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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
プロローグ

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4 ゆきすぎた戯れ

 アルムは、再びオーケストラの指揮を抜け出していた。向かう先は迎賓館の一階。聖職者の詰め所だ。


 黒い髪、燕尾服のいでたち。黒と白の装いをさらりと着こなす壮年の歌長(うたおさ)は、(よわい)四十にしてなお溢れる色気と渋みを滲ませ、周囲を魅了し惹き付ける。

 その存在感はなるほど、先の歌姫の父君に相違ない――と、すれ違う聖職者たちは皆かれに道を譲った。


 常とは違う歌長(うたおさ)の表情にたった一人気付いたのは、偶然曲がり角で出会った司祭服の皇子、アルユシッドだ。


「うわっ……と。どうしました、歌長? 抜けて大丈、夫で……」

「エルゥがいない」


 普段なら滑らかに口をついて出るはずの軽口もない。ただ、事実のみを告げて被せる。

 事態の深刻さをすみやかに悟った皇子は、表情をスゥッと消した。柘榴(ざくろ)色の双眸に鋭い光が閃く。


「心当たりは。最後に見たのはいつ、どこです」


「大広間(ホール)、三十分ほど前。各国の来賓にさんざん捕まって踊ってたから、休憩がてら逃げたんだろうと思ってた。だが、流石(さすが)に遅い」


 皇子は素早く、黒髪の歌長が来た方向に足を向ける。「…歩きながら話しましょうアルム。急いだ方が良さそうだ」と、早足で歩き出した。

 名を直接呼ばれた歌長も遅れず、これにスッと並ぶ。


 ――長い、石造りの廊下に二つの靴音が高く響く。



「控えの間は?」


「いない」


「となると……幾つかある露台か。わかりました、順に探します」


「頼む」



 ――レガートは特殊な国だ。

 古い血筋の皇王家を戴くとはいえ、家臣団の筆頭爵位は“楽士伯”と“画伯”。ゆえに、「楽士や画家崩れの伯爵程度」と軽んずる輩はどこにでもいる。


 二十年以上昔、若かったアルムに対してもそうだったのだ。見目麗しい可憐な歌姫。しかも、当主ではなく令嬢となれば、扱いは火を見るより明らかだった。


 (多少の洗礼は必要かと思ったが………くそっ! レインを付けておけばよかった)


 後悔先に立たず。

 アルムは苦い顔で娘を案じつつ、サングリードの司祭であり、レガートの第二皇子でもある青年とともに、廊下を闊歩する。




   *   *   *




「…では、貴方が内乱を収めたという旧西ウィズルのディレイ将軍だったのですね。挨拶が遅れて申し訳ありません。レガートの歌い手、エウルナリア・バードと申します」


 作法に(のっと)り、淑女の礼をとる。

 ディレイはそんな彼女に軽く頷き、「あぁ。見事な歌だったな」と答えた。


 ――随分と、上から見ることに慣れたひとだな、とエウルナリアは直感した。有り体にいうと、かちんと来た。


 こうなると、この姫君は止まらない。いっとき身体を震えさせた怖じ気もどこへやら、果敢に睨みあげて話しかける。


「さきほど、一人で――と仰いましたが。ディレイ様もお一人でいらっしゃる。わたくしより余程、御身の価値は高いでしょうに。供の方を置いて来られましたの? おかわいそうな、供の方」


 すらすら、すらすら可憐な唇から(から)い口上が流れ出る。そのさまに、元将軍の西の国王陛下は「ほう」と上機嫌に呟いた。


「ここまで元気な令嬢とは思わなかった。……いいな。見た目もいいが、胆が据わっているのが尚いい」


「……どうも…?」


 歌ではないところで、手放しに褒められる経験が少女にはあまりない。どう反応を返せばいいか分からず、束の間途方に暮れた。――おそらく、それが隙になった。


「すまない、持ってくれるか」


「え? あ、はい」


 渡されたのは小さなグラス。中に入っているのは濃い琥珀色。すん、と香りを確認すると酒精のようだった。


 (ない。ないわ……こんな小娘に、こんな強そうなお酒すすめるとか、あり得ない…!)


 むかむか、と再びエウルナリアの胸底に形容しがたい苛立ちが生まれたとき。


 思いがけない素早さで、グラスを持つ両手を掴まれた。かれの、左手一本で。


「!!」


 そのまま、身を屈めたかと思うと―――


「どれ、興味があるようだし、飲ませてやろうか」


「いや、結構で……!! あの、(こぼ)れますから、おやめくださいっ!」


 妙に楽しそうな気配を漂わせつつ、力ずくで飲ませようとして来た。もう怒るしかない。


 怒りで青さの増した、エウルナリアの瞳。

 ディレイはふと茶褐色の視線を絡めて――「あぁ、いい方法があるな」と零した。みずから顔を寄せ、少女のグラスから琥珀色の酒を含む。


「?? ~~え、何を…?」


 もはや、訳がわからない。おまけに距離が近過ぎる。かれが飲むなら、グラスを返してここから去りたいのだが……

 そんな思いを嘲笑うかのように。


 ぐい、と後頭部から首の後ろにかけて、大きな右手で強引に固定された。みひらいた青い瞳に、愉しげなディレイのきつく整った顔が至近距離に映る。


「! …っ……!!!」



 ―――…ごくん、と喉を通りすぎた液体がつよい酒なのだと、身を以て知る羽目になった。


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