揶揄されてる気がするけど、気のせいかな。僕もきみが最適だと思う」


「……わかりました。では僭越ながら」


 こういうときの双子はぴったりと息が合う。

 ふぅ……と吐息した黒髪の令嬢は視線をカイザに戻し、できるだけ淡々と要件を切り出した。


「実は今、大陸西方で他国への侵攻を懸念される国家がありまして」


「……ウィズル?」


「! はい。よくおわかりになりましたね?」


 のっけから該当国の名が出るとは思わなかったエウルナリアは驚嘆した。目を伏せ、可能性を幾つか脳内に並べてみる。

 ……――と同時に、あまり当たってほしくはない予想に辿り着いた。それは瞬く間に確信をともなう疑問となり、指を添えた唇からぽろっと卓上に溢れ落ちる。


「あの……ひょっとして、もう打診を受けられました?」


「……!」


 少女の問いに、カイザ以外の一同の空気がぴりりと張った。

 問いを受けた少年王はどこか申し訳なさそうに、かれの知る限りの答えを返す。


「あぁ。……来たな、あの国の“鷹便”が。一ヶ月以上前だ。はっきりとした記述ではなかったが、(そそのか)す意図は充分に込められていたように思う。

 以来、何度か来てる。……すまない。読ませてもらえたのは最初の一度きりなんだ」


「いえ、なるほど……わかりましたカイザ様。先にお伺いできて良かったです。ありがとうございます」


 大丈夫、これくらいは予想できる範囲内と自らに言い聞かせ、エウルナリアが再び茶器を手に取ったところ――――



 ばたん!


 高らかに扉が開けられ、「困ります、巫覡(みこ)さまっ」という制止の声。しかし堂々と室内に足を踏み入れる人物が現れた。


「げ」


 途端に渋面となる少年王。

 それすら甘美であると言わんばかりに、にっこりと笑みを浮かべた細面の男性は、一同をぐるり、見渡し―――穏やかだが底抜けに明るい、やたらと機嫌のよい声を響かせた。


「おかえりカイザ。……すごいね、大猟(たいりょう)だ。おまけにずいぶん粒揃いじゃないか」


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