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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十六歳篇 迫る秋(一)

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52 捧げものの王

「ところで。カイザ様はよくこのようなことをなさるのですか?」


「このようなこと? ……あぁ、単身で宮を出ることか」


 こく、とエウルナリアは頷いた。手には林檎酒の入った細長い緑色の瓶。酒精は弱め。

 あのあと――非公式ではあるものの、エウルナリアが祖父母についての一件を水に流す、とカイザに告げて間もなく、宿の厨房から心尽くしの夜食が届けられた。


 いったい、いくら包んだのか。卓上には注文した一人分の夜食以外にも酒が数種、つまみとなる小料理や甘味まで並んでいる。もちろん、普通の茶も。


 上座の一人掛けのソファーに座るカイザに最も近いエウルナリアは、自然とかれの給仕をつとめていた。

 手元の瓶をしずかに傾け、少年王のグラスに林檎酒を注ぐ。……オルトリハスでは、飲酒に関しては自己責任。特に法では定められてはいないらしい。


 かたや同じテーブルのもう片端では、ロキとシュナーゼンがいつもの一幕を繰り広げている。

 カイザと対になる端の席。

 左手に蜜入り団子、右手にグラスを構えてにこにこと見上げる皇子に対し、傍らに立つロキは、ふぅ……と諦めるように嘆息した。片手で透明な酒瓶を持っている。何かの蒸留酒だろうか。角張った硝子(ガラス)の中で揺れるのは、なめらかな琥珀色だ。


「仕方がありませんね……殿()()。飲んでも結構ですが、騒ぎすぎませんよう。貴方は素面(しらふ)でも充分賑やかなんですから。ね?」


 幼子に言い含めるように、小首を傾げるロキ。 

 対する皇子はご機嫌だ。


「『ね?』じゃないよー。ほら、つべこべ言わずに()ぎなよ騎士隊長。せっかくの夜食なんだし、一緒にいただこうじゃないの。さぁ座って座って!」


 ロキの反対側では部下のシエルが苦笑いで同様にグラスを持たされている。

 『任務中なんですが……』と、頬に書いてある気がしたが、シュナーゼンはお構いなしだった。


 (まぁ……シュナ様は居てくださるだけで和むから、いいか)


 一頻(ひとしき)りほのぼのと皇子を眺めたエウルナリアは、改めてカイザに向き合う。本当の“仕事”はこれからだ。

 なお、エウルナリアの正面の席にはゼノサーラが座る。彼女もまた、真摯な表情でカイザとエウルナリアを見つめていた。


 ―――レガートの第三皇子と第一皇女。

 同席にふさわしい身分であると、明らかにはしてある。テーブルの端と端、温度差は極端にひらいたが……


 カイザは黒髪の少女のみ視界に映し、端的に答えた。


「いわゆる、『お忍び』だな? 実は初めてだ」


「えっ……」


 耳を傾けていた三名は目をみひらき絶句した。これは―――


 エウルナリアは、素早く皇女と左隣の従者に目配せをする。思ったより大事(おおごと)かもしれない。


 心配そうにゼノサーラが身を乗りだし、思わずの(てい)で口をひらいた。


「失礼、陛下。王族は……ましてや、国王はふつう一人で夜に出歩いたりしないわ。退()()きならない事情がおありなら、多少の力になれるかと存じますが」


 しかしカイザはぴくり、と綺麗な弧を描く眉を上げただけ。ほんの少し、皮肉げに唇を歪めさえした。


「『力』……? いや別に。必要ありませんよ、ゼノサーラ皇女。あなたが考えるような危機は何もない。喧嘩みたいなものです。

 一応、今夜はべつのところに泊まると世話役の者には言い置いてきたし。放っておいても朝になれば探しに来ます。間違いなく」


「へぇぇ……そうですか。良かったですわ、杞憂で」


 皇女のまとう空気が剣呑なものに変わった。明かにむっとしている。


 (あぁぁ。サーラ……だめよ、顔に出てる出てる!)


 エウルナリアの心情を察したのか、レインが動いた。軽く挙手する。


「すみません。お伺いしても?」


「もちろん。どうぞ?」


 内心ほっとしつつ、主である少女は促した。

 整った風貌に灰色のまなざしを柔らかくし、レインは単刀直入に切り込む。


「陛下に、国政に関する実権はありますか?」


「――っ!」


 正面の皇女が息を呑む。

 エウルナリアの表情は変わらない。ちょっと、はっきり訊きすぎだなとは感じたが……


 ちら、と横目に伺う。

 少年(カイザ)もまた、顔色一つ変えてはいない。きょとんと目を瞬いたあと、実に生真面目に―――動かしようのない事実だと言わんばかりに溢した。


「なんだ。知らなかったのか? おれに実権は一切ない。お飾りだよ。形式的には“星読みの塔”に捧げられた供物(くもつ)みたいなものだ。

 エウルナリアどのは知っているのではないか? 詳しそうだし」


「あ、はい。存じております」


「貴女の国の皇女と、いずれ重臣となるものだろう? 説明してやってくれるかな。おれは、自分のことを話すのはあんまり好きじゃない」


 そう言いつつ、二本の長い棒――“(はし)”を器用に使い、夜食の汁椀から温かな具を取ると、ふぅー、と一息冷ましてから口へと運んだ。もくもくと行儀よく食べている。


 ……うん。普通に食事中だし、そのほうが良いかと、少女も判断した。頭のなかで情報を整理し、ゆっくりと吐息に声を乗せる。


 ――――できるだけ、おだやかに届くように。



   *   *   *




「オルトリハスの慣習でね。人びとの信仰の対象は、ここのすぐ近くに建ってる“星読みの塔”の巫覡(みこ)様なの。

 王位と違って巫覡は完全な世襲制。草原においては唯一揺るがないものの象徴だそうよ。北極星の君、とも呼ばれるんですって。実際に星の運行を見て吉凶を占われるのだとか。

 ……昔は最も優れた部族長が(ハーン)を名乗って巫覡を妻にできる仕組みだったけど。今は少し違うみたい」


  カタン!


 やや荒々しく箸を卓に置き、夜食を食べ終えたカイザが口を挟んだ。口調も幾分すさんでいる。


「少しじゃない。かなり堪えるぞ、この制度。……考えられるか? 当代の巫覡は二十六歳の男なのに。どうしろと」


「……え?」

「おとこ……巫覡……?」


 残念ながら、どうもできない。突っ込みどころが多すぎる。

 レインとゼノサーラはひたすら固まった。

 頬に手をあてて(うれ)い顔となったエウルナリアだけが淡々と会話を繋ぐ。


「それは……巫覡様ご自身は、どのようにお考えなのでしょう?」


「おれの外見が好きなのだそうだ。男同士だから婚礼を挙げるわけではないが、側に置いて愛でたいと」


「変わった、巫覡様ですね?」


 こくり、とカイザは頷いた。

 まだ仕草にあどけなさが残る涼やかな少年である。申告のとおりであれば、いささか酷な気がする。


「変な奴ではある。すぐべたべた触ろうとするし。実際、今日もそれが嫌で……すまない。

 だが、祖父が(オルトリハス)の実権を握るためには、おれが星読みの塔に納められるのが一番手っ取り早かった。仕方がない」


 何気ない呟き。

 でもそれは、エウルナリアの心を引っ掻いた。


「……」


「……エルゥ? ……何を?」


 黙り込んだ主に、何かを察したレインが眉をひそめて語りかける。


 少女はそれに答えず、意を決したように唇の下に指を添えたまま、カイザの瞳をじっ……と、見つめた。



「カイザ様。明日の朝、宮までお送りします。そのとき、私達をお祖父様に……“()の部族”のセヌー老に会わせていただけますか」


誤字っ……! (はずかしぬ!)

適用させていただきました。ありがとうございます~

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