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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十六歳篇 疾く過ぎる夏

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42/244

42 青天のバザール

今日も、たくさん加筆改稿いたしました……

(内容に変わりはありません。半ばに加筆、最後あたりの表現はざくっと変更しました)



 たんたん、ととん! ―――と。

 高低差のある乾いた音が雑踏に満ちたバザールのはるか高み、澄んだ青い空へと気持ちよく吸い込まれた。

 通りがかった人びとはほぅ……と目をみはり、そのさまにちらちらと視線を奪われている。


「うん。いいねぇ、この太鼓。持ち運びも楽そうだし、流れの楽士向きだ」


「そうでしょぉ? 綺麗なお兄さん。そいつはうちのお薦めね。あと、弦もあるわ。草原の民から直接買い付けた素敵な一点もの!」


「え、何々それ。めっちゃ見たい」


 ぱ、と喜色を浮かべたシュナーゼンは無邪気そのものの顔を上げ、紅玉の瞳を輝かせた。

 傍らには薄布をベールのように被ったゼノサーラが立ち、「弦よ? あんた、弾けんの」とつめたく突っ込んでいる。


 通りを挟んだ斜め向こう。

 賑やかに繰り広げられる異国の皇室兄妹劇場に、エウルナリアはくつりと笑んだ。手には様々な大きさの数枚の楽譜。或いは巻いた書物のたぐい。すべて草原の民のものだ。


「エルゥ、そちらは? 好きそうな曲はありましたか」


 ふ、と視界に影が差す。

 見上げると、じりじりと焼けつく陽射しを遮るように栗色の髪の――設定上の従兄(いとこ)が立ち、柔らかな表情で彼女の手もとを覗き込んでいる。

 エウルナリアはしゃがんで商品を間近に眺める姿勢のまま、にこりと答えた。


「うん。どれも知らない曲ばっかり。楽しいよ、ぜんぶ欲しいくらい」


「おぉっ。彼女、見た目によらず豪気だねぇ~いいよ、どんどん見てきなよ! おまけしちゃうぜ。()()()()美人さんだからな!」


 店番をしていた青年は元気よく、なめらかに売り口上を述べた。

 浅黒く日に灼けた頬が上気している。滅多にない極上の美少女に商売根性は関係なく、浮き浮きとしているのが傍目にも明らかだった。



 レガートを発って四日目。

 一行は北の川沿いに渓谷をなすエナン山脈の麓を、ひたすら東へと進んだ。


 現在地は草原地帯のほぼ中央最北部。以後は騎馬で南下し、途中でさらに一泊。うまくいけば()くる日、日のあるうちに首都オルトリハスに到着できる。

 なお、馬車と荷物は宿に残してゆくので、侍従と侍女の四名および騎士二名はここで待機。合流はオルトリハス王との会談の翌々日、つまり今日から四日後となる。


 明日は野宿になるかもしれないエウルナリア達にとって、レンガ造りの宿場町とはここで一旦お別れだ。よって、日はまだ高いが一行は早々に宿を決め、各々自由行動の運びとなった。


 結果、皇子と皇女は楽器の蚤の市に。主従は東方の楽譜も取り扱っているらしい書物の露店を覗いている。


 好奇心でわくわくとした少女の目の前には、敷物の上で平積みにされた一山いくらの紙束から日除けの箱に納められた逸品まで、さまざまな書物がずらりと並ぶ。なかなかの品揃えだ。


 特に公用語で訳してある楽譜付きの歌集などは、つよくエウルナリアの関心をひいた。

 欲しい。しかし、それ以上に―――……

 ふと、まなざしが遠くなる。


「歌いたいなぁ……」


「……フッ!」


 ぼそり、と呟かれた言葉に、レインが思わず

(てい)で吹き出した。明らかに笑いを誤魔化すために背を向けた従者に対し、少女は憤然とする。


「ひどいなぁ、そんなに可笑しい? 一応歌いたい気持ちはあるのよ。空気もこんなに乾いてるし、歌えたらどんなにか気持ちいいだろうって……ちょっと、聞いてる?」


「いや、あの……すみません。本当、他意はなくて」


 ぷるぷると、俯き加減の背中がまだ震えている。

 エウルナリアは立ち上がり、両手いっぱいに目当ての書物を抱えながらも、つんつんとレインの服の裾を引っ張った。「笑いすぎ」と声を低めてみる。迫力は欠片もなかったが。


 何とか笑いを納めた―――この旅が始まってから、ちょっと青年っぽくなった少年は、身体ごと少女に向き直ると、それはそれは魅惑的な笑みを頬に浮かべた。


 どきり、と胸が高鳴る。


 湖の色の瞳をみひらくエウルナリア。

 その細い(かいな)から、レインはやんわりと楽譜やら巻物の束を引き抜き、左手で楽にまとめてしまう。右手は主の黒髪をいとしげに絡め、ゆっくりとほどいた。


「だって、六年前と同じことを仰るんですから……いや、秋になれば十七。もうすぐ七年ですね。

 ――大丈夫、ちゃんと戻りますよ。それできっと、もっと強くなれます。……そんな気がします」


 灰色の視線と青の視線が、ぴたりと合わさる。

 通りのざわめきや人々の気配も置き去りに、ひどくしずかに感じられた一瞬の、どこか空の向こう側。


 ピィィーー……ロロゥー……と。

 高くながく尾を引く鳥の声が、遠ざかる羽音とともにかすか耳に届いた。


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