49 首都オルトリハス
「意外かもしれないけど――」
そっと、前置いた上で少女は語り始めた。古い、古い物語のような過去の出来事も交えながらのそれは、簡単な歴史講義。
草原の民にとって“都”は本来必要ない。
食べるものも着るものも、移動手段さえも家畜から得られるかれらにとって真に必要なのは蒼穹の天のもと、風に波打つ緑の地平、その大地のみ。
しかし昔、千年より前に旧レガート帝国に膝を屈してからは事情を違えた。
他国にとっての基盤は領土。拠点は必須。
……なので、風のように流れ暮らすかれらの総意を束ねる王を一々探し回るのは、ときの外交官らにとって非情に骨の折れる作業だった。
『頼むから、どこかに其方らの“家”を造ってくれないか』―――と。
帝国の初代皇帝が、かれらの王にほとほと困り果てた顔で懇願した、というのは草原では有名な逸話だ。
* * *
ふぅ……と、一呼吸。
成り行き上、ざっと語り終えたエウルナリアは澄んだ青いまなざしで、向かい合う従者と友人らの顔を見渡した。
「だから……オルトリハスの都は、ほかの国と用途が違うの。暮らすためじゃなくて訪れる人のための場所。或いはもう動けなくなった人のための場所なのよ。あとは商人達が活動しやすくするため、かな」
「なるほどエルゥ、ありがとう。すっごく納得した。きみの声でなら、ややこしい外交上の必須知識だってすんなり覚えられるよ。もう、一生側に居てほしい」
「……講師としてなら、お呼びいただければいつでも参りますよ?」
エウルナリアは小首を傾げ、先にやんわりと断った。
可憐な白い手をとり、きらきらと輝く紅玉色の瞳で令嬢を見つめていたシュナーゼンは「それも魅力的だけど――結婚してくれる?」と、ささやいたところで両隣の人物からすぱん! と同時に頭を叩かれる。
左右とも特に加減はなかった。涙目になった皇子が呻く。
「~~~ッ……痛いっ! サーラはいつもだけど、なんでレインまで? いくらなんでもやりたい放題過ぎだろ、それ!」
本気で痛かったらしい。後頭部を押さえ、撫で擦っている。
右側の椅子に腰掛けていたレインは構うことなく左手をひらひらさせ、淡々と灰色の視線を流した。もはや身分の上下も遠慮もかなぐり捨てての応酬だった。
「そっくりそのままお返ししますよシュナ様。ことあるごとに、やりたい放題の度が過ぎます」
「過ぎてない。むしろ今まで抑え過ぎだったって深く反省してる」
「反省の方向性が間違ってるでしょ……どこまでばかなの?」
はあぁぁ……と、重々しいため息をついたゼノサーラは徐にかたん、と椅子を引いて立ち上がると、卓上で令嬢の指を捕らえたままの兄の左手をもぎ取った。そのまま、ぺっと椅子の背に向けて放り投げる。
「酷っ??!」
いかにも傷心の眼差しを向けられたが、皇女はツン、と顔を背けて頓着しなかった。なお、兄の傍若無人も妹の苛烈さも今に始まったことではない。同席の三名はおおむね、ほのぼのとその一幕を眺める。
残り一名であるレインはメニュー表の飾り文字を目で追い、傍観すらしていなかった。
――やや、騒がしいやり取りだったかと思われたが。
ざわ、ざわざわ……と、色んな国の言葉が周囲に溢れ、さざめいている。多様な年齢、服装の人びと。みな一様に寛ぎ、それぞれの夜を楽しんでいるのが伝わった。
黒髪の少女はそうっと店内を見渡し、にこっと嬉しそうな笑顔になる。
「まぁ、良かったよね……こうして落ち着ける宿にみんなで泊まれて。とりあえず、あとは明日に備えるだけだもの。道中の先導も交渉も何もかも……本当にありがとうごさいますロキさん。シエルさんも」
おや、と眉を上げた騎士隊長は「どういたしまして」と微笑み、ふいに名を呼ばれた部下の青年もちょっと照れつつ、会釈した。
木枠のシンプルな格子模様の窓の硝子越し、空は桃色がかった紫と藍色の夜空を溶かしたなかに白い月を浮かべている。
* * *
首都オルトリハスの石造りの門を日没より少し前にくぐった一行は今、酒場を兼ねる食堂のテーブル席でまったりと顔を合わせていた。
王の所在地である“星読みの塔”にほど近い、高級宿が軒を連ねる石畳の広場の一角。部屋に浴槽もそなえた二人部屋を一つと四人部屋を一つとれたレガートからの旅人達は、各々湯を使い、身支度を整えてようやく人心地ついたところだ。
何にせよこの二日間は強行軍だった。平気を装ってはいるが、姫君二人の疲労の色は濃い。
食事と簡単な打ち合わせを終えれば各自解散とし、充分な休息を取ってもらおう―――と、ロキは算段した。期限は残り約3ヶ月。最終的には草原を横断して更に東、砂漠の入り口まで足を伸ばさねばならない。ゆえに、まだ気は抜けないが……
「じゃあ皆さん、好きなものを注文なさってください。坊っちゃんは酔うと面倒なので酒は無しで」
「えぇぇーーっ?!」
にこり、と紳士的な笑みの騎士隊長とは裏腹に不満げな声を上げるシュナーゼン。
が、さほど深刻そうにも見えない。すぐに気分を切り替えて右隣のレインの手元を覗き込み、「じゃ、僕これね」と決めている。
「……」
面々は口には出さないが、皇子の持つ空気感に癒されている自覚はあった。なんとなくほっこりとする。微笑ましいのだ。
やがて配膳係の少女が騒ぎを聞きつけ、「楽しそうなお客さんがた! お待たせしました。ご注文お伺いしますよ~?」と尋ねてくるまで、そう時間はかからなかった。




